第4話 王都にて

 馬車を乗り継いでニ週間。宿泊代やご飯の代金で財布はぺしゃんこになってしまっていた。

 ソフィアがやってきたのは王都だ。

 ユークレース王国の中心部に位置する都市で、ソフィアの暮らしていたセラフィナイト領の西に位置していた。


『国から脱出したいのに中心部にいくってのは、なかなか奇抜ね……』

「もう! お父様だって馬鹿じゃないんだから、国境側はすぐ封鎖されるに決まってるでしょう」


 貴族家の令嬢が家出となれば誰もが耳をそばだてる醜聞だ。

 社交界では恋愛関係の噂が火もないところからモクモクと湧き上がってくるのは目に見えていたし、護衛もつけない貴族令嬢となれば悪党にとっては絶好の獲物となる。

 誘拐して身代金を要求したり、本人をどこかに売り飛ばしたりとやりたい放題だろう。


 そして、そんなことになれば伯爵は黙っていない。


(メアリの足をひっぱることになるものね)


 ソフィア自身がどういう扱いを受けることになるかは想像できないが、伯爵の第一声は簡単に想像できた。


『メアリに悪い噂が立ったらどうしてくれる』


 である。

 それを防ぐために国境を封鎖するくらいのことはするだろう。ソフィアはその裏を掻いて王都方面に移動してきたのであった。


 ましてやソフィアは貴族令嬢であること以外にも周囲に秘密にしなければならないことがあった。


 自らの身を護るためにも、見付かりやすいところに逃げるわけにはいかなかったのだ。


『私、王都は好きじゃないのよね。自然も少ないし』

「しょうがないでしょ。働き口を探すことを考えたら、大きな都市が一番なの」


 毎年訪れているのでまったく知らない土地ではない、というのも大きい。もちろん馬車で移動しながら眺めていただけだが、逆に言えば馬車が通らない道や、貴族の使わない場所を把握しているということでもあるのだ。

 一切の土地勘がないところに比べればマシなのは間違いなかった。


『仕事ねぇ……何をするの?』

「できれば飲食店が良いわね。料理を覚えられるかもしれないし、まかないだってつくかもしれないもの。お仕着せでも貰えれば最高」


 言った瞬間、ソフィアのお腹がぐぅ、と音を立てた。慌ててお腹を押さえるソフィアに、トトが訊ねる。


『ソフィア。路銀の残りは?』

「銅貨二枚ね」

『パンすら買えないじゃない。仕事が見つからなかったらどうするの? もう隠すのやめて『精霊の御子です』って言っちゃいましょうよ。契約してくれるならアタシが訓練付けてあげるわよ』


 トトの言葉に、ソフィアが顔色を変えた。


「絶対に嫌! 頑張って仕事探すし、駄目なら今日はご飯食べるの我慢する!」

『アタシの分は?』

「トトは食べなくても平気でしょ!」


 トトをキッと睨む。かたく握りしめた手は小さく震えていた。

 ソフィアにとって、それは心に刻まれた傷だった。


 ーー『精霊の御子』。


 それはトトのような存在を視認し、意思疎通ができる者のことだ。本来なら見ることも触ることもできないはずの精霊と交渉を行って人知の及ばぬ奇跡を起こせる御子は、どの国でも大切に扱われる。


 100年に一度しか花をつけない霊薬の原料を咲かせてもらう。

 干上がった湖が一晩で溢れるほどの雨を降らせてもらう。

 病に倒れた老王を治療してもらう。


 記録に残る精霊の奇跡は、どれもこれも御伽噺のような出来事ばかりだ。


 おおよそ人の営みに興味を持たない精霊を相手に交渉をまとめるのは難しい。

 宝飾品だったり食べ物だったり、場合によっては詩歌や声など形のないものを対価に契約を結んだ上で、奇跡を起こすために精霊の御子から生命力や精神力を吸い取るのだ。


 過去には精霊の御子が全ての生命力を使い果たされて死んでしまったり、対価を払えずに国そのものが滅ぼされるなんてことまで起きたことがあった。


 それでも精霊との交渉を望む国は多いが、交渉の窓口である精霊の御子というのは希少な存在だ。

 最後にその姿が確認されたのはソフィアの祖母。そしてその前は200年も遡らなければいけなかった。


 上手くいけば人知を超えた奇跡を引き起こせるのだから当然と言えば当然だが、精霊の御子を守るために国は専用の宮殿を用意した。

 御子はその中に閉じ込められ、働く者は厳しい審査を通り抜けた限られた者のみ。その他は、友達はおろか家族ですら簡単には会えなくなるのだ。

 欲しいものや好きな食べ物など、金銭で叶うわがままはご機嫌取りのために叶えられるが、鉄格子付の窓に錠前で閉じられた扉は保護というよりも監禁だ。


「おばあ様は、死ぬまでずっと宮殿暮らしだったじゃない。数えるほどしか会えなかったわ」

『まぁね……リディアはちゃんと分かった上で名乗り出たけども』

「でも『かごの鳥よね』って、すごく寂しそうに言ってたわ」


 ソフィアの脳裏をよぎるのは、会いにいくたびに優しく抱きしめて、そしてたくさん話をしてくれた優しい祖母のことだ。

 いつも笑顔で接してくれたが、会いに行けば決まって外の話をソフィアにせがんだ。父やメアリと行った宝飾店に服飾店、それから邸宅のガゼポや風通しのいい雑木林の近く。

 大した場所ではなかったが、つたないソフィアの話を聞いて祖母は何度も頷いていた。

 祖母の状況を把握していなかったソフィアは『こんど一緒に行こう』と誘ったが、一度として同意してもらえたことはなかった。


「私はそんなの絶対に嫌。トトが奇跡で私を助けてよ」

『残念。アタシはリディアのお願いでくっ付いてるだけよ。ソフィアが契約してくれるっていうなら考えてあげるけど』


 唯一の味方といっても良かった祖母の死は、ソフィアのトラウマになっていた。考えるだけで顔が強張こわばり、身がすくむ。

 ソフィアの姿がどう見えたのか、トトは溜息を漏らして首を振った。手の中にある財布は中身がないことに加え、ソフィアに強く握られたために哀愁漂う見た目になっていた。

 トトは精霊だが、ソフィアと契約を交わしているわけではない。

 祖母であり、契約者でもあったリディアの最後の願いを聞き届け、孫であるソフィアを見守っているだけだ。

 ソフィアがきちんと願い出て対価を支払ってくれるのであれば、おそらくトトは快く願いを叶えてくれるだろう。

 しかし、どうしてもソフィアはそんな気にはなれなかった。


 ちなみにトトが契約を結ぶ対価は『リディアの墓を旦那の墓の隣に移し替えること』である。

 精霊の御子専用の霊廟に祀られたリディアの遺体を動かすことは難しい。

 ソフィアが精霊の御子だと名乗り出れば可能だろうが、代わりにソフィア自身がかごの鳥になる必要があった。


 御子以外にも、精霊に見染められてベッタリと張り付かれる『精霊の愛し子』と呼ばれる存在もいるが、こちらは御子とは違って保護なんてされていない。精霊が良かれと思ってやったことでも、人間からすれば常識外れだったり逆に困ったことになることもあるからだ。

 制御もできなければ交渉もできない。

 ある種の呪いか、そうでなければ災害だった。


(そう考えるとまだマシだった、って思わないとね。よし、大丈夫よ)


 自分の中で思考に区切りをつけたソフィアが顔をあげる。いつも通りに自らを励ましていると、トトが勝手な主張を始めたところだった。


『まぁ、仕事が見つかるならそれでいいけどね。アタシは果物が食べられればもっと満足よ。まさかアタシを飢えさせたりはしないわよね?』

「ちょっと。トトは食べなくても死なないでしょ?」

『精霊虐待だわ! アタシの羽根からツヤがなくなったらどうするのよ!』


 まったく鋭さのないくちばしでスココ、とこめかみをつつき始めたトト。手でそれを払いのけようとするも、うまくかわされてしまう。

 痛みはない。しかし、ずっとこうされていると何故か頭痛がしてくることをソフィアは知っていた。

 全てが全てという訳ではないが、突然の体調不良は精霊のいたずらが原因のものも多い。

 実家にいた頃、侍女にちょっかいを掛けていた精霊を何度か追い払ったこともあった。

 もちろんトトのようなきちんと喋れるような精霊ではなく、まだ言葉を覚えてもいない力の小さな、若い精霊が相手だが。

 ともかく機嫌を損ねたトトをそのままにしておけば、やがてソフィアも頭痛に見舞われるだろう。

 ソフィアはさっさと白旗をあげることにした。


「分かった分かった。何か仕事を探すわ。出来ればまかない付きで、もっと出来るなら住み込み。パン屋さんなら、仕込みを頑張るって条件で住ませてくれるかもしれないわね」


 うん、と決意も新たに一歩を踏み出したところでやたら体格の良い男たちがソフィアの前に立ち塞がった。それほど近くにいるわけでもないのにたばこと酒の匂いが鼻を刺した。

 ニヤけた笑みを浮かべた男たちは、ソフィアを取り囲むように広がる。


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