ふたつの月

前 陽子

ふたつの月

『ホンマかあ? おっかしいなあ。こっちゃはもっとでっかいお月さん居とるでー。……お前のところにもお月さん居とるんかいな? ホンマかいな? ……ほんならなあ、お月さんふたつおるーっ、てことやなあ!』


 たぶん甲子園だと大人になった今でも思っているのだが、太鼓やら、声援というか怒号で掻き消される父の声は途切れ途切れだった。ましてや相当ご機嫌斜めの様子で、阪神は大負け状態、ビール片手に話しているに違いないと確信している。

 僕は、確か五歳だった。

 当時の携帯は西と東ではヘルツが変わり、感度もあまり良くなかった。

 父とは一年以上会ってはおらず、あんまりお月さんが大きくて、ウサギの絵柄も鮮明で(僕にはどう見てもウサギには見えなかったけれど……)不気味なほど光の束を放ち、

「パパと話すー、パパと会いたいー、パパに電話するー」と駄々をこねたに違いない。離婚調停中だったことなんか知る由もないし、母の気持ちなど到底想像もつかないのは明らかだった。

 ただ、思い出しただけだった。

 お弟子さんを相手に酒を酌み交わし《こいこい》をやっていた父の傍らで、気狂い染みた真っ赤な空に透き通る丸い月がとっても印象的で、その札が高得点だと理解し始めると父の番に芒の山のお月さんが来るよう案じた。その「坊主」と言う札と満開の桜や、やたらと派手で妖艶な札がいっぱい集まると、決まって大好きなアーモンドキャラメルを買ってくれた。

「あのねえ、坊主のお月さんそっくりな、でっかいお月さんが出てるんだよー」

 僕は母から携帯を受け取ると、そう言った。

 その次は「パパー、いつ帰って来んのー?」と言ってから、泣きじゃくる予定だった気がする。

 そんな月だったのかもしれない。

 今日日、それはスーパームーンとでもいうのだろうか。


 お恥ずかしながら僕は小学校へあがるまで、月は西と東にひとつずつあるものだと信じて止まなかった。



……うぬっ?

 頭が空気のカタマリに乗っかり直角になっている。

 瞼がピクついた。まつ毛が幾度かパサつくと、

……あー、寝ちゃってるんだ、と現状を察した。

……夢かあ!

 首が痛いのもあったのだが、涎は垂らしていないか、股は大っぴらか? 誰かに迷惑を掛けていないか、などと模索しながらゆっくり眼を広げ、慎重に首を垂直に戻す。


 遅番のバイト後、コンパに合流し、酔っ払いの僕は中央線の最終電車の中だった。中央線は新宿を過ぎると立川までは見事に一直線だ。

 当初、国道20号線沿いに線路を敷く予定だったらしいのだが、牛の乳の出が悪くなる、鶏が卵を産まなくなったらどうする、煙で洗濯物が汚れる、などの苦情殺到で一直線になった、と雑司ヶ谷のおばあちゃんに聴いたことがある。

 だからか、座れれば必ずと言っていいほど寝落ちした。

 ところがだ。

 立川を過ぎ多摩川の鉄橋を渡る『ガタンゴトン、ガタンゴトン』で目が覚める。

 そして、あーあ、またやっちゃったあ! となる。

 ……酒にだらしないのは親父譲りなのかもしれない。

 ……酔っ払う親父を、母が嗜めていたのが脳裏に焼き付いていたからかもしれない。

 夢を見るにはそれなりの要因があるだろう。


 最終電車でも普段なら車内の隙間はさほどないのだが、今夜は日曜日だった。

 僕は帰り道の算段を整理しながら、日野駅前に降りたった。

 するとどうだろう。

 眩い光が僕を直撃する。

 煌々と照らされる一帯は別世界になった。

 最終電車の走り去った駅舎ごと宙に浮いて行くようだ。

 僕は夢の要因の説明が付くと、妙に嬉しくなった。無論タクシー代なんて持っていないし、歩くと決めていた。

……国立までだから、先ずは甲州街道沿いを行く。

……谷保天満宮目掛け日野バイパスを渡り、学園通りを行けばいい。

……学園通りは通学路でもあるから、国立とは言っても国分寺市に当たる北口だったけど、そこまで辿り着けば気が楽になるってもんだ。


 東口から八坂神社を通り過ぎ、土方歳三を想像しながら、のっしのっしと歩いてみた。

 父は新撰組が好きだった。

 土方は女性との浮名も多かったと聞くし、上野松坂屋(当時は呉服商)に奉公したとかしないとか。で、こともあろうに、なんと母は松坂屋のアナウンス部『迷子のお知らせをいたします……』とか『毎度ご来店くださいまして……』の、あの独特な声を出していたそうだ。まっ、花形といえばそれなり(?)で、新撰組好きの父は土方を気取り酒の勢いで母を口説いたのだろうか。

「土方は副長なのがええんや。賢いのはなあ、黒幕やでえ、二番手がイッチャン頭ええんや……」内容はよく解らなかったが、そんなことを言っていたような記憶がある。

「それになあ、えらい二枚目やろう! ワシと似とるがなあ!」と笑った。けれど寺田屋の話ばかりが先行して、父は阪神ファンだけど、どうも京都生まれらしかった。「京都の男はナヨナヨして嫌い!」と言う江戸っ子気質の母の顔色ばかりを伺った。そんなことを思い出しながら、土方の菩提樹である石田寺にでも寄ってみようかとも過ぎったのだが、僕の脚は自然に多摩川へと向かう。

 月は僕の方へ近づくと益々でかくなり、地面に落っこちそうなくらいの重力が視えた。

 多摩川と月はよく似合う(何処か・誰かさんの真似ではないが)と思う。

 特に多摩地区側の土手から見上げる月がいい。

 川の流れと逆らい上流に向かって上り、奥多摩の山林に沈んでいくのがいいのだ。夕月も丘陵の雲間に浮かんでいると、真新しいお月さんが生まれたのかと見間違える。

 僕は駅前通りを左に折れると日野橋を渡り、河川敷に駆け降りた。

 水面のさざなみはルナホワイト色に反射し、ススキの穂はシャンパンゴールドになびいている。

『シャラシャラ、シャーシャー』

 頭上から降り注ぐ閃光の音さえ聴こえて来るようだった。

 僕は薮の中を掻き分け、土手の遊歩道には上がらなかった。

 ムーンマジックに操られてでもいたのだろうか。河川敷の運動場ではバッドを振りホームベースまで走り込み、ドリブルしながらシュートをした。よーいドンとかけっこをすると、月は頭のうしろになっていた。

 いくつかの野球場やサッカー場を走り抜けるとススキの群生地が現れる。

 頬に穂を擦り付けながら両腕を開き後向きに歩く、

……スポットライトを浴びるミュージカル俳優みたいだ。

……何から何まで変態だよなあ! マジ、職質されるってー! と思った瞬間だった。

……あー、「坊主」だあ! 

 ススキの上にまんまるのお月さんが乗っかっていた。

 


 

 油っぽいような、ぬめっと冷たいものが僕の鼻にくっついた。

 黒ブチの犬が、尻尾をフリフリ僕の顔を覗いている。

 どうやら両腕を広げたまま、芒の絨毯に寝てしまったのだ。

 朝焼けの薄紫色が羊雲に吸い込まれていた。

「くろー、くっろー」飼い主の呼び声がする。

 僕は咄嗟に芒をむしり取り、束ねる。

……そりゃあそうでしょ、こんな処に居たんじゃ、泥棒か殺人犯が逃げ込んでいるとしか思われないよなあ。

「あー、びっくりしたあ!」

 くろを追いかけ芒を押し退けてやって来たおばさんが、息を切らして目を丸くして言った。

「あー、ホント驚いたあ! 何してんの? こんな所でー」

「これですか? 十五夜にね、芒のミミズクを作るんですよ」

「ミミズク?」

「えー、雑司ヶ谷の鬼子母神でね、芒のミミズクってのがあるんですよー」

 僕は小さい頃、本当にまだ幼稚園にも行っていない小さい頃、雑司ヶ谷のおばあちゃんにススキのミミズクをこさえて貰ったことがあった。男の子だからか、あまり興味を示さなかったようでその一度きりだったが、何故だか父親が気に入り無造作に長押に差し込んだ。そいつは父親が居なくなってもブラブラし、僕がウチを出るまでそこに居た。そうでなくともふわふわしているのに、埃が纏わりついて冬支度もやり過ぎのミミズクになっていた。

 僕はおばさんにスマホの写真を見せると「江戸時代からですね、多摩川の芒を採りに行って作ったそうですよ」などの由来やらを説明しながらミミズクの軀を束ねる。

「あっらー、可愛いわねえ。へっー、初めて知ったわよー」と暫く見ていたが、「くろー、くっろー」とまた何処かへ行ったくろを追いかけ、その場から去っていった。


 まだ居るんだろうか? あのミミズク。


 母の実家の雑司ヶ谷の家は、鬼子母神の大きな銀杏の木の側だった。

 父は母の両親との折り合いが悪く、半ば駆け落ち同然だった。

 その銀杏の木の下で待ち合わせをしたある夜、ふたりは上野駅まで歩いたと聴いた。満月の夜で前途洋々だと感じたそうだ。

……なのにさ、なんでさ、なんで三人が三人、バラバラで暮らしているのか?

 母は勝気なのか、実家には頼らずひとりで僕を育てた。

 僕は口煩い母親には嫌気がさし、高校進学から大学へと家を出てかれこれ8年になる。父親に似て神経質でくどい性格が嫌だったのだろうから、仕方あるまい。

 父親は関西でどうしているのか、何処に住んでいるかも分からない。筆を使って挿絵や文字などを描いていたことだけは覚えている。まあまあのグラフィックデザイナーだったことはおじいちゃんから聴いている。おばあちゃんの「あんな絵描きくずれなんか……」の口癖は、今でも時々思い出す。

「この札、綺麗やろー、デザインとしては凄いんやー。あの横尾忠則だって取り入れたりしてたんやでー」って、《こいこい》をやりながら言っていたっけ。

 僕もホントは美大に行きたかったのだけど、絵描きくずれ! がトラウマになり、わざわざ東大を目指せる高校に越境したが、あばあちゃんの期待を予想通り裏切り、二浪のあげく国立市の国立大学へ通っている。




 中秋の名月を表現した八月(旧暦)の札は「芒に月」と言う。

 そもそも花札、もしくは「芒に月」札を「武蔵野」と呼ぶらしい。


 今夜のお月さん、父さんも母さんも(ついでにお婆ちゃんも)見上げたのだろうか。

 僕は見ていたよ。


……パパ、お月さんはひとつだけどね、誰からも何処からも、世界中から観えるんだよ! ひとりにひとつずつさっ!(笑)



 


 






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ふたつの月 前 陽子 @maeakiko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ