プロローグ ②

 いくら私が無作法で図々しい人間だとしても、出会い頭に好きですだなんて言える程、メンタルが強いわけでもない。

 それでも、私はここで何か動かなければならないと思っていた。

 ただ偶然のみが生み出した一目惚れなのだ。名前も年齢も知らなければ、再び会うのは難しいだろう。

 私は昔から通信簿には、落ち着きが無いという評価が毎度の如く書かれていた。それをフォローするかのように、お友達を作るのは得意なようです、とも。

 友達を作るのが得意だと思ったことはないし、作るなんて意識をしたこともない。友人とは自然と出来るものだと思っているからだ。

 だから、否、だけど踏み出す。

 友人を作るのは得意でも、恋人を作るのが得意かどうかはまだ、分からないのだから。


「すいません。ここで何を?」

 よし。無難な一言だろう。いや本当にそうかな?無難だよね?問題ないよね?

 言ってから自信が揺れる。

「……あ、私ですか?」

「一人で何してるのかなって思いまして」

 見た所同い年くらいだろうか。肌は白くて、透き通っている。黒い髪が揺れていて、青白い月明かりを反射した。

 美人である。正統派美人って感じだ。

 多分、アイドルとかモデルっていうより、女優が似合う感じの。

「夜の散歩、ですかね。ほら、昼間は暑いでしょう?だからその分、夜位は外に出なきゃって思いまして」

 声は少し低い。

 ハスキーな声がまた、私の心を奪っていく。なんというか、彼女の全てが、私の好みを作り替えていくようだ。

「あー確かに最近かなり暑いですもんねぇ。私も散歩です。ちなみに、同い年——くらい?」

「ええと、高校二年生になります」

「じゃあ私と同い年だ。ねぇ、どこの学校なの?」

戸波北となみきた高校……でいいのかな?」

 妙に自信なさげだが、取り敢えず高校名は分かった。それは一歩前進だ。

 というか、

「私と同じ高校なの?でも、ごめんね、見たことないかも…」

 流石に一年も通えば名前は知らずとも同級生の顔くらいはなんとなく覚えているものだが。と、少し疑問に思う。まぁなんでもいいか、とすぐに私の能天気さが、恋に浮かれて頭を出してきてはいたが。

「一昨日こっちに越してきて、編入するのは二学期からだから。ねぇ、こんなところで会ったのだし、友達にならない?私、芹川那月せりかわなつきっていうの」

 芹川那月。

 忘れないように、二、三度心の中で唱えてみる。おっとりしているような、どこか大人びているような。そんな口調だが、他人との距離を詰めすぎて困惑させがちな私でも少し驚く程に、那月は積極的だった。

 引っ越したばかりで友人もおらず、心細いのかも。そんな邪推もしてしまう。

「そりゃ勿論だよ。私は各務ナズナ。よろしくね。ねぇ、どこから引っ越してきたの?」

「北海道だよ。知ってるかな、釧路って所なんだけど」

 なんとなく聞いたことがあるような地名だ。でも確か、我が校の修学旅行先は例年北海道なので、もしかしたら寄るかも知れない。

「北海道かー。やっぱ魚とか美味しい?」

「うーん、まだこっち来てから魚食べてないからなぁ。どうなんだろう、味とか変わるもんなのかなぁ」

 そりゃそうか。

 私だってこの街の名産って言われてるオクラを他と比べて美味しいかと問われると首を捻るだろう。

 それにしたって、なかなか会話が進んでいる気がする。これは、良い塩梅なのではないだろうか。

 深夜のテンションのせいか、それとも初めての一目惚れに浮かれているせいなのか、私は恋をした相手が同性ということに何も問題意識を感じていなかった。



 ——思えば、この時だけだった。

 私が恋をした相手が何者であるのかを、気に病んでいなかったのは。

 光陰矢の如し、なんていう年寄りの言葉を使うほど老け込んではいないけど、あっという間に二年が過ぎ去った。

 私と那月は直ぐに親友と呼べるほどの仲になった。修学旅行も学園祭も、長期休みの小旅行だっていつも一緒だった。

 女性が女性に恋をするのは、世間的に、生物学的におかしいことなのだと知っていた。その筈だったのに、私は浮かれて気付かなかった。

 素直に好きだと認めてしまった故に、その後の二年間はとても苦しくて、そして嫌になる程楽しかった。

 二人きりで行った卒業旅行の最終日に、告白しようと決めていた。でも、できなかった。

 進学先は別々だし、これまでのように毎日会うというわけでもないから、彼女に気持ちだけでも伝えようと心に決めていたはずなのに、唇は震えるだけで何も発することはできなかった。

 恋心に後悔と懺悔をしている内に、私と那月は高校を卒業した。


「本当に、あの時ナズナに出会えてよかったよ。まさか転校した先で、親友が出来るなんて思ってなかったからさ。ね、ナズナ、そんなに泣かないでよ。私は東京に行っても、ナズナの一番の親友だからさ」


 それが、最後の言葉だった。

 今生の別れでもない、死が二人を別つ訳でもない。

 私の涙は、もっと独善的なものだ。

 彼女に好きだと伝えられなかった自分の不甲斐なさと、何故私は男に生まれなかったのかという、悔しさが涙の源泉だ。


「ナズナぁ、晩飯出来てるぞ」

 卒業式の夜。

 私は一人暗い部屋の中で、目を開いたまま心を閉じていた。

 兄貴の能天気な声が、今日だけは鬱陶しい。

 叫びたいくらいに滑稽で、暴れまわりたいくらいに稚拙な私の恋は。

 この日、叶うことなく消え去った。


 ——神様。

 なんで私は男に生まれなかったのでしょうか。何故私は女の子に恋をしてしまったのでしょうか。

 もしかしたら、私は何か間違えていたのでしょうか。

 それは墓碑銘だ。

 私の恋心の墓に刻んだ、私自身と神様に対する恨みと悔しさと懺悔の言葉。

 せめて、私が男であれば。

 そんなことを思いながら、私は眠りについた。



 どんなに悲しいことがあっても、朝は来る。

 春休みだし、もう少しこのまま寝ていたい。

 スマホのアラームを止めようと手を伸ばしたタイミングで、妙な変化に気づいた。

 なんというか、暑い。

 確かにここのところ春の陽気がやってきて、僅かに暖気が心地よくなってきてはいるが、その比ではない。

 暖かいではなく暑いのだ。

 もしや暖房でもつけて寝てしまったのかと、仕方なく布団から出る。

 おっと、いくらなんでも寝過ぎたか?

 窓の外はすっかり明るくなっている。スマホのアラームをセットしている時刻は5時半なので、三月ならばまだ少し明るい程度のはずだが。

 と、スマホ見ると、時刻は正しい。

 何か変だ。

 何が変なのだろう。

 逡巡するが、もともと深く考えを張り巡らす性格ではないので、取り敢えずトイレにでも向かうことにする。


 うん?

 トイレでズボンを下ろした私は、思わず目を擦る。

 あー、寝ぼけているんだな。そうかそうか。じゃあ顔でも洗ってみるか。

 今しがた見えたものを見ないフリして、洗面台で顔を洗う。歯も磨こう。

 そしてもう一度、ズボンを下ろしてみる。

 やはり見間違いなどではなかった。


 私は男になっていた。

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