銀の聖女と氷の令嬢
高速の飛翔体は見覚えのあるコインであった。
スイスフラン硬貨。志波姫は視力が良すぎるために、それがなんなのかすぐに識別できてしまい、同時に何が起こっているのかも理解できてしまう。
(まさか、そんな、彼女がどうして……)
敵の正体にいちはやく気がついた。それは想定外も想定外だったが、心の乱れが体の動きに迷いとして現れることはなかった。
志波姫は首を振り、飛んできたコインを見事に回避すると、スキルを発動、氷の剣を撃ち出した。
対象は10m先に佇む銀髪の少女━━アイザイア・ヴィルトだ。
銀の聖女として知られる有名人だ。
アイザイアは避けるそぶりを見せず、さらに2枚のコインを素早く指で弾く。
高速で放たれたそれらを志波姫は手刀で撃ち落とし、距離を詰めた。
アイザイアへ飛ぶ氷剣が迫る。すでに避けられる距離ではない。
1手はやく回避行動へ移っていれば、避けられただろうに。
しかし、アイザイアはそうしなかった。
志波姫はその理由を高速化した意識のなかで考えた。答えは得られなかった。
答えは向こうからやってきた。アイザイアへ迫ったもはや回避不可能の氷剣。それは自らアイザイアの顔横へ逸れて、明後日の方向へ飛んでいったのだ。
「っ」
まさかの結果に志波姫は目を見開く。
志波姫は2つの結果を予測して動いていた。
アイザイアが避けるor氷が命中して大ダメージが入る━━そのどちらでもなく第三の結末が訪れたことで、極小時間の戦闘プランに狂いが生じた。
その動揺と隙は見逃されない。
アイザイアはさらに2枚、高速でコインを弾いた。至近距離での発射だ。
くるくると光を乱反射させた硬貨、しかし、志波姫は手刀を間に合わせ、たとえ近かろうと撃ち落としてみせた。
まさか撃ち落とされるとは思っていなかったのか、アイザイアは次の一手へスムーズに移行できない。志波姫は流麗な動きで、彼女の襟を掴むと、片手でアイザイアの体を背負い投げ、地面に叩きつけた。
身長差、体格差、ともにアイザイアの方が有利に見えるが、ふたりは探索者だ。超人化している以上、目に見えるアドバンテージは大きな意味を持たない。
志波姫は地面に叩きつけ、流れるように肘を打ち下ろし、アイザイアの胸を破壊しにいく。志波姫が慎ましき貧乳で、アイザイアが豊かな巨乳だから恨みで打ったわけではない。胸骨を破壊し、陥没させ、内臓へ致命的なダメージを与えようとしたのだ。
アイザイアは間一髪のところで手を挟み、肘打ちを受け止める。
「それスキル乗ってるんでしょ、打たせないよ」
アイザイアは冷や汗をかきながら、チラッと視線を下方へ移動させる。
組み合った姿勢で、お互いに打撃をつかえず、二人は互いの筋力ステータスの張り合いで、床の上をゴロゴロと転がり、壁に互いをぶつけたり揉み合いになった。
筋力は志波姫のほうが優れているらしい。
アイザイアは「このままだとよくない」と判断し、そこで視界に志波姫の腹部の傷が目についた。
膝蹴りをお見舞いし、志波姫の腹部の穴を狙う。
不意打ちで背後からコインで穿った風穴だ。
志波姫はかばうように身をひねるが、傷と痛みのせいで本来の運動能力を発揮できなかった。結果、致命傷への重ねる攻撃を許した。
「うぐ……っ」
腹部の傷へ三度、膝蹴りを許し、瞳に涙をうかべる。
組み合っていたふたりがわずかに離れ、アイザイアは力任せに拳を振り抜いた。またしても志波姫の腹部の傷口が狙われ、同時に捻りが加えられ、傷が広がる。強い衝撃が少女のちいさな体を吹っ飛ばし、ダンジョンの壁に叩きつけた。
志波姫は悶えて、傷口を抑え、もはや戦闘を続けられる状態ではなくなってしまった。
そこまでして、ようやく周囲の生徒たちの思考力は追いつき、悲鳴がダンジョンにこだました。
「な、な、な、何してんだよ、ヴィルト!」
「し、志波姫ええ!!?」
生徒のたちは混乱していた。
なぜここにモンスタールームで残された生徒たちを守っていたはずのアイザイア・ヴィルトがいるのか。なぜ志波姫を攻撃したのか。
わからないことばかりであった。
当然、そのことは志波姫自身も同じだ。
なんで自分が攻撃されているのか、どうしてアイザイアがここにいるのか。
「本当に危ないところだったよ。腕を先に撃っといてよかった」
「ヴィルト……あなた、何を考えてるの……」
「……私はさ、天才だったんだよ。こんなに憎しみが溢れるなん思わなかった」
アイザイアは要領を得ない返事をすると、胸元をゆるめ、ネックレスを取りだす。ネックレスの飾りにはドス黒く胎動するクルミがついている。
尋常ではない物体の登場に、志波姫は眉をひそめる。
(何、あれは……)
「これは力の種子。この前、おじさんにもらってからすごく調子がいいんだ。私、強くなってる。私こそが本当に選ばれた者なんだよ」
アイザイアは目の端に涙溜まりを作りながら、心底嬉しそうな笑顔をつくる。
その顔は幸福そうで……されど普段のアイザイアが見せるものとは決定的に異質だった。
「じゃあ、殺すね。おじさんにもっと種子を分けてもらうの」
アイザイアは頬をすく染め、熱に浮かされたような表情で、そっとコインを一枚とりだし、志波姫へ照準をあわせた。
ブオン、空気が低いうねり声をあげた。
コインが撃ち出された音ではない、もっと大きい物体が空を裂く音だ。
アイザイアの横を通り過ぎていった。
彼女はビクッとした動きで、自分の背後の壁を見やる。
壁に深くめりこみ、放射状の大きな陥没を作っているのは錆びた鉄球だった。
鉄球の飛んできた方角を見やれば、上半身裸の男がいた。
威嚇するような怖い顔をしている。
「ヴィルト、頼むからなにもするな」
赤谷誠は強い口調で警告した。
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