英雄祭開幕

 第一訓練場を出るとカラっと晴れた空が迎えてくれた。

 青空に白い雲が浮かぶ。良い天気だ。

 

「ん、赤谷」


 訓練場からヴィルトが出てくる。


「ヴィルトか。今朝もトレーニング?」


 ヴィルトは「そう」とうなずく。

 視線が俺の顔から足元へいった。

 そして、ゆっくりと舐めまわすように見上げて顔に戻ってくる。


「なんかベトベトしてる」

「まぁ、ちょっといろいろあってな。新技の開発ってやつだよ」

「朝から勤勉」

「降ってわいたアイディアを試さずにいられなくてな」

「ん、きっとろくでもない新技」

「そうかもな」


 ナマズの口に何度も入ったので、相当臭いことになってると思う。なので俺はヴィルトに「くっさぁーい」とか言われる前に「それじゃあ今日は頑張ろうぜ」とだけ先手をとって言って、さっさと男子寮へもどった。


 本日は英雄祭。

 英雄高校が誇る秋の祭典である。


 男子寮でシャワーを浴びて、教室棟へ向かった。

 時刻は午前7時30分。すでに学園は活気に満ちていた。


 教室棟へ向かう道中、道端の出店では、生徒たちがせっせと開店準備をする。

 右へ目を向ければ保冷剤の入った容器を重たそうに運ぶ女子。出店で使う食材を運んでいるのであろう。それを見て「手伝うよ、貸して」と声をかける男子。「えへへ、ありがとう~」女子ははにかんで笑んで答える。くだらん。仮にも祝福者であるならば、あの程度の荷物を重たいと感じるわけがない。ゆえに演技。


 左へ目を向ければ、芝生のうえで水風船に水をいれて膨らませる男女。スキルで水を生み出せる男がいるようで「任せておけって。500Lまでは余裕だから」と胸を張っている。「あっ、手が滑った!!」そんなこと言って、女子に水をかけている。英雄祭のために着ているクラスTシャツが濡れてしまい、ピチっと肌にはりつき、丸くて柔らかい輪郭をくっきりと浮き上がらせている。「もう~! 最悪なんだけど!」そういう女子の表情は普通に楽しげだ。最悪なやつはそんな嬉しそうにしない。


 風紀が乱れている。

 けしからん。あー、けしからん。

 青春の有毒ガスに窒息してしまいそうだ。


「やれやれ、けしからん連中だな、同志赤谷」


 あんまり聞きたくない声にふりかえると、予想通りの人物がいた。

 クラスTシャツのうえに白衣を着込んだ狂気の科学者。

 彼はニヒルな笑みを浮かべ、水風船をつかってえっちな遊びをしている男女へ手を向けた。


 風が吹いた。

 上はクラスTシャツだが、下は普段通りのスカートである女子生徒は、その力のまえでは無力だ。柔らかい風はヒラヒラした布地をめくりあげた。


「うわぁあ!?」

「「「お、おおおお!!」」」

 

 さらに向こうが色めきたつ。

 俺たちもこぼれ落ちたご褒美パンツをご相伴にあずかる。


「ってなにしてるんですか、薬膳先輩。それいけないことですよ」

「なにをいい子ぶっている。すっごく見ていたじゃあないか」

「勝手に視界に入ってきたので。仕方がなかったです」

「そうだ。俺たちは仕方がないものしか受け取ることをしない誇り高き種族だ。あんな軟派な連中とは違う。いまの英雄高校を見ろ。空気が澄み切ってる」

「空気が澄んでるのはいいことでは」

「綺麗な水に住めない水棲生物もいる。俺たちのようにな」

「勝手に俺のことカウントしないでもらってもいですか?」

 

 薬膳先輩は肩を組んできた。


「ついに反省部屋から出てきちゃったんですね」

「あぁ、ようやくだ。風紀委員長殿も鬼ではないらしい。英雄祭には参加できるようにしてくれたのさ。これで科学部主催新薬発表会に出席できる」

「うわぁ……絶対この人、出しちゃだめだって……」


 人間を猫に変える薬もその発表会のために作ったんだったっけ。


「薬膳先輩、俺は足を洗ったんです。というか、元々先輩ほどやばいことはしてないんですけど。とにかく、反省部屋にそんなに行きたいのならひとりで行ってくださいね」

「流石の俺も出所してすぐムショ送りは勘弁だ。なに、新薬といっても健全なものばかりさ。展示されるのは俺以外の部員のものだけ。なにせ俺の取り組んでいた課題である、『服を溶かすスライム』『人間を猫に変える薬』『巨乳になる薬』のそれぞれの試作品はすべて学校側に押収されてしまったからな」

「なんでまだ身柄を拘束されてないのか不思議でなりません」


 これは特級無法生徒の鑑。


「このニャンニャン病どうにか治療できないんですか」

「治療薬はもう処方したはずだが?」

「猫と人間を繰りかえす状態になっただけです。治療された実感皆無ですって」

「それは一時的な抵抗反応だと言っているだろうが。お前のなかのニャンと人間がいま戦っているんだ。必ず人間性が勝つ。その日には耳も尻尾も消えるさ」

「それいつです?」

「さぁな。1カ月か。3カ月か、半年か……いつかさ」

 

 終わってるってまじで。


「もっと即効性のある薬をお願いします」

「そう言われてもこの10日間、ムショにいたからな、開発は中断していたからなぁ」

「くっ、なんてこった……」


 厳しいな。猫化のリスクを常に抱えた状態で、崩壊論者どもと命をかけた戦いに挑まなくてはいけないなんてな。薬膳先輩にはどうにか1週間以内にイイ感じの薬を開発してもらわないといけない。


「ひとまずは我が科学部の仲間たちの成果が、世間にどのような評価をされるのか見届けることになるだろうな」

「それは、まぁよかったです。とりあえず、しばらくは大人しくしてそうですね」

「まぁな。……ちなみに同志、気づいてるか? 大人がけっこういることに」


 薬膳先輩は遠くを見やる。

 芝生のひろがる中庭、立派にそびえる血の樹を挟んで向かい側に、黒服の大人が2名、なにか話しながら俺たちのほうを見ている。


「まぁ、いるなぁとは思ってましたけど」

「まるでチェイン事件以前のような雰囲気だ。あれはダンジョン財団の大人だろう」

「薬膳先輩のこと見張ってるんじゃないですか?」

「その可能性があるのが嫌なところだ。てなわけで、学校内だとわりとやりたい放題だったが、いま問題を起こすと財団のほうから目をつけられかねん」


 学校が守ってくれているから助かっているだけの自覚はある人だったか。


「赤谷よ、お前も大人しくしておくがいい」

「俺は元々大人しい人間なんですけどね」

「トラブルに飢えてる目をしているように見えるがな。では、俺は科学部へいくのでな。さらばだ、同志赤谷」


 崩壊論者予備一軍と別れたあと、教室に向かった。

 クラスではすでに食料の運び入れがはじまっていた。

 9時30分からの開店だっていうのに気がはやいものだ。


「あっ、赤谷! おはよう~!」


 林道がスタターっと寄ってきて、俺の腕を掴んできた。いきなり近い。

 猫耳をピコピコ動かしながら嬉しそうにひっぱってくる。

 まだメイド服は着ていないようだ。

 

「なんだよ……」

「今日は英雄祭だよ! えへへ、テンションちょーあがるじゃん!」

「パリピか。雰囲気だけで嬉しくなれて幸せなやつだな」

「むうー! なんで赤谷、そんなにつまらなそうなの?」

「別につまらなく思ってるなんて言ってないけどな」

「赤谷、赤谷! 私、今日、朝ごはん食べてないんだ! 向こうに赤谷の大好きなフライパンあるよ! 『最高のオムレツ』作ってよ!」

「フライパンが好きなわけじゃないけどな。ちなみにオムレツは専門外だ。俺が作れるのはせいぜい『普通のオムレツ』。練度が高まればもうすこしイイのを作れそうだけどな。料理は甘くない。林道、お前は祝福飯というものを軽視してい──」

「なんでもいいって! 赤谷が作るごはんなら、なんでもすっごく美味しいもん!」


 弾けるような笑顔でそういい、林道は俺の腕を引いていくは引かれるままにメイドカフェの奥で持ち運び式のIHコンロの前に立たされた。

 

 なんでも美味しい、か。


「やれやれ、お前っていつでも腹ペコだよな」

「そ、そんな食いしん坊キャラにみたいに言わないで!」


 林道は尻尾でぺちぺちしながら抗議してきた。

 

 俺はコンロの電源をつけ、フライパンが温めはじめる。

 卵を手に取り、ボウルにだす。指先についたヌメリを『熱力学の化け物』と『放水』でつくりだした温水で落としつつ、手際よく準備をしていく。


 俺は高揚感に押されるように、軽快に料理をした。


 英雄祭がもたらす全体バフ効果はすでに感じていた。

 生徒たちのエネルギー、浮かれた空気感、非日常がもたらす特別な体験。

 俺も……そうか、けっこうワクワクしているようだ。

 

 英雄祭がはじまる。

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