保健室にて
志波姫はチラとこちらへ視線をくれる。一瞬だけだ。つまらないものを見たとでも言いたげに、すぐに文庫本へ視線を戻した。つまらない顔ですみません。見たところ志波姫は元気そうだ。顔色も悪いということはない。
ダビデ寮長がいうにはダンジョン財団のすごい回復系スキルホルダーが彼女を癒したとのことだったが……大丈夫そうだな。
「なにをそんなにジロジロ見ているの。不愉快な視線をいますぐやめないと死人が増える事になるわ、赤谷君」
やはり、死だ。
彼女は俺の死だ。
「こほん。もしかしたら、自覚ないかもしれないが、こう見えて俺はお前の命の恩人なんだぜ。ダンジョンで血みどろになって死にかけていたお前を救ったのはこの赤谷誠の異常物質『蒼い血』さ。あれがなきゃ志波姫はいまごろ鬼籍に名を連ねてるんだぞ」
「面白味のないジョークね。あなたはひとつの事象の一部分を切り取って、自分に有利になるように都合よく解釈しているにすぎない。赤谷誠はダンジョンボスを倒していない。ダンジョンボスを討ち取り、ダンジョンを解放したのはわたしよ。あなたではない。わたしが皆を救ったし、そのなかには当然、あなたも含まれているわ。そしてもうひとつ、赤谷君は忘れていることがある」
なにか忘れていることなどあっただろうか。
「なにも心当たりがないな。気のせいだろう」
「それを忘れているというのよ、赤谷君」
「ほう。言ってみろ。俺は何も忘れていない自信がある」
「アイザイア・ヴィルトとことを構える前、ずいぶんと好き勝手にわたしのことを侮辱してくれたようだけど」
「……っ!?」
「どう。思い出してくれた」
「い、いや、な、ななな、なにも、何も心、当たりはない、な……」
「嘘をつくならもっと平然を装ってくれるかしら」
志波姫は文庫本へ視線を落としたままだ。
今、逃げれば助かるだろうか。自慢じゃないが、俺はあの時、普段は言わないあれやこれやまですべての不満を吐き出した自覚がある。これまでの基準から言えば、確実に俺は志波姫に処されること請け合い。
「そんなに怯えなくていいわ。わたしも命の恩人を斬り捨てることはしない。……道理を通す。なるほど、愚順で愚直で愚かな赤谷君らしい生き方ね」
「そんな悪口ばっかり言ってるからいつもぼっちなんだぞ……」
「わたしはぼっちじゃないわ」
「だって、お前友達いないじゃん」
「友達なんて必要ないもの。そんな定義の曖昧な事象の数をかぞえたところで意味はない」
ぼっちの言い訳にしか聞こえないんですが、それは。
「赤谷君こそ、想像を絶する孤独者でしょう」
「孤独者やめろよ、ぼっちでいいよ」
「自覚があるのね。ならば人の境遇をあれやこれや言う前に自分の周りをどうにかしたら。ぼっち赤谷」
誰がぼっち赤谷じゃい。
「……はぁ、心配して損した」
「なんのこと」
「お前のことに決まってるだろ。あんなに重症だったんだから気弱になったり、しおらしくなってるかなとか思ったのに、普段と何も変わらない」
「……。どうやらとんでもなくわたしの身を心配していたのね」
いちいち癪に触る言い方しやがって。
それが本当だったとしても、そんな言い方されては素直に肯定できない。
「言うほど心配してないが。というか心配してないが」
「どうして嘘をつくの。わたしは可愛いし、すべてを持った美少女でしょう。対して赤谷君はナマズみたいな目つきと偏差値46程度の顔。何も持っていない。わたしのことが好きで、その身が危険にさらされていれば心配をしてしまうのは、それこそ道理というものだと思うけれど」
本当に嫌なやつだな。
どうしてみんなお前のことを好きな前提で話が進むんだ。
言ってることは正しい。可愛いし、全てを持ってるだろう。でも、それだけで万人から愛されるほど世の中は簡単じゃあないんだ。
「もっとも大事なものをお前は持ってないぞ、志波姫。愛嬌だ。お前には愛嬌がない。だから、誰からも好かれないんだ。ぼっちなんだ」
「赤谷君には好かれてるけど」
「好いてねえって」
本当、全然好きじゃない。……好いてないよな? 俺?
「これ以上、お前と話してると怪我が悪化しそうだ」
俺はかけ布団を引っ張りあげ、ゆっくりと横になる。
急に動くと怪我に障る。
「赤谷君」
「なんだよ」
億劫に隣人の方へ視線をやる。
志波姫は本に視線を落としたままだ。
沈黙が続く。俺の名を呼んだくせに一向に切り出さない。
「なんだよ、もう寝るからな。返事しないぞ」
「…………嬉しかった。助けてもらえて……だから、ありがと、赤谷君」
志波姫は顔をうつむかせボソボソッと零した。
脳がフリーズする。あの氷の令嬢が誰かにお礼の言葉を述べるなんてことがあり得るのか。よりによって俺に対して。理解を超えた現象だ。宇宙の真理を解き明かすよりも難解な出来事だ。俺はなにも言葉を返せない。口を開いたままぱくぱくさせるだけだ。これは鯉?
志波姫は文庫本に視線を落としたままだった。
そういえばさっきからページを捲る手が止まっているが……。
そのうちパタンっと本を閉じて、サイドテーブルに置くと、こちらに背を向けて横になった。かけ布団をずいっと引っ張りあげ、頭まですっぽりかぶる。
なぜか無性に恥ずかしくなってきた。顔が熱い。変な感じだ。なんで俺がこんか気持ちになるんだ。
「……ぉぅ」
返事にもなってない返事をかえし、彼女に背を向けてかけ布団を頭まですっぽりと被った。たくっ……なんなんだよ。お礼なんか言う柄じゃないろうが……。
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