第2話 メアリ


(……メアリがそんなことを気にするとは思えないけれど)


 少なくともソフィアが覚えている限りではメアリに何かを気遣われたことは一回もない。

 彼女はソフィアの存在など見えていないかのようにただ自分の望みや意見を言いたい放題に告げるだけだ。父もメアリが言えば可能な限り全てを叶えようとするし、そのためにソフィアに我慢を強いることは当たり前だとすら思っていた。

 メアリが生まれてからというもの、それがソフィアの日常だった。

 二人の母は産後の肥立ちが悪く、メアリが生まれてすぐに他界してしまったし、唯一、公平に接してくれた祖母は立場的にほとんど会うことができなかった。


 祖母にもらったぬいぐるみをメアリが欲しがれば、父は平然と取り上げてそれをメアリに与え直した。数日としない内に部屋の隅に転がるだけの存在となっても、ソフィアの手元に戻ってくることはない。


 ソフィアが仕立ててもらったドレスをメアリがうらやめば、一度も袖を通すことなくメアリ用に仕立て直させる。

 姉のおさがり、姉の後追いと笑われぬよう、ソフィアは同系色や似たデザインのドレスを選ぶことすら許されなくなった。結果、ソフィアは好きな色やデザインなど考慮されず、メアリがさして興味を抱かないものを押し付けるように与えられるだけだった。


 物だけではない。


 ソフィアの髪型をメアリが真似したがれば、メアリの髪が姉の真似だと笑われないよう、髪型を変えさせられた。

 姉妹で顔立ちも似ているので、少しでもイメージを変えるためにとばっさり髪を切られたのだ。

 酔った父がナイフでザクザクと切った髪はどう頑張っても令嬢と呼べるような髪型にはまとまらず、さすがのソフィアもそれには大泣きした。


 「メアリの姉として恥ずかしくないように」と厳しい家庭教師をつけられて、ソフィアは王妃教育もかくや、というレベルの勉強をさせられた。

 普通の令嬢ならば家同士の結びつきや派閥のパワーバランスを考えて嫁ぎ先が決まることが多く、必要なのは精々が一般的なマナー程度である。

 間違っても、王族ですら震えあがると噂のメイヤー侯爵夫人に師事してまで他国の言語を学ぶ必要はないはずだ。ましてや、他国のマナーなど使う日が来るとは到底思えなかった。

 血のにじむような努力を重ねて何とか授業に食らいついていったソフィアだが、メアリの成績が芳しくないことが分かってからは「あの子にプレッシャーを掛けるな」と良い成績を修めたことを叱責された。


 その日ソフィアは、皮膚が破けて血が染み込むまで使い続けた万年筆を捨てた。


 極めつけは婚約やら結婚に関することだ。

 伯爵家ともなればデビュタント前に婚約していることの方がずっと多いのだが、ソフィアへの釣り書きはこの家には一つたりとも存在していない。

 届くことはあるのだが、他ならぬ父の手で暖炉の中に放り込まれてしまうからだ。


 きっかけは、とある侯爵家の四男坊との顔合わせだ。

 ソフィアへの婚約を申し込んできたはずの相手は、妹を見るなりすぐさま宗旨替えした。

 ソフィアを無視するばかりかまだ七つだった妹の気を引こうとあれやこれやとちょっかいを出し続け、帰り際にはソフィアを睨みながら吐き捨てるように宣言した。


「俺はお前なんかと婚約したくない! 改めて妹に申し込んでやるから、俺のことは諦めろ!」


 ソフィアが――というよりもセラフィナイト伯爵家が申し込んだわけでもないのに、なぜか振られる形となった。

 家格は向こうが上位とはいえ、目に余る無礼である。

 当然ながら伯爵は激怒したが、その理由はソフィアへの無礼でもなければ伯爵家を侮られたことでもない。


「たかが四男妨の癖にメアリと婚約だと!? 身の程を知れ!」


 それ以降伯爵はソフィアに婚約の話を持ってこようとはしなくなった。それどころかソフィアと接触を試みる者は性別に関わらず遠ざけようとしたのだ。

 そして今日にいたってはメアリのために修道院、と言い出した訳だ。


「どうだ? 色恋沙汰に悩まされるよりもずっと穏やかな生活が待っているぞ?」


(悩まされているのは色恋沙汰ではなくお父様とメアリの言動よっ!)


 ソフィアは心の中で反論した。「メアリのために」とお題目を掲げてソフィアの努力や気持ちを踏みにじる父にも、天真爛漫に欲望のすべてを口に出す妹にも辟易する。

 とはいえ、この両親がメアリ絡みで引いたことなど、ソフィアの記憶にはなかった。

 このまま曖昧にしてしまえば、痺れを切らした父の手で修道院へ強制収容されることになるだろう。

 どうしたものか、とソフィアが思案したところで当のソフィアが口を開いた。


「ねぇ、はやく修道院に行くって言ってよ。こんなお茶会、退屈だわ。街に遊びに行きたい」

「メアリ……修道院にいくっていうのが、どういう意味か分かってる?」

「わかんないけどお父様はその方が私のためになるって言うし。お姉さまだって私の役に立てるんだったら嬉しいでしょ?」


 同じ言語を喋っているのか疑わしくなるような発言。しかし、はっきりと言い切ったメアリはそのことを欠片も疑っていない。


「ああ、そうだな。ソフィアもメアリの姉なら、笑顔で修道院に行くべきだ」


 伯爵までもが賛同し、まるで抗うソフィアがおかしいかのような雰囲気が作られる。

 このままいけば道理も正当性も放り投げて押し切られることは明白だ。


(……ひと芝居うつしかないわね。まさか、こんなに突然やることになるとは思わなかったけれど)


 かねてから頭の中にあった計画を実行に移すことにした。


「修道院入りのお話はわかりました」

「さすがはメアリの姉だ。これであの子も何の気負いもなく婚約させられるな! 素敵な相手が見付かればいいが」

「ですが、私が修道院に入るのであればこの家の嫡子はメアリ。婿でなければなりませんよ? それも領地経営が出来る者です」

「むむ!? 確かにそうだな。いやしかし入り婿となれば次男坊以下か……いっそ養子でも取って――」

「では、少し準備をしてきますね」


 考え込み始めた父を尻目に、ソフィアはさっさとガゼポから逃げ出した。

 父もメアリも、使用人ですらソフィアのことを見ている者はいなかった。


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