第22話

「あなた・・・・・・今日の夜、大事な話があるの」

 会社の出社前の夫が部屋から出てきた時に私は声をかけた。

「わかった」といつものように私の事なんて気にもとめていない様子私の横を通り過ぎていく。

「いってらっしゃい・・・・・・」

 小さく呟いたその言葉は夫に聞こえていただろうか。

 身支度を済ませて仕事へ向かう。

 仕事場へ着くと同僚に声をかけられた。

「田中君今日無断欠席みたいよ」

「え?」

「田中君今日早番だったんだけど時間になっても来ないし、誰に聞いても住所も電話番号もわからないんだものーーー」

 そこからの話は私の耳には入らなかった。

 何も考えられずにその日の仕事がいつの間にか終わっていて、気がつけば自宅のテーブルでボールペンを走らせていた。

「田中君・・・・・・」

 昨日、ひとしきり泣いた後、空き地まで二人で手を繋いで歩いた。

 何度も「ごめんね」と言う私に彼は優しい言葉を投げかけてくれた。

『また明日』そう言って手を振ったはずなのに。

 そのはずなのに。

「また・・・・・・一人か・・・・・・」

 頬に温かい物が一筋流れたところで家の電話が鳴った。

 時間を見ると八時半すぎ、ああ、夫が残業で今日は遅くなるって電話かな・・・・・・

「私の大事な話なんてそんなもんよね・・・・・・」

 腰を上げて電話まで歩く。

「もしもし」

『もしもし、僕です。田中です』

「田中君! 今日はどうしたのよ!」

『ごめんなさい、細かい説明はしていられないんです』

「どうしたの! 大丈夫!」

『僕と逃げませんか、遠い、みんなが僕たちの事を知らない場所へ』

「・・・・・・」

『九時に昨日の空き地で待ってます』

「あっ・・・・・・」

 そこで電話は切られた。

「私は・・・・・・」

 急いで、自分の部屋に戻り箪笥から通帳を取り出す。

 これがあれば何ヶ月かは生活に困らない。

 急いで玄関に走り靴を履く。

 会いたい、彼に会いたい。

「さようなら」

 玄関を出たときにはっきりと言葉にした。




 その時、テーブルに置いてあったはずの離婚届はどこかへなくなっていた。

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