第3話 自由への逃亡
上級貴族の令嬢ともなると専属の侍女がつくのが一般的だが、ソフィアにそんなものはいない。
誰もがメアリの侍女になることを希望したからだ。
ソフィアが指名すれば、メアリが口を挟まなければ専属の侍女をつけることは可能だったかもしれない。しかしソフィアの当番になる度に溜息を吐かれ、がっかりした表情を浮かべられればそんな気は欠片も起きなくなる。
それに今は、誰も見ていないからこそ堂々と動ける。
「トト! トト、居る!?」
部屋に着くなり声を荒げるソフィア。ベッドの下に隠してあった旅行鞄を引っ張り出すと、中からシンプルなデザインのワンピースを引っ張り出した。誰も見ていないのをいいことにがばっと勢いよくドレスを脱ぎ捨てて着替え始める。
ベッドに投げ出したドレスの上に、くちばしと羽根がついたふかふかの白パンみたいなシルエットの鳥が着地した。
ソフィアにしか見えないその鳥は、当たり前のように言葉を発した。
『いるわ。また何か言われたの?』
「どうもこうもないわ。このままだと修道院入りさせられちゃうの」
ソフィアは着替えながらあらましを口にした。
『ハァ……ホント、碌でもないわね。リディアももうちょっとうまくやれば……』
「おばあ様の悪口は言わないで。急いで逃げるわよ」
『はいはい』
やる気のない返事をしたトトはしっかり支度を整えたソフィアの肩に止まる。自分で羽ばたくことすらしないトトにソフィアは厳しい視線を向けた。
「ちょっと! ただでさえ重たいんだから自分で飛んでよ」
『レディに重たいなんて失礼ね。それにアタシは精霊だもの。重さなんてないわ』
「気分的に重たいの!」
八つ当たり気味に怒ったソフィアは勉強机から小さな財布を取り出した。本来ならば貴族令嬢は自ら財布を持ち歩くようなことはしないのだが、いつか来るであろう逃亡に備えてコツコツ貯めていたものだ。
自らの宝飾品を侍女に売りに行かせるのはなかなか大変だったし大した金額にはならなかったけれども、最低限の路銀にはなるだろう。
どの侍女もソフィアの味方にはなり得なかったのだから仕方がない。
今握りしめている財布の中身でさえ、メアリの誕生日が近くなる度に「内緒で贈り物を用意して驚かせたいの」と言い訳をしてようやく手に入れたものだ。
本当にプレゼントを用意することで侍女が両親たちに告げ口するのを防ぎ、毎年ちまちまとおつりを貯め続けた。
「とりあえずはセラフィナイト領を出ましょ」
出来ることならばセラフィナイト領どころかこの国からも逃げ出したいところだが、路銀にそこまで余裕があるわけではなかった。
「どこかで働かせてもらって、ある程度蓄えをつくって、それからね」
『働いたことないのに?』
「イメージトレーニングはばっちりだからなんとかなるわ! メイヤー先生がクビになってからも読書だけはしてたしね」
『あの鬼婆?』
「厳しかったけど、誠実な方だったわ……何はともあれ、仕事ね。新人でも雇ってくれるところがあればいいけど」
トトから思わずため息が漏れた。前向きだと褒めればいいのか、無謀だと諫めればいいのか、微妙なところである。
『働いて、蓄えをつくって、国を出て。最終目標は?』
トトの問いに、ソフィアは拳を握りしめた。
「決まってるわ。独立、自立、そして自由! この家どころか、誰の手を借りなくても一人で生きていけるようになる! かごの鳥なんてまっぴらだもの」
『うーん。若い日のリディアを思い出すわ』
「おばあ様もこんな感じだったの?」
『家族仲とかじゃなくて、やる気がね。思い付いたら即行動、全力全開で押せ押せって感じであなたのおじい様はいっつもタジタジだったわよ』
「おじい様にも会ってみたかったわね」
『相当年上だったし、人間は寿命が短いから仕方ないわ』
ソフィアが想いを馳せる祖父は、ソフィアが生まれる前に他界してしまった。祖母のいた宮殿に飾られた絵画でしか見たことがない。
立派な体躯に厳めしい風貌だったことだけは知っているが、そんな人間が奥さんにたじたじ、と聞くと何だかおかしくなってしまう。
ソフィアの記憶にある祖母は穏やかな人だっただけに、余計である。
「おばあ様が押せ押せ、ねぇ……想像できないわ」
『恋は盲目ってやつね。実際に見ても信じられないと思うけれど』
「おばあ様とおじい様のこと、よく聞かせて? どうせ道中は暇だろうし」
『旦那は割と実直でまともな人間だったし、だいたいリディアが悪かったわね。勢い任せでとんでもないことばっかり言って、よく困らせてたわよ』
祖父母の若い頃を想像してくすりと笑ったソフィアは誰もいない居室に頭をさげ、使用人のための裏口からこっそりと自由への一歩を踏み出したのであった。
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