第8話 お茶会

 ソフィアは屋敷の中庭に通されていた。

 シンプルなつくりのテーブルにクロスが掛けられ、淹れ直された紅茶とともに茶請けが出された。

 三段のティースタンドにはクッキーやマドレーヌのような甘味が配置されている。

 見た目の可愛さもさることながら、朝から食事を抜いていたソフィアの食欲を刺激した。


(ええっと……こういう時はまず主催者が話すのを待つのが礼儀よね)


 家庭教師に厳しく仕込まれ、しかし実践経験のない知識を総動員していると、くぅ、と再びお腹が自己主張をした。


「ん、んんっ」

「どうした?」

「い、いえ」


 咳払いで誤魔化して気付かれていないか様子をうかがえば、エルネストの頭頂部にピョコンとカエルの精霊が飛び乗ったところだった。


「!?」


 ケコ、と陽気に歌い始める精霊に固まっていると、何を勘違いしたのかエルネストがティースタンドの上のものを勧めてくれた。


(あ、ありがたいです。ありがたいですけどそうじゃなくて!!)


「好きに食べて良いぞ。お腹を空かせていたんだろ。鳴っていたしな」

「!?」


(聞かれてた――!?)


「食べないのか?」

「ええっと、その」

「大丈夫だ。毒は入ってない。ほら、口を開けて」


 口ごもるソフィアに、なんとエルネストは手ずからクッキーを取った。

 有無を言わせずそのままソフィアの口にあてがい、やさしく押し込む。羞恥に顔を染めながらも混乱しすぎて反応できないソフィア。

 口に入ってきたクッキーを頑張ってもぐもぐと咀嚼する。口に物が入っていては、反論はおろかお腹が鳴ったことの言い訳すらできない。

 こくん、と飲み干してから紅茶で喉を潤す。

 紅茶の温度かそれとも気恥ずかしさか、熱に浮かされたソフィアが最初に行ったのは、ケココ、と笑うカエルを追い払うことだった。


「?」


 エルネストにまたもや不審の目を向けられたので慌ててごまかしに掛かる。


「えと、旦那様は食べないのですか?」

「エルネストでいい。甘いものは苦手でな……食べるならこういうものの方が好きだ」


 そう言って壊れ物かのような丁寧さで掬い上げたのはソフィアの髪だ。

 はしばみ色のそれをひと房だけ持ち上げると、そのまま軽く口付ける。


「ッ!?」

「ヘーゼルナッツみたいだ。甘くて良い香りがする」

「けほっ……何をしてるんですかっ!?」

「あまりにも美味しそうだったからつい、な」


 悪びれもしないエルネストにソフィアの内心は混乱を極めた。

 長年、メアリを偏愛する両親の元で育てられたこともあり、彼女は自己評価が地面にめり込んでしまうほどに低い。


(つい!? ついで私が食べ物みたいに見えちゃうの!?)


 混乱したソフィアが思い出したのは幼い頃に習っていた独唱である。メアリが音痴だと分かるまではかなり厳しい練習を強いられ、発表会も何度か参加していた。


(あの時先生は緊張する私に『観客はカボチャだと思いなさい』って言ってたわね……女性慣れしていないって言ってたし、緊張しすぎてこんな言動をとった、ってことかしら)


 かなりズレたことを考え始めたソフィアの耳元にトトがやって来て、耳元で囁く。


『考え込んだりしてないで、何か応対しなさいよ。雇用主でしょ』

「あっ……えっと、エルネスト、さま」


 囁かな微笑み。本来であればそれほど気に留めるような変化ではないが、刃物のような鋭さを持ったエルネストに限っては大きな変化だった。

 万年氷が溶けだしたかのような雰囲気のエルネストにたじろぎながらもソフィアは言葉を紡ぐ。


(リハビリだもの。気付いたことはちゃんと言わなくちゃ)


「緊張しているんですね。大丈夫ですよ、大きく深呼吸して、私のことはかぼちゃだと思ってください。……食べられませんけど」

「ぶふっ!」

「シトリー! 何を噴き出してるんだ!」

「い、いえ……確かにソフィア様は食べられませんので」


 笑うのを我慢しようとしてできていないシトリーは、意地の悪い笑みを浮かべた。

 憮然とした表情になったエルネストはソフィアの髪を放し、自らの紅茶に口を付けた。

 気分を害してしまったかと心配するソフィアだが、エルネストもシトリーも喋ろうとしない。

 ソフィアも話を振れるほど経験があるわけでもないので口を噤んだままだ。


(気まずい……言葉の選び方を間違ったかしら)


 助けてもらえないか、とトトに視線を向ければテーブルの端で丸くなっていた。翼を畳んで休んでいる姿は丸パンそのものにしか見えない。

 当然ながら助けてもらえるわけもなかった。


(ああ神様……どうか助けを)


 何度祈っても実家ではまったく助けてくれなかった神に期待薄めの祈りを捧げたところで、救いの手が現れた。


 ――コンコン。


 応接室のドアがノックされたのだ。

 碌に応答も待たないままにドアは開けられ、そして銀縁眼鏡を掛けたオールバックの男性が入ってきた。ソフィアを人攫いから助けた時も同行していたエルネストの副官、ルーカスだ。


「エル。とりあえず人攫いの捕縛――……」

「ルーカス様。来客中ですよ」


 言葉を遮るようにシトリーから注意されたルーカスはぽかんとした表情で部屋を見回した。そしてソフィアと目が合い、沈黙する。

 たっぷり10秒ほどソフィアを見つめた後、視線をエルネストに移してぽつりと呟いた。


「エル、自首しろ。人攫いは犯罪だぞ」

「誰が人攫いだッ!?」

「いやだって女嫌いの人嫌いで有名な不機嫌大魔王のエルだぞ? こんな儚げなご令嬢を相手に、ってどう考えても権力か腕力で無理矢理――」

「……死にたいらしいな?」

「ルーカス様。こちら、ソフィア様。エルネスト様の婚約者候補です」

「「「えっ」」」


 シトリーの言葉にルーカスはおろか、エルネストやソフィアまでもが驚く。本人たちが驚いている時点で婚約者候補というには無理があるのだが、シトリーはそんなこと意に介さずに言葉を続けた。


「とりあえず自らの主人を人攫い扱いした無礼者に折檻――もとい、騎士団の訓練を付けてきてはいかがですか?」

「ああ、そうだな」

「ゲッ!?」


 逃走を図ろうとしたルーカスを追う形でエルネストが居なくなる。

 後に残されたのはソフィアとシトリーの二人である。一応トトもいるが、丸パン状態なので当てにならなかった。


「ソフィア様。うら若きご令嬢をつかまえて『婚約者候補』などと先ほどはご無礼を」

「驚きましたけど、大丈夫です」

「そのことなのですが」


 シトリーはエルネストの使っていたカップを下げ、ソフィアに紅茶のお代わりを注ぎながら言葉を続ける。


「第二王子ともあろうものが『女性と仲良くなる練習をしている』などと噂が立てば外聞が悪いのはお分かりですね?」

「それはもちろん」


 権力があればあるほど、敵対する勢力も増える。そうした人間たちにとってはどんな些細なことでも攻撃の材料になるのが貴族社会の常であった。ソフィアは幼いころからの授業で、言質を取らせない会話の方法や、誠意を見せるための受け答えなんかも口が酸っぱくなるほど教えられていた。

 性格的にできるかどうかは別問題だが、知識としてはかなりみっちりと仕込まれているのだ。

 それに貴族というものは醜聞に噂といったものが好物だ。

 他家との繋がりがないソフィアの出奔ですら醜聞の扱いになる。

 第二王子に関することとなれば、風が吹き抜けるよりもはやく王国中の噂になるであろうことは簡単に予想できた。


「ですから、お嬢様が練習相手だということは秘密にしたいのです」

「えっと。さっきの方にも、ですか? 親しいように見えましたが」

「ルーカスですね。敵を騙すにはまず味方からと言いますし、彼にも秘密です」


 神妙な面持ちのシトリーに、ソフィアも思わず真面目な顔で頷いた。


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