見上げた空にブロックノイズ ― Vtuberと異世界転移、からぁのファーストコンタクト ―

彩葉陽文

1 ――ある日の配信


 一度大きく両腕を頭の上で交差して、背伸びをする。

 腕を上げたまま、体を軽く左右に揺らす。

 腕をおろして目を閉じる。

 そして深呼吸。

 目を開けて、口を大きく二度ほどパクパクと開け閉め。

 そして小さく、呪文のようにつぶやく。


「『私』から『ボク』へ――」


 そして椅子に座り、マウスを手に取り、動画配信サイト【YouCast】の配信開始のボタンを押す。


 いつもの待機画面。

 繰り返しの待機動画。

 緩い雰囲気のポップな音楽が繰り返し動画と共に流れる。

 画面中央に、斜めにロゴは『紅花るぅな準備中!』。


「さぁて、始めますか」


 小さくつぶやいて、待機動画をオープニング動画に切り替える。

 ここまでがいつものルーティーン。

 オープニング動画が終わった瞬間、タイミングよく画面を切り替える。

 そこには、赤と黄色のグラデーションの髪色をした、かわいらしい二次元の美少女が映っている。

 髪の毛の右側には紅葉、左側には楓の葉をかたどった髪留めがついている。

 美少女は笑顔で、やがて口を開く。


「こんこんるーぅ! 【中つ国】3期生! 行方不明となった兄を捜しにヴァーチャル地球にやってきたヴァーチャル異世界からの流れ人、紅花るぅなだよ!」


 声を張り上げる。

 どこまでも通るように。

 声を作っているのとはちょっと違う。

 いつもより、普段より、ほんの少しだけ張るのだ。

 それだけで『私』の声は『ボク』の声になる。

 そうして反応が返ってくる。



:こんこんるーぅ!

:こんこんるーぅ!

:おかえりー

:待ってたよー



 配信画面の端を流れていく、コメント。

 いつも通りの暖かな反応に、ボクはわずかな苦笑と共に安堵の息を漏らす。

 流民(紅花るぅなの配信に来るリスナーたちの呼び名)たちにはいつも支えられている。これと言って特徴の薄い、ボクの配信に来てくれる貴重な人たちだ。非常に個性的な同期や先輩たちに比べて伸び悩んでいるとはいえ、だからこそヽヽヽヽヽとても感謝していて、その声はいつもボクの心の支えになっていた。


「昨日はいきなり配信休んでごめんねー!」



:良いってことよ。

:ゆっくりと休みなー

:ちゃんと休めてえらい!



 流民たちの反応は、だいたい全肯定である。

 同期や先輩たちの中にはリスナーと喧嘩まがいのやり取り――プロレスを頻繁に行う者もいるが、ボクの場合はだいたいこんな感じで、常に穏やかな空気が流れている。

 それが心地よくて、安定している、とも言える。しかし安定は起伏に欠け、盛り上がりの少ない配信は、切り抜きなどで拡散されることも滅多になくて、それが伸び悩みの原因になっているのだった。

 自覚はしているのだけれども、ボクは自分からそれを手放すことができない。

 特に気持ちの落ち込んでいる、今、こういう時には。特に。



:初期挨拶?



 ひとつのコメントが目に留まった。

 ボクの配信では珍しい、ボクこと紅花るぅなの言動に対するツッコミだ。

 いつもはスルーすることが多いのだが、今日のボクは反応せざるを得なかった。

 ある意味、待っていたコメントだったからだ。


「初期挨拶……、そう、気付いた?」


 こくりと首を傾げる。

 多くのVCasterには『設定』と呼ばれるものが存在する。

 VCasterとしての実在にキャラ付けするために組み込まれている、ストーリーがある。


 紅花るぅなにも当然それはあって、ある意味、リアルの状況に近い事情のものもあり、ゆえにそれを違和感なく使えるだろうとのことで公表されていた。


 紅花るぅなは、ある日突然行方不明となった兄を探すために、ヴァーチャル異世界からヴァーチャル地球にやってきた流れ人である。


 だから初めのあいさつにそのことを盛り込み、使っていたのだ。

 まあ最も、デビュー後ひと月も経てば忘れられて、挨拶もシンプルに『こんこんるーぅ! 【中つ国】3期生! ヴァーチャル異世界からの流れ人、紅花るぅなだよ!』といった感じになり、行方不明となった兄の存在を語ることなどなくなってしまったのだけれども。

 ちらりと、今日のタイトルに目をやる。



【雑談配信】もしくは、告知とご報告――



「不穏な言葉でごめんね。でも、ちょっと、流民たちにも言っておかないといけないと思って……」


 言葉を止めて、少し溜めを作る。

 この後の言葉を効果的に響かせるための、ちょっとした演出。

 大げさにならない程度に、ちょっと演技っぽく――要するに、嘘っぽく見せるのが目的。

 これは演出なんだ。演技なんだ。物語なんだと、そう信じ込ませるために。



:なんだろう?

:新衣装……じゃ、ないよね?

:ライブとか?

:いや、オリ曲発表とかじゃない?



 流民たちの予測のコメントが流れていく。

 その中に、正解のコメントは、ない。

 そのことにボクは、少し安堵した。


 流民たちは、それが嘘だと、演出だと、物語だと、設定だと、作られたものだと知りつつも、それに乗ってくれる。

 そのことがわかっているから、ボクは安堵して、ほんのわずかな罪悪感に、蓋をするのだった。


「実はね、行方不明だった兄が、見つかったんだ!」


 ことさら大げさに、嬉しそうに声を張り上げる。

 一瞬、コメントが止まったように感じられた。

 一体何の話を言っているのか、言葉の意味が、やや理解され難かったのだろう。



:え、いきなりなんだ?

:まじで?

:ん、んんん?

:設定じゃなくて、リアルの話?



 ボクは過去の配信で、たびたび行方不明になった兄について語っていた。

 情報を小出しにするように、少しずつ。

 下校途中に突然いなくなったとか、局地的な雷と豪雨があったとか、行方不明になったのは兄だけではなく、同級生の女の子と一緒だったとか。身バレ回避のためにフェイクを混ぜているとか。

 そんな風に、当たり前に配信で語っていたため、『行方不明の兄』の存在は、紅花るぅなの設定というだけではなく、『中の人』の事実リアルではないかと、噂されていたのだった。

 まあ、それはその通りではあるのだが、中の人などいないという建前上、ボクがそのことを明らかにすることはない。

 だからボクは、さも当たり前のように話を続ける。やや、流民たちを置いてけぼりにして。

 だがどうせ、すぐに皆、驚愕するはずだ。

 そしてこの後のこの配信は、過去にないほどバズるだろう。

 ボクはそう確信していた。

 ボクも、そして、今、このボクの配信を見守っているはずの、株式会社REEDの社長たちや、Vライバー事務所【中つ国】のマネージャーたちも。そして、事前に情報を漏らした、同期や一部の先輩たちライバーたちも。


「昨日はそのことで、ほんっとーにバタバタしてたの。それで、配信、ドタキャンになっちゃって、流民たちにもちゃんと説明できなくて、ごめんね」



:ううん、そんなことならしようがない。

:お兄さん見つかってよかったね。

:……ブラコン拗らせてたもんなぁ。



「ぶ、ぶらこんじゃないしっ!」


 そんな照れ隠しと本音の混じった返答も、今日はちょっと趣が違う。


「いろいろと複雑なんだよ! 一緒に行方不明になってた同級生も見つかったし!」



:え、まさか本当に駆け落ち?



「違う。今から兄たちが、送ってくれた動画を皆にも見てもらうけど、正確にはまだ、兄たちは行方不明のままなの。ただ、連絡が取れるようになった。けれども、物理的に行ける場所じゃないから、連絡しか取りようがないっていうか……」


 ちょっとボクは言葉を濁す。

 意味の分からない言葉だろうと思う。

 兄からの動画を流すことは決定している。けれども、いきなり流したら、さすがにわけわからなくて、混乱するだろう。だから、ある程度の事前情報は、動画を流す前に開示する必要があった。どの情報をどの程度まで流すのかは運営の間にも異論があってまとまらず、最終的にはボクの判断に任せるなどという事態になってしまって、なんだかプレッシャーがあれで、胃がキリキリしてくるのだけれども。



:どういう意味?

:行方不明のまま?

:物理的に行ける場所じゃない?

:はっ、わかった。るぅたんのお兄様は、異世界転生したんだっ!



 おおぅ、と核心を突いたコメントに思わず感嘆の声を漏らしそうになる。

 だが、チャンスだと思った。このコメントには、乗らなきゃダメだと。


「おおっと、よくわかったね。兄は異世界の神様に誘拐されて、異世界転移したんだよ!」



:へ?

:え、まじ?

:な、なんかの企画?



 混乱するコメント欄に対して、ボクは決めていた通りに、あえて無視して話を続ける。


「いきなりだけど、兄が、手伝ってくれている流民たちに対して、挨拶がしたいっていうから、動画流すね」


 そういってボクは、配信画面の設定をいじって、ボクの立ち絵を画面の右下に退避させて、動画を映すための枠を作る。


 ――そして、その動画は流された。






 その映像は、どこかの丘を俯瞰視点で映しているようだった。


 青い空の下に広がる丘陵。

 緑の草が覆い茂る丘の上には、人の足によって踏み固められたらしき道がまっすぐ伸びていて、丘の向こう、小さく見える林の奥へと消えている。

 それは綺麗な映像だった。

 映像は丘を上空から見下ろすように映り、道からやや外れた丘の中腹、小さな岩地の影の方へと向かっていく。

 それが実写であれば、ドローンの空撮のような映像だと、誰もが思うだろう。

 けれどもその映像は、どれだけ綺麗であろうとも、流麗であろうとも、二次元のアニメーションで構成されていた。



:アニメだ!

:何かのPV?

:結構、作画良くないか?

:どこの制作だろう?



 やがて映像は、木陰で休んでいるひとりの若い女性へとゆっくりと向かっていく。

 ボブカットの薄い茶髪の女性は簡素なエプロンドレスを着ていて、足をそろえて座っている。視線を手元に向けていて、そこに小さな本が開かれていた。

 ややむっちりとした太ももに、服の上からもしっかりと存在を主張している胸。輪郭でエロそうに見えるのだけれども、どこか全体的にほんわかとした雰囲気が漂っている。

 やがて画面は彼女の表情のアップになる。そこで女性は初めてその存在に気づいたようにカメラ目線になって、微笑んだ。



:かわいい

:かわいい

;かわいい

:Cuteだ!



 配信のコメント欄は「かわいい」一色で埋まる。

 ボクもそのコメントに同意を示すのはやぶさかではない。

 昨日、散々話したのだ。

 その可愛さについては、いろいろと。


 だから、


「うん、かわいいよね」


 と同意した。

 その言葉に対して、動画の中の女性は、はにかんだように目をそらして、しかしすぐに視線をカメラに向け、やや上目遣いになると、口を開いた。


『かわいい、って言ってくれてありがとうね』


 落ち着いた感じの柔らかい声。聞くだけで安心感をもたらすような耳に柔らかい声だった。



:は? 返答した?

:え? PVじゃないの?

:な、何だこれは?



 途端に混乱するコメント欄。

 何かのPVか動画だと思っていた画像が、リアルタイムにアクションを返してきた――少なくともそのように見えた――のだ。



:タイミングよくるぅながリアクションしただけじゃないの?

:台本でしょ? どうせ。



 もちろん、一回のやり取りでは当然そんなコメントも出てくる。

 あらかじめ作ってあった動画に、視聴者のコメントも予想して、タイミング良くボクが返しただけなんじゃないかと。

 いくら流民たちがボクの言動に対して全肯定な人ばかりだと言っても、もちろん中にはそうではない人たちもいる。だからそんな懐疑的なコメントが出ることも、もちろん把握していた。

 けれどもそんな疑問はすぐに消えると、ボクは知っている。

 だからボクは、彼女を紹介する。



「みんな、紹介するね」

「ボクも昨日知ったばかりでまだ少し混乱しているんだけど」

がかつてボクの兄だった存在――」

「けれども今は、異世界にTS転生した美少女――」

「メイプルさんです」



 一気に言う。

 コメントの反応が追い付くのを待たずに。

 そして彼女――元兄の美少女メイプルさんも追随するように、立ち上がり、膝の誇りを叩くように服の裾を祓い――と同時にカメラはやや後ろに引いて――再びカメラ目線となり、丁寧に一礼をする。



『はじめまして、流民の皆さま。るぅなの元兄である『紅花なた』――今の名前は『メイプル』です』



:まって、まってまて、情報多い!

:ナニコレ、アニメが喋ってる!

:アニメが喋るのは当然でしょ!

:違う! アニメと会話している!

:TS転生って何!?

:アニメが会話するのは普通でしょ!

:そうじゃないそうじゃない。アニメ映像と、オレたちが会話してるんだ!



 元よりVCasterの視聴者たちは、二次元の絵が動いて会話をすることには慣れている。

 ある意味日常と言っても良い。

 その彼らにとってみても、この映像は衝撃だろうと、ボクも思う。

 何せ、その映像の中にいる彼女――メイプルは、VCasterより遥かに自由に表情を動かして、自然にほほ笑みかけてくるのだから。



『そうですよー。びっくりしました?』



 メイプルは自然な動作でこちらへ向けて手を振り、ほほ笑む。その表情は一度だって同じものはない。その間にも背景の草原では草が風によってそよぎ、太陽の光は緩やかに降り注ぐ。風の音が自然に流れ、時折強い風がメイプルの髪を撫でていく。明らかに、状況は変化し続けていて、全く同じ情景になることは一切ない。

 こんなこと、今の技術では、ありえないはずのことだった。

 作られた動画だと思うしかない。

 けれどもその動画の中にいる人物は、リアルタイムにリアクションを返してくるのだ。

 混乱しかなかった。



:ええ? どういう技術だ?

:何々? いきなり予告なく新人の発表なんてするの!?

:なんで、るぅたんの枠で発表なの??



「そーだよねー。わけわかんないよねー」



:るぅたん、反応薄くない?



「昨日、びっくりしすぎてて、今日はどっか抜けてる感じがする」



:えええ? るぅたんが知ったのも昨日なのか。

:急すぎないか?



 混乱か困惑に代わるころ、穏やかにほほ笑んでいた兄――メイプルが口を開いた。



『まず、どうして私がここにいるのか、話しておきましょう』


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見上げた空にブロックノイズ ― Vtuberと異世界転移、からぁのファーストコンタクト ― 彩葉陽文 @wiz_arcana

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