エピローグ②

「え?何その指の動き」

 久しぶりに四人で集まって遊んだ帰り道、最近私が習得した滑らかな指の動きを見せつけると、那月は少し引いた。

「どう?凄いでしょ」

「なんなの、それ」

「大学入ってさ、ギター始めたんだ。って言っても、まだコードもまともに覚えてないけどさ」

 言いながら、ギターの教本に書いてあった指の体操を見せつける。

 私と那月の実家は近いので、自然と帰り道は二人きりになる。

「へぇ。また何で?」

「……何でだっけなぁ。なんかさ、卒業してから急にギター弾いてみたくなってさ、買っちゃったんだよね」

 まぁ、よくある衝動買いだ。だけど、私にしては長続きしている。

「そっちはどう?やっぱり東京は楽しい?」

「んー、どうだろう。それなりに友達もできたけどさ」

 何だかその後にも言葉が続きそうな、半端な部分で止まったので私は那月の顔を覗き込んだ。

「あ、ホームシック?」

「ま、似たようなものかな。どこに行っても人で一杯だからさ、気疲れしちゃう」

 東京にいる時の那月は、私の知らない那月なんだろうな。

 それが少し面白くなくて、ふーん、と簡単な相槌を打ってからは、少しだけ無言の時間が流れた。

 少し歩くと、いつだったか、初めて那月と出会った公園に辿り着いた。ここからもう数分も歩けば、私と那月の分かれ道だ。

 でも、もう少し一緒にいたくて、私は足を止めた。

「ね、那月。少し公園に寄ってかない?」

「懐かしいね、ここ」

 初めて那月と会った公園。あの頃に感じた、衝動的ともいうべき感情は今も私に中に根付いている。

「何かさ、夢みたい」

「なに?急に」

「那月と毎日一緒にいた時間が、急に無くなってさ。高校時代のあの時間が、夢みたいだったな、って思ってたんだ。あの頃は、楽しかった」

「そうだね、あの頃は本当に楽しかった」

 しみじみと那月は呟く。

 まだ、昔を懐かしむ程年老いた訳じゃ無いけど、それでも今でも那月と過ごせたあの時間を思うのは、未練とでも言うべきだろうか。

 ふと思い出す。

 そういえば、最後に那月に会った時。私は彼女に想いを告げることが出来なかった。

 それは単に勇気がなかった、という訳でも無いような気がする。

 例えば、常識的・倫理的な問題だったり、保険のようなものだったり。様々な現実的なしがらみは、同性への恋心を萎縮させていく。


 きっと今日も、私は一歩を踏み出せないのだろうな。そうしていく内に、那月とどんどん疎遠になっていって、私はこの恋心と共に死んでいくのだろう。

 そんな悲観的な未来だけが、私の前にあるような気がした。


「最後はやっぱり、悲しいよね。どれだけ楽しくても、どれだけ幸せでも、訪れる最後というのは寂しくて悲しかった。卒業っていうのはさ、多分そういうことなんだろうね」

 那月は月明かりの下で、熱帯夜と呼ぶには少し熱気の物足りない夏の夜の中で、不意にそんなことを言い出した。

「だけど、そう思ってしまうのはやはりそれまでが幸福なものであったということに他ならない、と思うんだ」

「あー、何だっけ、死を想えってやつ?」

 ついこの間、大学の西洋史の講義で聴いたような気がする。

「あはは。そういう大層な話じゃあないよ。世の中に溢れる当たり前の話。例えばそうだなぁ、仕事の合間に飲むコーヒーは普段より少しだけ美味しく感じるとか、ふとした瞬間に気付く季節毎に異なる風の匂いとかさ。人それぞれ感じ方は違うんだろうけど、でもきっと共感してくれる人は多いだろうなっていう話」

「なんか分かるような気がする。あれでしょ?ほら、夏に食べるアイスより、冬の時の暖かい部屋の中で食べるアイスの方が美味しく感じる、みたいな?」

 分かる人には分かる、というやつだろうか。那月が未だに何を言いたいのか、それは分からないけど、頷いておく。

「そうそう、そういう話なんだよ。私の思うどれだけのことに、ナズナは共感してくれるのだろう、っていう話さ。例えば、ブラックコーヒーは苦手だけど匂いは好き。虫は苦手だけど何故か蜘蛛だけは可愛く見える。例えば——」


 好きになった人が、好きになってはいけない人だった時、君はどうするのか、とかさ。



 ——ああ。そんなの、決まってる。

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優しい夜の果て【完結】 カエデ渚 @kasa6264

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