じじい編

第11話

 その日のワシはイケイケじゃった。

 今日ならばでっかい事が出来る気がすると活き込んで朝から何をしてやろうかと考えた。

 そして考えついたのが『隣の家の爺さんになること』普通であればバレるのだろうがその日のワシは違っていた。

 何気ない顔で隣の家に行き、玄関を開けてから「今帰ったぞー」と声をだす。

 そうすると何の疑問を持たないで隣の家の奥さんはワシの帰りを迎えた。

 ちょろいもんじゃ、ワシは不適な笑みをしながら隣の爺さんの部屋へ入った。

 だが、ここで誤算が生じた。

 隣の家の爺さんはまだ健在で、普通に部屋でコタツに入っていた。

 一瞬取り乱したがここで慌ててはいけない、大丈夫今日のワシならノープログレムと、何気ない顔で一緒にコタツに入る。

 くくく、ばれていない様だ。

 そこからはワシの独壇場だった。

 一日、十日、百日と、ワシが隣の爺さんだという事はばれずに、ワシはこの家の爺さんと認識されていた。

 いつしかこの家のじいさんは亡くなり、葬式にワシはこの家の爺さんとして並んだ。

 自分でも唖然とするほどの溶け込みようで、誰もワシが隣の爺さんなんて気がつかない。

 あまりにも気づかれなくて逆に腹がたったので葬式の途中から全裸で参加していたが、誰にも触れられることなく慎ましく葬式は執り行われた。

 そう、気がつけばワシがこの家にやってきてから十年の月日が流れていた。

 最近思うことがある。

 この家族、空気が重い。

 孫が小学生の頃はどうにか会話があったが、中学生になったあたりから家族が集まることなんて一切なくなった。

 息子の嫁が作る飯も不味いし、何で味噌汁に餡子入れるの? こしあんなの? つぶあんなの?

 そんなこんなでワシの心は今『ホームシックなう』なわけじゃ。

 なう、とか使う老人とかマジモテるとゲートボールのマドンナ達(平均年齢八十三歳)が言っていたが本当じゃろうか?

 と、言うか『なう』って日本語なのかすら怪しい気がするんじゃが?

 何かの略語かもしれんの『ナイチンゲールのウンコ』とか。

「ゲールをゲイルにすると筋肉隆々のマラソンランナーに聞こえるのう」

 午後の昼下がり、頭に浮かぶのはそんなくだらない事ばかり。

 庭先から見える、自分が十年前まで住んでいた家は、去年リフォームし二世帯住宅に立て替えたらしい。

 ワシの許可もなしに勝手なことをしくさりおって。

 怒りは沸いてきたが、自分が隣の家のじいさんになってるんだから仕方ないかと自分で勝手に納得する。

 本音を言おう、飽きてきた。

 今、十年前に戻れるのであればこんな馬鹿げたことはしないで隣のじいさんとして平凡な暮らしをしていたじゃろう。

「もどろうかのう……」

 だが、本当に戻っていいのかわからない。

 どう考えても今日のワシはノリノリではない。

「肌の艶も悪いしのう」

 自分の頬に触れてみるとまるで乾燥ワカメのような肌触りだった。

 このまま枯れ果てていくのか。

 気づけば外から夕日の光が淡く差し込む時間になっていた。

 重い腰を上げて食卓に向かう。

 パートから帰ってきた奥さんが出来合いの惣菜をテーブルの上に並べていた。

 素っ頓狂な物を食べさせられるよりはマシかと席に着き、買ってきた惣菜を見ると『鯉のババロア』と『カレーフォルレウス』と書かれていた。

 良い名前つけてどうするんだ!

 ワシの心のツッコミは奥さんに届いただろうか?

 最終兵器しか置いていないテーブルで奥さんと婆さんの三人で夕食を食べ始める。

 いつもと同じ会話のない食卓……に、一つ気になる点を見つけた。

 奥さんが化粧をしているではないか。

 ご主人と別の部屋で寝るようになってから女であることを捨てたように一切化粧もせず、おしゃれな服も着なくなった奥さんが化粧だと!

 ワシの中に淫靡の文字が浮かんでは消えていく。

 どう考えても男が出来たようにしか見えない。

 ワシがいぶかしげな目で奥さんを見ていると「どうしたんですか?」と笑顔で言ってきた。

 野郎、余裕をかましてやがる。

 ワシは「いや」と一言だけ言って飯をかっこんだ。

 夕食を食べ終わると、一回自分の部屋に戻り三十分ほどゆっくりしてから毎日の日課の散歩に出かける。

 若い頃から続けている日課だが、最近は日に日に体に疲れが残りようになり、歩くコースが短くなっている。

 家から時計回りで歩き、約三十分ほどで一周する計算になっている。

 夜の風に吹かれながら、昔の恋人の事を思い出す。

「ヘレン……」

 まさか、男だったなんて……

 そう言えば、ヘレンに後ろから攻められた時もこんな日の夜じゃった。

 何であの時気づかなかったんじゃろうな。

 いや、もう考えるのは止めよう悲しくなるだけじゃ。

 散歩も終わりに近づき、ワシは一回足を止めた。

 自分の本当にいるべき家の玄関じゃが、何故か今は遠くに見えるのう。

 右側が息子夫婦の家で左側がワシの……

「ん?」

 ワシは隣にいるのに誰がここに住んでいるんじゃ?

 妻は十二年前に亡くなっている。

 ならば、何故ワシ用の家がここにあるんじゃ?

 考える前にワシの体は動いていた。

 左側の玄関を開け、靴を脱いで家の中に入る。

 廊下のすぐ左側に襖があったので勢いよく開ける。

「んだらああああああああああ!」

 部屋には真ん中にコタツが一つあり、奥の隅に大きなテレビが置いてある小奇麗な部屋があった。

 コタツにいるのは———

「ヘレン!?」

 見間違いではない、コタツに入りながら、こちらを無表情で向いているのはワシの元恋人ヘレンだった。

「何で貴様がここに!」

「ココハ、モロタデー」

 ヘレンは立ち上がりワシに昔と同じファイティングポーズをとった。

 右腕を大きく掲げ、左腕を腰の後ろに回して構えるヘレン独特の構え。

「ハッ!」

 ヘレンが気を発すると同時にワシの体は後ろに吹っ飛んだ。

「げはっ!」

 廊下の壁に背中を強打したワシは前のめりに倒れこむ。

「スコシ、ソコデ、ネンネ、シナ」

 ヘレン……お前は……

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