第6話 雇用

「ソフィアと言ったな。俺の家に来い」

「えっ」

「あっ、いや、違う! 変な意味じゃなくてだな! ええと……そうだ、仕事を探していると言っていただろう? 俺の屋敷で人員を募集している。働かないか、という意味だ」


 突然の申し出にソフィアはたじろいだ。

 人攫いに誘拐されそうになった直後というのも一因ではあるが、見ず知らずの女性に突然「俺の屋敷で働かないか」なんてのはとてつもなく怪しかった。


(いやでも、これだけカッコイイ人だし、変なことする目的だったらこんな回りくどいする必要ないよね……そもそも騎士さんみたいだし。でも万が一があったら……)


 迷うソフィアに、少しだけ困った顔の騎士は言葉を重ねた。


「衣食住は完全保証だぞ」

「ぜひ雇ってくださいっ!」


 ソフィアの返事に、トトがひと際大きな溜息を吐いた。





「少し待っていてくれ」


 馬車に揺られて連れて来られたのは王都でも上級貴族が居を構える区画。

 その中でもひと際大きな屋敷に通されたソフィアは、呆然としていた。


(広い屋敷……上級貴族よね。でも、。何だか寂れてる)


 足を踏み入れたホールはどこかガランとしている。

 ごみや埃こそないものの調度の数は少ないし、生花なども一切ない。そして何よりも、誰一人として出迎えることすらしないことに違和感を覚えた。

 はっきり言ってしまえば貴族としては異常だ。ソフィアの実家ですら三〇人近い使用人を雇っていたし、父やメアリ、そしてソフィアでさえも出迎えの時は人が来た。これだけの規模の屋敷となれば、その倍以上雇っていてもおかしくはないし、主人の帰宅を無視するなんてことはあり得ないはずなのだ。


「すまない。当家には三人しか人がいないんだ」

「そうですか」


(これは、聞いちゃいけない事情ってことよね……?)


  これから雇用主になる相手に色々訊ねるのも悪い気がしたソフィアは、口を噤んで騎士の後に続く。

 応接室に通されると、びっくりするくらいふかふかのカウチソファに座らされた。ワインレッドの布地に金糸や銀糸で精緻な刺繍が施されたソファは、家具というよりも美術品に見えた。

 どうやら貧困に喘いで雇用する人を減らしているわけではないらしい。


「契約書を用意してくるから少し待っていてくれ」


 そう言い残した騎士がいなくなると同時、トトが肩から降りてローテーブルに陣取った。


『ソフィア……本当に大丈夫なんでしょうね?』

「大丈夫って、何が?」

『見ず知らずの男の家に住み込みの話を持ちかけられてほいほいついてって! ましてや使用人すらいないなんて絶対に変よ?』

「いや、でも相手は騎士さまだし大丈夫よ。……多分」

『微妙に不安になってるわね。御子だってバレた可能性は?』

「それはないと思うわ。私の言い訳は完璧だったもの!」


 根拠なく自信満々なソフィアにはぁ、と溜息を吐いたトトは、何かあったら荷物を捨ててでも逃げなさい、とだけ告げると部屋を飛び回り始めた。

 どうやらこの期に及んでも契約なしに助けるつもりはないようで、家具や窓のそばに止まって周囲を見回していた。屋敷そのもののサイズもそうだが、部屋一つをみてもとてつもない広さだった。


(大丈夫よ……何かするなら私なんかじゃなくて、メアリみたいな可愛い子を狙うだろうし)


 メアリを偏愛する家で過ごしたソフィアは、少々どころではなく自己評価が低かった。自らに言い聞かせて深呼吸をしたところで、内覧を終えたトトが戻ってくる。


『しっかし難儀ねぇ』

「何が?」

『べっつにー。ソフィアがアタシと契約するなら教えてあげるけど』

「じゃあ聞かない」

『意地っ張り』

「トトこそ」


 焦らすようなトトの言葉にぷいと顔を背けたソフィア。

 そのまま沈黙が続いたが、どちらも折れることはなかった。


 しばらくして戻ってきた騎士は、後ろに侍女を従えていた。

 二十歳越えくらいだろうか。細身のシルエットをお仕着せで包んだ、怜悧な印象の女性だ。三人しかいない、と言っていた内の一人なのだろう。冷めたような視線はやや圧迫感があるものの、怒ったり嫌ったりしているわけではないらしい。

 丁寧に淹れた紅茶をサーブしてくれた。落ち着いた香りの湯気がふわりと鼻腔をくすぐる中、騎士が二枚の羊皮紙を取り出した。


「遅くなった。すまないが、サインだけ貰えるか?」

「はい」


 ソフィアが目を通したところ、契約書に不備は見受けられない。

 金額も衣食住込みにしては破格と言っていいほどの額だったし、仕事に関しても「家事の手伝い、采配、当主の補助」とおかしな点は見当たらなかった。

 二枚とも同じ内容であることを確認してからサラリとサインをして羽ペンを返せば、騎士もそこにサインを付け加える。これで契約は完了である。


「さて、これは君の分だ。無くさないように」

「ありがとう、ござい……えぇぇぇぇっ!?」

「どうした?」

「いや、あの、えっ!?」


 ソフィアの視線は目の前の騎士と、羊皮紙に刻まれたサインを行ったり来たりしている。

 そこに書かれている署名はエルネスト・ノエル・ユークレース。


「し、失礼ながら騎士様のファミリーネームって」

「ユークレースだな」

「……この国の名前は」

「ユークレースだ」

「えっと、第一王子様がアルフレッド様で、第二王子様って、」

「俺だ」


 目の前にいる騎士は直系の王位継承権第二位、正真正銘の王族だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る