第七話 綻び ①

 上擦った声が響く。

 緊張という訳ではない、恐怖という訳でもない。自分でも正体の分からない感情が、喉を震わせていた。

 少なくとも、私だけだった。今この空間に対して、正常ではないと感じているのは。


 スタジオを借りてバンド練習するという話で、私はその日初めて畑中以外のバンドメンバーと顔を合わせる。

 スマホに入っていた音源のおかげで歌えることは歌えるけど、歌いながらギターって弾けるのかしら。なんて、呑気な悩み事を抱えつつ集合場所へと向かう。

 どうやら私が最後のようだ。

「ごめん、遅れた……えっ!?」

 我ながら素っ頓狂な声が出た。その原因は畑中が夏休み気分に浮かれて、ド派手な金髪ボウズになっていた訳ではない。

 だが、畑中は私の驚きの声を自身のイメチェンだと信じて疑う様子はなく、何処となく自慢気に坊主頭を見せびらかした。

「似合ってるだろ?ドラムって感じじゃね?」

「……金髪ボウズはイカついと思うけど」

「ベリーショートって言うんだよ、似合ってんべ?」

 え、何その田舎ヤンキーみたいな言葉遣い。私はドン引きした様子で畑中を見ていると、笑いながらベースを担いでいる篠宮が突っ込む。

「いや田舎のヤンキーかよ」

 なんだ、このバンドでは定番の身内ネタなのか。

 いや、そうじゃなくて。

 初めて会う篠宮が、何故篠宮だと理解できたのか。それが問題だ。

 紛れもなく篠宮なのだ。篠宮晴美そのものであった。だというのに、男子のようなTシャツとジーンズ姿で。

 声も姿も、前の世界の篠宮だと言うのに。

「どうした?ナズナ、ボーッとして」

 もう一人のギターを担いだ男子がそんなやり取りを眺めて唖然とした様子の私に声をかける。

 消去法で、多分この人がリードギターの倉沢とやらだろう。

「ん……いや。ごめん、暫く見ないうちに篠宮がなんか随分女の子っぽくなったなぁって」

「へ?あのゴツい体みて、女の子っぽい?」

「えっ!?」

 いやどう見たって華奢な女の子の身体じゃないの。例え冗談でもそんなこと女子に言う男はモテないぞ。

 だなんて言う気力は流石に無い。

 少なくとも彼らには、篠宮は男らしい筋骨隆々の身体を持つ男性に見えているようだ。

 私にはやっぱり、晴美の姿にしか見えない。

「まーいいや、とっとと練習始めようぜ」

 畑中がリーダー風を吹かせて、私達をスタジオまで連れて行くのを見ながら、私は初めてこの世界が異様な場所なのだと気づき始めていた。


 正直言うと演奏どころじゃない。

 というのが今の私の状態ではあるが、篠宮に対して誰も疑問を抱いていない以上、ここは私も過剰な反応を控えて様子を見るのがベターなのだろう。

 だけど、やっぱり目で追ってしまう私がいて。

「んー、どう思う?」

 通しで演奏してから、納得いかないような表情で、倉沢が言う。誰とは明言してないが、絶対私の演奏が足を引っ張っていた。或いは歌声かもしれない。

「ごめん、ちょっと休憩していい?少し集中してくる」

 とにかく、この場は何とかやり過ごさないと。問い正すにしても、それとなく様子を伺うにしても篠宮と二人きりの時だ。

 スタジオの防音扉を開いてから、外の休憩スペースの椅子に座る。

 間違いなく、この世界の違和だ。晴美の中身がどうであれ、ようやくこの世界が私に見せた綻びだ。

 ——果たして、それを見つけたところでどうなる?

 そんな疑問もある。

 私は何の力もないただの一般人だ。たまたまこの世界に迷い込んだだけの、普通の人間。

 仮に私が何億円も稼ぐ経営者であろうと、世界で活躍する一流プロスポーツ選手だろうと、この事態をどうこうできる力は無い。

 この世界の矛盾を一つ見つけたらといって、喜ぶこともできない。

 だけど確実な成果ではある。

 この調子で一つずつ矛盾を見つけていければ、或いは元の世界へ戻れるようになる手立てが見つかるのではないだろうか。


「……なんかあったのか?ナズナ」

 自販機で買ったのか、手に持っていた二つの缶ジュースのうち、一つを投げ渡したのは篠宮だった。晴美の姿をしているが、やはり中身は男なのだろう。

「いや……。篠宮って、学校どこだっけ?」

「え?あーっと……」

「篠宮?」

 突然固まる篠宮。

 私はそれを見て思わず声をかけるが、うんともすんとも言わない。

 ピクリともしない。

「おい?どうした?」

 目の前で手を振っても、体を揺らしても、何も反応が無い。

 一体何事だ?何が起きているのだろう?

 突然の異常事態に私の方が固まりたい位だ。なんて思いながらも、とにかく人を呼ぼうと立ち上がると、篠宮が突然腕を掴む。

「西山高校だ。うん、そう。西山高校」

「篠宮……?」


「ナズナ、忘れないで——西山高校だから」


「晴美……?」

 様子のおかしい篠宮だったが、何故だか一瞬、本物の晴美が喋っているような感覚があった。

 いや、晴美じゃないかもしれない。しかし、何故か、懐かしい感じがしたのだ。

 その感覚が確かなものか、確認しようともう一度篠宮の肩に手を置いて揺さぶってみる。

 しかしその瞬間、ざらついた視界が広がり、数秒前の光景に戻る。

 つまり、私が椅子に座っていて、そばに篠宮が立っている。


「どうした?」

「晴美、だよね?」

「はぁ?何言ってんだ?」

「いや、何でも、ない」

 また、元の篠宮に戻っているようだ。

 いよいよ何かきな臭いことになって来た。もしかしたら、本当にこの世界に連れてこられたのは作為的な何かがあるのかも知れない。

 例えば、元々この世界が存在していて、何らかの自然法則や偶然の類のきっかけでこの世界に来たという訳ではなさそうだ。

 なにか、ある。

 少なくとも、私の思う世界の在り方とは異なる法則でこの世界は存在している。


 ならば、活路はある筈に違いない。


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