第八話 手探り
君がいないからって、多分私の人生が不幸になるとか、二度と幸福になれないとかそういう訳では無い。
多分誰かと幸せになることだってできるし、君がいても不幸になってしまう可能性だって普通にあるだろう。
だというのに、私はどうしてここまで固執するのだろう。
君がいなくても、きっと私は生きていける。私がいなくても、きっと君も生きていける。
特別なんかじゃ無い。
でも、当たり前のように隣にいた日々が、当たり前では無かったのもまた、事実だった。
薄く揺らいだ景色の中。道を歩く私の右の肩越しの景色に、一つの空隙があった。画用紙いっぱいに鉛筆で描いた風景画の一部を、消しゴムで消したかのような、空白。
元々そこに何が描かれていたのか、すぐに分かってしまう。
ナズナは、いつもそこにいた。私の隣に、当たり前のようにいた。
手を伸ばしてみると、ぼんやりとナズナを感じたような気がした。
夏休みも終わりが近い。
夏休みの間、正体を掴めない謎の存在と接触してからは、私はこの世界と以前の世界の違う場所を探すことに躍起になっていた。
記憶と違う部分を照らし合わせるのは、なかなかに骨のいる作業だった。
それでも、どうにかこうにか記憶と違う場所を何箇所か見つけることはできた。
住宅街にある若い夫婦がやっている喫茶店、タバコの匂いが染み付いている古臭いカラオケボックス、駅ビルの中に入っているセレクトショップ。
全て、ナズナとの思い出がある場所だ。とはいえ、共通項がそれだけだ。もしナズナとの思い出が条件なのだとしたら、高校だって、いや、それどころかこの街の殆どが変貌していなければおかしい。
だが、思い出に強弱があるとするのならば、意識しなければ変化に気づけないようなそれらは、確かにナズナとの思い出が強いと言える場所でもある。どれも、二人きりで過ごした場所なのだ。いつもの四人で過ごすのも楽しかったけど、二人きりで過ごした時の記憶は強烈に残っている。
手段や方法はどうあれ、そうなってくるとこの世界の原因は私がナズナのどちらかにあるという訳だ。
(そして、それは多分私の方なのかもしれない)
ナズナを友人以上に想っているのは、私の方だからだ。
もしかして、上京した初日の夜に、想いに気づけなかったことに後悔したからだろうか、心の奥底でもう一度戻りたいと想ってしまったからだろうか。
神様とかそれに準ずる何か神秘的な存在がいたとして、そういう何者かが私の願いを半端に叶えてくれたから、こういうことになってしまったのか。
「……」
だけど、少しでもナズナの方にも可能性があるというのなら。
この世界にいる男のナズナにも、何らかの手掛かりがあるに違いない。
メッセージを送ると、直ぐに返事が送られてくる。
ナズナは会ってくれるらしい。文面からは、彼の気持ちまでは察することはできないけど。
◇
集合場所は駅から近いファミレスだった。なんでも、ナズナはメッセージを送った時からそこにいたらしい。
「宿題でもしてたの?」
テーブルの上にルーズリーフが数枚広げられていて、ナズナは難しい顔でシャープペンを片手にうんうん唸っていた。
私の言葉に顔を上げたナズナは笑みを浮かべたが、何故だか妙に疲れ切っている。
「来週、ライブやるだろ?確か、チケット渡したよね?そのライブで新曲やるんだけどさ、歌詞が浮かばなくて」
どうやら、彼のバンドの作詞担当はナズナらしい。女性のナズナなら、どんな歌詞を作るのだろう。
対比する訳じゃないけど、今の男のナズナを前にするといつもあの頃のナズナが顔を出して懐かしい思い出を振りまいて消えていく。
それが苦しくて、彼に会うのを躊躇ってきたのかもしれない。
「へぇ、各務君は理系だからてっきりそういうの苦手だと思ってた」
「うーん、そうなのかな。あ、それで急に会いたいって何かあった?」
ナズナの当たり前の疑問に、私は言葉を詰まらせた。会って手掛かりを掴みたいとは思ったが、それを引き出すための会話なんて考えていなかったからだ。
「京崎さんと、どうなのかなって」
「智香と?あー、まぁ、どうなんだろう。それなりに仲良くやってるよ」
なんだか歯切れの悪い返答だ。喧嘩でもしたのだろうか。
妙に引っかかる反応だったが、男のなずなの恋愛事情に首を突っ込むつもりはないので、取り敢えず気付かないふりをして、別の質問をしようとしたタイミングで、ナズナが話を差し込む。
「そういやさ、芹川ってさ北海道から引っ越したんだよね?」
「うん、そうだよ」
「北海道ってさ、どんなところ?」
うん?急に何を聞いたのだろう。智香と北海道旅行の計画でもしているのだろうか。
「どんなところって言われてもなぁ……。何を聞きたいの?」
「え?えーっと、例えば……ご飯とか?」
「何で疑問形?まぁ、いいけどさ」
妙なところで口籠もるナズナを訝しみつつも、久しく思い出すことのなかった故郷の風景を思い出してみる。
物寂しい場所だった。極端に人が居ないという訳では無く、人口の数と街の規模が釣り合っていない景色だとか、曇天の空がその印象を強くさせているのだと思う。
「そうだね、やっぱり魚介類は美味しいよ。あと、スパカツとかも男子なら好きかも」
「スパカツ?」
「ウチの地元のB級グルメ。スパゲティの上にカツが乗ってるの。単純な味だけど、私は結構好きだったなぁ」
もし、元の世界に戻れなかったら、地元の釧路に行くのもいいかもしれない。
「昔からガッツリした物好きだったもんねぇ」
そんなことを思いながら相槌を打つように半ば無意識に言葉を返す。
迂闊にも、以前のナズナと話すような感覚で喋ってしまった。やってしまった、ナズナの方を見ると怪訝そうな顔を向けている。
「ほら、昼ご飯とか結構いっぱい食べてるイメージだし」
慌てて付け足すように誤魔化してみる。勢いで何とかなるだろうか。自分でも無理矢理だなとは思うが、ナズナはそれで納得したのか特に追求するようなことはなかった。
——だけど何故、昔のナズナと話しているような気分になったのだろうか。
もはや目の前のナズナと私の恋したナズナは別人だと知り尽くしているはずなのに。というよりも、同じナズナだと認識する方が難しい位なのに。
無意識下の私の判断は、何故だろうか、私にとっては重要なヒントのような気がしたのは、気のせいだろうか。
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