第六話 存在理由をもう一度 ②
石段を駆け上ると、赤い鳥居があって、玉砂利が敷き詰められた境内がある。
町の名前とは縁もゆかりも無い名前の神社で、由来は知らないが、案内板には建立から400年近くが経っていると書いてあった。
だが、そんな歴史とは関係なく荘厳さを感じさせる。手入れが行き届いているというのもあるだろうが、高台にある公園よりも更に奥まった場所にあるため、車や雑踏の音が一切聴こえてこないというのが大きいのだろう。
ナズナと別れてから、彼の言った言葉が気になり、再度久瀬大橋駅を調べた。
昨日には検索にも引っ掛からなかったその駅は、まるでずっと存在していたかのような当たり前さで検索エンジンの一番上に地図付きで出て来た。
よもや昨日のあの光景は夢だったのだろうか。そんな疑いすら意味はなく、この世界において今ある姿が正しいのだと言わんばかりの当たり前さをもって久瀬大橋駅は存在していた。
白昼夢のように、今いるこの世界の不確定さが恐ろしくて、私は音の無い場所を求めて神社に来ていた。
量子物理学の通り、観測するまで結果が確定しないのならまだ理解は出来る。
だが、観測した後に結果が変わるというのはあまりにも不条理だ。
この世界は単なるパラレルワールドでは無いということを、まるでこの世界の異分子である私に突きつけているような、見えない害意が存在しているようだ。
まるで神様が私をこの世界の住人じゃ無いから早く出て行けと急かしているような気がする。私だって出来るものなら、いつか夢見た夢のようなあの世界へ戻りたいと思っている。
もしかしたら、神様に一言文句が言いたくて、こんなところまで来たのだろうか。
もし無意識のうちに、そんなことを思ってこんなところまで来たというのなら、存外私にはまだ可愛らしいところが残っているじゃないか。
苦笑しつつも、朝日が強くなって本格的に一日が始まろうとしているのを感じ取った。
「久しぶり、那月」
「えと……京崎、さん?」
疑問符がついたのは、この世界での智香は私のことを那月なんて呼ばないからだ。
最初からそこにいたかのように、縁石に腰掛けている。つい先程ナズナがいたことを考えると、もしかしたら二人で仲睦まじくジョギングでもしていたのだろうか。
それにしては、服装は運動に向かないワンピースを着ている。
「夢だと思った?」
「……夢?」
今の智香が生み出している距離感は、まるで仲が良かった頃のようだ。
それが引っ掛かって、私はどこかで警戒心を露わにしてしまったようだ。半ば反射的な鸚鵡返しには、訝しむような気持ちが含まれてしまった。
「うん。ナズナが女性だった頃の世界を、夢だと思ってるのかなって」
「も、もしかして智香っ!と、智香も!?」
期待が膨れ上がる。自分でも分かるくらいに、動揺している。疑問が湧き上がる。
同時に色々な感情と疑問と思いが頭の中を駆け巡って、上手く思考がまとまらない。
そんな様子を智香は少し笑ってから、言う。
「この世界が本当の世界だよ。本当は気づいているんでしょ?貴女がナズナと過ごした世界は、本当は存在なんかしてないことに」
「えと、何言ってるか分からないよ。智香は、その世界の智香じゃないの?」
智香は無言で首を振ると、ぐにゃりと姿を変えた。今度は晴美の姿をしている。
「ここは神社だからね、少しくらい不思議なことが起きても全然不思議じゃないでしょ?」
「……じゃあ、あの世界が夢だったとして、なんであんなものを見せられたの?なんでその夢に永遠に閉じ込めてくれなかったの!?」
「誰だって夢を見るよ。その夢が本当かどうかは誰にも分からないんだ。胡蝶の夢ってやつかな」
「もう……っ。嫌だよぉ……。訳、分かんない。返してよ、ナズナを返してよ!」
私は泣き崩れた。涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃになって、懇願することも醜く駄々をこねる事も、意味はないと知りながら、それでも口からはそんな言葉ばかりが溢れてくる。
「じゃあ、コレで満足?」
今度はナズナの声だ。あれ程愛おしく思っていた、ナズナの声だ。
だけど、今だけはその声に沸々と怒りが込み上がってくる。
「バカにしないでよ……。貴方が何者か知らないけれど、でも、分かった」
「何を?」
「アンタが言ったんでしょ?夢だったとしても、ナズナがいた世界は、確かに存在していた」
存在していなった?
なら私がこの世界に存在する理由なんかないにも等しい。
でも確かに私はここにいる。
それは、どこかにナズナがいることと同意義なのだ。
理屈も何もかも通っていない、そんな結論が私の中に生まれる。
見上げると、私に訳の分からないことを語りかけてきた存在は消えていた。
私が存在しているのなら、ナズナだってどこかにいるはずだ。
そんなメチャクチャな理論は、確かに私を強くした。
初めに智香の姿で現れた不思議な存在が私の目の前に現れたということは、少なくとも、この世界だってまともじゃない証左にしか過ぎないのだから、まだ可能性はあるはずだ。
そんなことに、小さな希望を見出していた。
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