第5話 求める者

 魔導学院の4年生になった僕は、とにかく憂鬱だった。

 魔力量も多い。勉強は得意で試験は常に上位。

 数代ぶりに王宮魔導師を輩出して、下火になった家の栄光を取り戻す。そう画策する家族の期待に応えるという使命はなくとも、勉強はそれなりに好きだった。


 だが、ひとつだけどうしても苦手なことがあった。


『ほっほっほ。彼は火の精霊、ガルザードじゃ。わしの友人で、精霊魔法の授業に協力してくれる助っ人じゃよ』


 ヴェルバ先生が友人であるという精霊を授業で紹介してくれた。

 茶色い毛がまるで光のように輝き、その毛先は煌々と赤く揺らめいている。

 まるで、炎をまとった獅子だ。

 

 上級生になって初めて習うことのできる精霊魔法。

 僕は、それがどうしても苦手だった。


 そもそも魔法とは、己の魔力を外に発現させるもの。

 あれだけ詠唱が長いのは、自分のイメージを固めることもある。だが、それ以上に精霊達への敬意を表するためのものだ。


 なにせこの世界は、僕たちだけで成り立っていない。

 この眼には映っていない精霊や、自然に満ちた誰のものでもない魔力。

 いろいろなものに溢れている。


 その中で僕たちがいきなり魔法を使うのは、精霊たちからすると『自分の存在』を認めていないと受け取り、彼らの強大な魔力で魔法の発動を無効にする。


 しかし、かつての魔導師たちが試行錯誤したどり着いた精霊達へ魔法の発動を認めてもらうための方法。それが『詠唱』だ。


 精霊にとって善悪は関係なく、ただ彼らがそこに『在る』とヒトが認識していれば魔法の発動は許される。


 でも僕は、どうしてもヒトとは違う『彼ら』に対して存在は認めても、直接助力を乞うなんてできなかった。


『──んえー!? カッコいいー!!』

『!?』


 たまたま授業でペアになったフランゼル・エルノ。

 彼はとにかく掴めない人物。成績はいい……かと思えば、スキルの授業はサボり。

 真面目に授業を聞いている……かと思えば、ボーっとして教師の呼びかけにも気付かない。制服や髪は整えない。

 あまりに自由すぎて、学院での評判はよくない。


 なんというのか……自然体、なのだ。家や周りの目を気にする僕とは、真逆の存在だった。

 教師に頼まれ何度も彼に対して注意することがあった。

 彼と接して直接イヤな思いをしたわけではない。

 だが僕は心のどこかで、苦手に思っていた。


『カッコいい……?』

『え!? カッコいいだろ!?』

『ま、……まぁ』


 見た目は、たしかに。


『だよなー、キラキラしてるわ~』


 でも、どうしても僕は精霊という存在に対しての恐れを払拭できなかった。


 ヒトは、分かりにくくて分かりやすい。

 本心がどうあれ、成績がよければ褒める。

 僕のためだと言いつつ、息子が己の望む道を行く姿を見てほくそ笑む。

 心の底では嫌っていても、僕との関係が良好な方が今後にとっていいと判断する。


 僕は、相手の内に隠されたものを察することに慣れ過ぎて。何も隠さない、分かりやすいものを恐れていた。精霊のように不可思議な存在である上に、純粋なものが怖かった。


『……俺さ~。実は、精霊のために勉強してたんだよねー』

『……精霊の?』


 意外な申し出には素直に驚いた。

 それは初めて耳にしたことだった。


『そっ。俺、赤ん坊の頃に父さんに拾われたんだ。でも、物心もついてないのにさ。拾われる前に、美しい女の人の記憶があるんだよな。……俺に、手を差し伸べてんの』

『美しい、女性?』


 それはもしかして、精霊なのだろうか。


『最初はさ、実の母親なんかな~って。……でも、そんな生まれて間もない頃の記憶。スキルすらないのに覚えてるわけないじゃん? だから、もしかしたら……精霊って可能性もあるなって思えてきてな~』

『……そう、だったのか』

『生まれてすぐ、俺が死にそうな時に助けてくれた精霊なのか。それとも他の理由があって関わったのか。……わからないけど、とにかく。詠唱の中に、なにかヒントがあるんじゃないかって、魔導書読みまくってたらさ~』

『?』

『──なんと、そのまま魔導書読むこと自体が好きになっちゃったわけ!』

『……?』


 もともとは自分の過去を知るための手段であったものが、いつの間にか目的になっていた……ということだろうか。


『だからさ、きっかけはなんでもいいんだって』

『……何が言いたい?』


 僕にしては珍しく、相手の言わんとすることと、その本心を見抜けなかった。


『家のため、親のため、自分のため……。セスリーフにもいろいろあるかもだけどさ。でも、今のところ魔導学院で学ぶのが本業なわけだし。どうせ同じことやるなら、楽しんだ方がいいぞ』

『ッ! お、おまえに僕の何が──』

『わからん!! なーんもわからん!』

『はぁ!?』

『わからんから、教えてくれよ』

『な、なにを……』

『なにが好きで、なにが苦手で。どうしたくて、どうしたくないのかさ』

『……!』

『【求める者にこそ、扉は開かれる──グリモワ】』


 それは【グリモワ】の詠唱だったらしい。

 フランゼルの手元には、魔導書が現れた。

 彼の魔導書には、そのどこか焦がれる言葉が記されているのだろう。


『俺にとって本は、世界への扉だ。……本にも1ページ目があるように、世界にはいろんな扉があって。ちょーっと覗いてみて、合わなければお邪魔しました~、でいい。

 でも、扉の向こうをほんのすこしでも知っておくと、そこに対する『知らないこと』への不安は和らぐだろ? 完璧に知るこたない。世界なんて、そんなもんさ。物事はほぼ無限だってのに、時間は有限なんだ。気に入った時には、改めて時間をかけていきゃいい』

『……それで?』


 つまり、フランゼルは僕のことを。


『あっ、あ~……。わり、あんまり他人を励ますとかしないからさ~。上手くいえないけど……セスリーフ、精霊苦手なのかと思って』


 彼なりに、僕を励まそうとしたのだろう。

 自分の大っぴらにはしていない内側をさらけだしてまで。

 僕に対して必ずしもいい感情を持っているとは思えない、彼がそうする理由。

 他人の評価も気にせず、僕と友好的になったところで大して影響のないフランゼルが……僕を励ます理由。


『ふっ』

『お、笑った』

『笑ってない』


 それは他ならない、僕のためだ。

 家のために魔導師を目指していることは、恐らくほとんどの生徒が知っていること。

 精霊魔法は魔導師となるための必修科目。

 ここでつまづけば、僕は魔導師にはなれないだろう。

 だから彼は、僕の未来のためを想ってお節介を焼いた。

 ……バカだ。


『仲良きことはいいことじゃが、今は精霊への詠唱を考える時間じゃぞ~』

『ほーい』

『なっ!? 仲良くなど……』

『照れない照れない』

『黙れ』

『こえぇ』


 知らないことへの不安、か。


『……たしかに、その。見た目、は……カッコいい、な』

『だろ!? いいんだって。精霊を知るきっかけなんて、そんなもんで。キレーだのカッコいいだの、かわいいだの。見た目だけじゃなくて、やさしいだの不思議だの、なんだの。なんでもさ。

 あ、そうだ。ついでに名前……せっちゃんて呼んでいい?』

『!? っよくない!!』

『えー。呼びづらいんだけど』

『知るか』


 フランゼルは、よく言えば屈託がない。

 穿った言い方をすれば、遠慮がない人物だ。

 僕はそんな彼の人柄に振り回されつつも、魔導師として大切なことを確かに教わった。


『……!』


 そうか。

 僕はきっと。子供の頃から大人と同じだった。

 相手がなにをすれば喜び、なにをすれば怒るのか。一つ一つにぶつかりながら学ぶ前に、僕は名門貴族という環境の中で育ち、体得していた。


 好きなものは好きだと。嫌いなものは嫌いだと。

 そう、素直に言葉を紡ぐ機会がなかった。


 だから純粋な彼らが恐いんだ。


 打算的な奴らとの関係には、『保障』がある。例え嫌われていたとしても、表立ってファルジオ家に立てつく者はいない。

 そういう僕以外の『なにか』が関係性を保障する。


 でも、精霊やフランゼルはそんなもの気にしない。

 仮に僕を好ましくないと思えば、それまで。

 家、成績、僕と付き合うことに見出す価値。

 そんなもの、必要がないのだ。


 僕は……。精霊に拒絶されるのが、恐かったのだろうか。


『扉、か』

『あ。鍵は掛けんなよ?』

『お前を招いた覚えはない』

『ひっでぇ』


 鍵。それが、詠唱なのだろうか。


『……いい詠唱だな』

『ん? あぁ、グリモワ? どうも~』


 思えばこの時から。

 僕は精霊と共に、この男のことも知りたいと思うようになった。



 ────

 ──


「おーい、せっちゃーん?」

「っ!」


 食事からの帰り道。

 ぼんやりと昔のことを思い出していると、いつもの声が聴こえてきた。


 先を行くフランゼルは、僕の方を振り返り不思議そうな顔をしている。


「……はぁ」

「なんでため息?」

「何でもない」

「おいー。言えよ~」


 言えるわけ、ないだろう。


「……手段を楽しみ、目的へと至る」

「ん?」

「お前の信条は、どこからきたのだろうな」

「あ~。なんか、俺にもいろいろあんのよ」

「そうか。虫も大変なんだな」

「そうそ……、ってひどいなー」


 僕は、その美しい詠唱が忘れられなかった。

 使う言葉はそう難しくはないのに、なぜか簡単には辿り着けなかった言葉で。


 でも、言われてみればストンと胸に馴染む詠唱であった。


「なぁ、明日って休みだよな? な?」

「そうだな」

「せっちゃんは休みの日なにしてんの?」

「……言う必要、ないだろう」

「はー? カワイくねぇー」


 まさか、僕がお前と同じ境地へと至るために魔導書を読んでいるなど。


 言えるわけ、ないだろう。




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