第二話 もしも願いが叶うのなら ①
芹川那月という一人の人間は、多分誰から見ても面白味のない人生を歩んでいると思う。
なんのドラマ性もない人生だ。私自身そう思うのだから、もし私の人生に観客という存在がいたのなら、これは駄作だと評価を下すのだろう。
そこそこの人間関係。そこそこの絆。
仲の良い友人は勿論いるし、別に寂しいとか孤独だとかそういう訳ではない。
普通に遊んで、普通に喋って、普通に疎遠になって。それをずっと繰り返してきた。
だから普通に恋をするものだと思っていたのだけれど、どうやら普通の人間に普通の恋は難しいらしい。何回か男子から告白されたことはあったけど、彼らと付き合うことが楽しいと思えなかったので、断ってしまった。
多分、いつか普通に好きになる人が出てきて、その人と普通に付き合えるのだろうな。そんなある意味贅沢な考えを持ち合わせていたのだ。
とにかく、高校二年生の夏までの私の人生というものは、特別なことなど何もない、ありきたり過ぎて逆に珍しいんじゃないかと思うくらいのものだった。
高校二年生の五月頃。父親の転勤が決まった。これが期限付きのものならば、単身赴任でもしていたのだろうけど。
父方の祖父が逝去し、祖母が一人になってしまったので、介護のために父は自分の地元に赴任する希望を出したようだ。
その為、私と妹は転校することになった。
私は軽く友人達に別れを告げただけで終わったが、妹は友人と別れるのが辛いらしく大声で泣いていた。人望というか人生の面白さというか、そういうものの差が姉妹の間で顕著になった瞬間でもある。
新しい街は県内で三番目に栄えているという、微妙な立ち位置の街だった。昔は夏休みや年末になると、祖父母に会いに訪れた街だったが、当時の記憶も薄いため、思っていたよりも賑やかな街だなという印象しか無かった。
何より、夏でも最高気温が二十五度程度の釧路と比べるとやはり本州の気温は私にとってしんどいものだった。引越しの翌日は、家から外に出る気にもなれずクーラーの効いた部屋から姉妹揃って一歩も出ずに終わった。
流石に姉妹揃って一日中ダラけていることに母は一喝し、私は妹を連れて新しい街を散策することにした。
「姉ちゃん、暑すぎない?」
ものの数分で妹の
街行く人々は平気な顔で歩いているが、それがどうにも不思議だ。
「……帰ろうか」
新しい街を散策したい気持ちはあったが、暑過ぎてどうにもならない。
その時、ふと、夜ならばそれなりに涼しくなっているのではないだろうかというアイデアが過った。流石にまだ中学生の妹を夜連れ出すのは難しいが、私一人ならコンビニに行くとでも言えば、放任主義な両親は別に引き留めやしないだろう。
そんな訳で、日付が変わる頃。
私は家を抜け出した。
僅かな音すら拡散する様な
冬の夜は、雪が音を吸収して行くような荒涼とした静音だけが響いている。そういう違いを、初めて知った。
右を向いても左を向いても知らない景色というのは、どこか不安もあるがそれ以上に心を解放的にする。
今度こそ、私は楽しく生きてみよう。
漠然と、これまでの人生が何処かつまらない平坦なものだったことを思い出して、今回の転校を機に色々なことに挑戦してみようと考えた。
彼氏を作ってみるのだって良いし、バイトを始めて学校の外に人間関係を作ってみるのも良いかもしれない。そうだ、何か部活にでも入ろうかな。
青春っぽいことをすれば、楽しい人生だと思えるのかもしれない。
これまでの私を知らない街というのは、私を前向きにさせた。これまでの私を知らないのだ。だから新しい私になったって、誰も気付きやしない。
いつの間にか、私は小さな公園にいた。
半ば浮かれた気持ちのまま、空に浮かぶ黄色い月を見上げながら、そんなことを考えることに没頭していたらしい。
不意に、シャンとした明るい声が、私の耳に届いた。
「すいません。ここで、何を?」
視線を声のした方に向けると、ワンレンショートの女性が私を見ていた。
楽しく生きよう。
私はこの時、各務ナズナに出会ってから、そんな事を思う暇すらなく楽しい日々を送った。
恥ずかしげも無く親友だと胸を張って言える最初の友人で、多分そう思える最後の友人だ。
彼女と出会ってからの一年半は本当にあっという間だった。心の底から笑って、心の底から楽しんで、心の底から幸福だった。
中学の卒業式の時、数人の泣いているクラスメイトを、どこか冷ややかな目で見ていた私はもういなかった。
人生の岐路における別れの辛さというのを、嫌と言うほど体験してしまった。
本当はナズナにも同じ大学に進学して欲しかった。恥も外聞も無く、我儘に来て欲しいと懇願すれば良かった。
だが、大人になるというのは、厄介なもので。
徐々に社会という檻の中で自分の本当の欲望というものを殺していってしまう。
ナズナにはナズナの人生があるから、とか。
そういう子供じみたことを言う年齢じゃない、とか。
一見正しく見える常識的な考え方は、等しく全てを虚しい物へと変えていくだけだと知ったのは、上京して初めての夜だった。
何も無い部屋で、何も無い街にいる。
温く光り続けるテレビの画面の向こうの人達が、騒がしくなればなる程、私は孤独を感じていった。
本当は、そうじゃなかった。東京に来たのは、多分、怖かったんだ。
親友に惹かれていく自分が怖かった。
好きだと認めるのが怖かった。
スマホにはナズナと写った写真が山のようにある。それを一枚一枚スライドさせていくと、不思議だな、涙が止まらない。
私はナズナのことが好きだったんだ。
共に過ごした一年半の内、どのタイミングで彼女のことを好きになってしまったのか、今となっては判然とすらしないが、それでも多分昨日今日の話なんかじゃない。
卒業式の日に、私は泣きじゃくるナズナを慰める役だった。だから、泣きそうになったけど、泣かなかった。
——ねぇ、ナズナ。
私は今、泣いているよ。だから、早く慰めに来てよ。抱きしめに来てよ。今度はナズナが慰める番だよ。
祈りのような言葉は、きっともうナズナには届かない。
こんなことなら。こんなことになるのなら。
もしも願いが叶うのなら。
神様、もう一度、私とナズナを出会わせてください。
私のたった一度の恋を、もう二度と間違えないように、もう一度。
東京の最初の夜は、後悔と自己嫌悪に塗れた最悪の夜だった。
そして、これが最後の夜だった。
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