第7話 第二王子
エルネスト・ノエル・ユークレース。
ユークレース王国の王位継承権第二位にして、王都を守護する騎士団の団長だ。
上級貴族やその親類である可能性は考えていたが、まさかの王子だとは思っていなかった。
めまいを覚えたソフィアがカウチにずぶりと沈み込むと、控えていた侍女がソフィアを気遣ってそばに駆け寄る。栗色の髪をシニヨンにまとめた凛とした雰囲気の侍女だ。
「お気を確かに! 確かに若様は第二王子ですし見た目というか雰囲気というか、まぁ色々とアレなお方ですけど、決して悪いお方ではないんです!」
「アレって……シトリー、お前な」
「アレをアレと言って何が悪いんですか! 若様が無駄に顔をしかめ続けて無駄に怖いオーラを出し続けたせいで私はたった一人でこの無駄に広いお屋敷の維持管理をしているんですよ!? 被害者なのですからこのくらいは言う権利があります!」
ぴしゃりと言い放ったシトリーは改めてソフィアを覗き込んだ。
冷たい印象なのはエルネストに思うところがあったからのようだ。エルネストに向けた厳しい視線はどこへやら、気づかわし気で優しそうな瞳がソフィアを映す。
「お嬢様は貴族家の出身ですわね?」
「うっ……いえ、その、なんのことだか」
「隠さなくても結構です。このシトリー、どのようなご事情でも絶対に秘密にします」
「ソフィア嬢にも言いたくないことの一つや二つはあるだろう」
「それはそうですわね。お嬢様にはお仕事のことでお願いがございます」
仕事、と聞いてソフィアの顔があがる。
生きるためには手に職をつけなければならない。
それは家を出て、かごの鳥になることなく生きていくと決意した時から決めていたことである。
「若様は無駄に怖いオーラを放っています」
断言したシトリーに、ソフィアは出会った時のことを思い出す。
精巧で美麗な芸術品でもあり、人を傷つけ命を奪う凶器でもある、業物の剣のような雰囲気。
(あんな勢いでこめかみをつつかれていたんだもの。すごく痛かったはずだし、近寄りがたい雰囲気になるのも無理はないわね)
「動物は逃げるし赤子は泣き出します。下手にご老人に声をかければ、それがトドメでお亡くなりになりかねないレベルの怖さです」
おい、とジト目になるエルネストを、事実です、と跳ね返す。
一般的な主従ではありえない応対だが、エルネストが何も言わないところを見るに悪い関係ではないのだろう。
(そんなに怖いかしら……?)
剣呑な雰囲気はまとっていたものの、老人の息の根を止めるほどかと聞かれればそうではない。ソフィアはやや首をかしげるが、シトリーはそれに気付いてか気付かずか話を続けた。
「当然ながら、蝶よ花よと育てられたご令嬢が若様と面会しようものなら、心に一生の傷を負います」
「そんなに……?」
「はい。ただでさえ怖いオーラを出しているのに年単位で患っている頭痛を筆頭に、体調不良も多くございますので会話は全てぶっきらぼう。おまけに視線を合わせれば睨んでると勘違いされそうなほどにしかめています」
しかめ面、と聞いてソフィアも納得した。
確かに出会った時のエルネストはソフィアがたじろぐくらい不機嫌そうだったし、迫力もあった。
近くにいたトトが何とも言えない視線を送っているが、ソフィアはそれに気付けない。
「体を鍛えるために騎士団に身を寄せたら、卓越した剣技と常軌を逸した不機嫌顔のせいで『騎士団の魔王』なんてあだ名がつけられる始末。他国どころか仲間である団員にまで恐れられています」
『魔王』。人攫いが逃げ出した時も、そんなことを呟いていた気がした。
どうやら見た目だけでなく腕前もすごいらしいが、シトリーの物言いが酷い。
(わ、笑っちゃだめ、笑っちゃだめ……!)
仮にも雇用主を貶めているのだ。
笑うのはどう考えてもマナー違反である。
表情筋を総動員して平静を取り繕うが、不愉快さや悲しさを誤魔化すことはあっても笑顔を堪えることはほとんどなかった。
うまくできてるか、自信はなかった。
「そんな折りに、若様のことを見ても気絶なさらないご令嬢が当家にやってきたわけですから、これはもう千載一遇のチャンスです」
「チャンス、ですか」
「お嬢様にはぜひ若様のリハビリをお願いしたいのです。具体的には、貴族の子女としてお茶をともにしたり、夕食を一緒にとっていただきたいのです。屋敷の維持は私一人でもなんとかなりますが、若様のリハビリは貴族令嬢としての教育を受けてきたお嬢様でないとできません」
言っている意味は分かる。
分かるが、果たしてこれで良いのか、とソフィアは迷う。
いかに厳しい練習を重ねたとはいえ、父のせいで友達の一人もいなかったソフィアは『本番』の経験がほとんどない。
さらには初めてマナーを披露する相手が王族となれば、緊張で粗相してしまうなんてこともあり得た。
小さく呻いたところでシトリーから追加の提案がなされた。
「もちろんお給金は弾ませてもらいますし、食後にデザートもつけましょう。旬のフルーツを使ったタルトやケーキは如何でしょうか」
フルーツ、という言葉にトトが激しく反応した。
ソフィアの肩に戻ってくると、エルネストがされていたのと同じくソフィアのこめかみをはげしくつつき始めたのだ。
丸っこいくちばしに痛みはないが、ここまでされればもう答えは決まったようなものだった。
気が進まないなぁ、と思ったところでソフィアのお腹が小さく鳴った。
「や、やりますっ!」
ぐぅ、と空腹を主張したお腹を誤魔化すためにも大きな声で返事をして、ソフィアは自らの覚悟を固めた。
かくて、ソフィアは第二王子のリハビリの練習相手として雇用されることになったのであった。
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