第五話 私の恋に名前をつけるなら ②
時折り、思うことがある。
人は何故誰かを好きになるのだろうという、疑問だ。
生物学的に言うのなら、子孫を残す為だとか、そういう身も蓋も無い答えが返ってくるのだろうけど。
私は那月に恋をするまで、誰かに恋をするということは、それだけの理由があるのだと信じていた。
けど、那月に惚れてしまって、こんな事態になっても諦められないくらい強いというのに、未だに理由というのは見つからなかった。
例えば、彼女の笑顔だとか声だとか、一緒に過ごす時間の穏やかさとか。彼女の好きなところを挙げるのであれば枚挙を厭わないけど、好きなところと好きになった理由は一致しない。
要するに、きっかけというものが、未だに分からずにいるのだ。
もしかしたらそんな事に、理由なんて問う方が野暮だと言う人がいるかもしれない。
でも何にだって因果はある筈だ。私はその始まりを知らずに恋を終わらせてしまったのだから、今度こそはその理由位は知っておきたい。
「ねぇ、ナズナ。もしかして、芹川さんのこと、好きなの?」
芹川さん。
と、智香はいった。
それだけで、智香は以前の智香と違うことが否応無しに分かってしまう。
智香のその声色に、以前の世界で感じた那月への友情は感じられず、ただ名前を知っているクラスメイトか何かのような無機質な印象があった。
私はそれで、思い出す。
この世界は、私の居たい世界なんかじゃ無い事を。
「智香……」
「ねぇナズナ。私を見てよ、私のことを好きって言ってよ。私はずっと、ナズナの事を……っ」
それでも、智香に酷いことは言えない。後悔するのは分かっていても、引き延ばす方が悪いと分かっていても。
「悪い、ちょっと今日具合が悪くてさ」
「言い訳、しないでよ。今だって芹川さんから……!!」
「バンドのチケットノルマで、芹川さんにも買って貰ったんだよ。多分その件だよ。ほら、智香にもチケット渡したよな?」
畑中は、夏休み最後にライブがあると言っていた。スマホに残るバンドのチャット履歴を見る限り、ノルマはある筈だ。
渡した云々は大分賭けだけど、付き合っているのならいの一番にチケット位渡しているはずだろう。
「……そういう、いや、うん。そう、だよね……」
ボソボソと、何かを自分に言い聞かせる様に智香は喋っている。
断片しか聞こえないが、暗闇の中で智香の表情を読むことができない。
「ごめん、ナズナ。ちょっと、考え過ぎ、だったね」
取り敢えず納得してくれた様なので、肩を撫で下ろす。
今ここにいる智香は、別の世界の別の人間なんだ、と割り切れるのならば、もっと私は無情な人間でいられたのだろうか。
「なんていうか、不安にさせて、ゴメン」
彼女もまた被害者なのだ。
私と同様に、変わってしまった世界の被害者。それだけが、今の私と智香の共通点なのかもしれない。
しかしそれにしても。
智香を宥めてから、帰路に着いた私は、智香の様子がおかしかったことが心に引っかかっていた。
何とか誤魔化せたと信じたいけど、もしかしたら私の変化に気づいてしまったのだろうか。
少し想像してみる。
もし私に恋人がいたとして、ある日を境に性格や立ち振る舞いに違和感を感じてしまったら。
まさか、中身が別世界のその本人と入れ替わっているとは思えないだろう。
もしかしたらおかしくなったのは自分ではないのだろうか。そんな疑念すら起きるかもしれない。
それは……。
「怖い——だろうなぁ」
智香と会う時は、もう少し慎重になるべきだろうな。
それは、私自身のためだけではなく、智香のためでもある。
「そういや、那月から電話来てたんだっけ」
スマホを取り出して、着信履歴を見ると確かにそこには那月の名前があった。
しかし、わざわざ夏休みに何の用だろうか。私としては嬉しいは嬉しいんだけど、ここまでの様子を見た限りでは、ナズオと那月はそこまで仲が良い訳ではない。
少なくとも、用事がないのに電話をするような関係ではないと思う。少し前まで互いの連絡先も交換していなかったのだから当たり前であるけど。
「まぁ、かけて見れば分かるか」
と、結局能天気な私は深く考えもせず折り返し電話をかけた。
数コールもしない内に那月は電話を取る。
「もしもし、芹川さん?各務だけど、どうしたの?」
「……各務君?」
那月の声は、どこか衰弱した様に弱々しい。それに不安を覚えた私は、那月の声を待たずに声を荒げてしまう。
「芹川さん?何かあった?大丈夫?」
「うん……掛け直してくれて、ありがとう」
一体どうしたのだろうか。
色々予想しては見るものの、あまりにも情報が無さすぎるため、結局は直接聞くしかないのだろう。
「えーっと……もしかして、何か困りごと?」
「ちょっとね、困りごとっていうか訊きたいことがあって」
「私……じゃなくて、俺に分かることなら」
「……あのさ……えっと、やっぱりいいや。ゴメン、また休み明け」
一方的に切られる電話に、私は困惑するだけだった。だけど、それでも声を聴けた事実が嬉しくて。
私はなんて自分勝手な人間なのだろうと思う。
智香の心配をしていた次の瞬間には、那月の声を聴いて舞い上がる程に嬉しくなって。
その那月の様子もどこかおかしかったのに、そんなことよりも、私に電話をくれたということだけが嬉しくて。
恋というのは、こんなにも一方的で独善的で偏向的な感情だったのだろうか。
それとも、私の恋だけがこんなにも醜い感情なのだろうか。
「……ねぇ、那月。元の世界に戻れても、君はこんな私の事は好きになんてならないんだろうね」
家に帰るまでの道のりで、私は夏の夜空に向けて手を伸ばしてみた。
この手が月に届けば、彼女を好きになった本当の理由が分かるような気がしたのだ。
もし私の恋に名前をつけるのなら、それは多分、全てが終わった後に【思い出】なんていう名前がつくんだろうなぁ。
私の恋もいつかは終わることがあることを、改めて思い出していた。
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