6. 無茶な我儘を言えるのは子供の特権さ
「こんなところまで押しかけて来るなんて、何を考えているのかしら」
うひょー、眼鏡の奥の目つき怖ぇ!
まるで氷見さんみたいだ。
本当は氷見さんの母親だなんてことは無いよな。
「どうしてもお願いしたいことがあるのですが、休日でも家に殆ど帰ってらっしゃらないようなので仕方なく」
会社まで押しかけちゃいました、てへ。
ここは禅優寺さんの母親が勤めている会社の会議室。
そこで俺はその母親と向かい合っている。
禅優寺さんへのプレゼントを準備するために彼女の家族に接触しようと考えたは良いものの、前回会った時に忙しくて休日ですら中々会う予定を入れられないと言われたことを思い出した。
案の定、禅優寺母は休日でも出勤していたのだが、だからといって会社に押しかけても話を聞いてもらえるとは思っていない。
何処の会社に勤めているかは名刺を貰っていたので分かっている。
ひとまず会社に着いてから考えようと思いノープランで向かったものの、アイデアなど思いつくわけが無くしばらく入口付近で立ち往生。
そうしていたらなんと中からターゲットが他の女性社員と一緒に出て来たのだ。
『全く、主任もちゃんと休んでくださいよ』
『そうですよ。仕事し過ぎです』
『好きでやってるのだから良いじゃない。貴方達は気にせず休んで良いのよ』
『だーめーでーす。せめてお昼休みくらいはちゃんと休んでもらいますからね』
『休むのも仕事のうちだって部長も言ってたじゃないですか』
『はぁ、分かったから押さないでよ』
どうやら禅優寺母は会社内で仕事のし過ぎとして同僚から心配されているらしい。
そこで俺は禅優寺母では無く、彼女の同僚にアプローチすることにしたのだ。
禅優寺母に話しかけても『時間が無い』などとにべもなく断られる未来しか見えないが、その禅優寺母を心配した子供が相談に来たと同僚に話しかければ興味を持ってもらえるかもしれない。
そのアイデアを決行した結果、こうして狙い通りに禅優寺母と話をする機会を作って貰えたのだった。
想像以上に興味を抱かれてちょっと怖かったが忘れることにしよう。
「ここまでするということは、娘に大きな問題でも起きたのかしら」
仕事第一。
だからと言って子供の事を心配していない訳では無いのだろう。
俺はここに来た理由を率直に伝えた。
「次の土日に娘さんの誕生日を盛大に祝ってあげて下さい」
「は?」
何を言っているのかすぐには理解出来ない、と言った顔だ。
そりゃあそうだろうな。
会社まで押しかけて来てお願いする内容とは思えないもんな。
「娘さんは寂しがっています」
だからもっと構ってあげて下さい。
それだけで彼女は満たされるだろう。
「わざわざそんなことを言いに来たの?」
今度は嫌悪感か。
その程度の事で仕事の邪魔をしないで欲しいという気持ちがありありと見て取れる。
以前話をした時は感情の変化が乏しい堅い真面目そうな人って印象だったけれど、あれはビジネスモードだったのかもな。
今は子供の俺だけが相手という事で油断して感情を表に出しているのだろう。
「娘が帰りたいと言ったわけでは無いのよね」
「はい」
「それなら心配は不要よ」
そう言うだろうとは思っていた。
そしてその理由にも想像がつく。
「以前にもお伝えしたでしょう。娘は一人暮らしをして自立したいと考えているの。貴方の目には寂しがっていると見えるかもしれないけれど、それは娘が乗り越えたいと思っている事なのよ。だから貴方は気にしなくて良いわ」
やはりそう来たか。
禅優寺母が何も心配していない理由は、娘の言葉を鵜呑みにしているからだ。
それが間違っていることを教えてやろう。
「娘さんが本気で一人暮らしをしたいと思っていなかったとしたらどうでしょうか」
「え?」
子供にとって親が自分の言葉を信じてくれて意思を尊重してくれるのはとても嬉しい事だ。
だが必ずしも子供は本心を告げているとは限らない。
特に思春期になると素直になれなくなるのは俺も経験済みだ。
俺の場合はクソ姉貴が強引に本心を暴こうとしてきたから……思い出すだけでぶちのめしたくなるわ。
落ち着け、今はそういう場面じゃない。
「一人暮らしを引き留めて欲しかったのではないでしょうか」
「考え過ぎよ。貴方がそう思い込んでいるだけじゃないのかしら。証拠はあるの?」
「証拠と言うほどのものではありませんが、不思議に思っていることが一つあります」
それこそが、禅優寺さんが家族から本当は離れたくなかったのではないかと考えた理由だ。
「何故私が管理人をする寮に入りたいなどと言い出したのでしょうか」
「え?」
「いくらなんでも男が管理している女子寮に入寮したいなどと言い出すのは変ですよ。そんな危険なところで一人暮らしなんてしないで欲しいと止めて貰いたかったのではないでしょうか」
管理人とのラブロマンスを求めていた、ということもあり得ない。
何故なら彼女は最初から俺に敵意を剥き出しにしていたからだ。
寮ならば食事や洗濯などのサービスがあるとはいえ、男と同じ屋根の下で一緒に住むということはそれを遥かに上回るデメリットなのだ。
それを彼女は自分から求めている。
栗林さんと氷見さんは管理人が変わる前から入寮を希望していて、金銭的な余裕が無いから管理人が男に変わった後も住処を変更出来なかった。
だが禅優寺さんは管理人が俺に変わった後に入寮を言い出して来たのだ。
何故そんな不思議なことをしたのかがずっと疑問だった。
だがそれも、彼女が本当は寮に入るつもりが無かったと考えれば納得が出来る。
両親に引き留めて貰いたいがために心にも無い事を告げたらそれを認められてしまった。
自分から言い出したことでしかも自立したいという意見を感心されてしまったがゆえに、やっぱり止めるなどと言えずに望まぬ一人暮らしをせざるを得なかった。
もしこれが正しいのならば、すぐにでも彼女を家族の元に帰すべきだと思う。
それもあって俺は強引な行動に出たのだ。
「いえ……そんな……そんなことをする必要なんて……」
「はっきりとした理由は分かりません。ですが彼女の行動は両親から愛されているかを確認したいかのようなものです。つまりはそういうことなのでしょう」
「何を馬鹿なこと言ってるの! 私達はあの子を愛しているに決まっているでしょう!」
ああ、良かった。
こうして怒るくらいにはちゃんと家族愛はあったのだ。
となるとすれ違いか何かなのだろうか。
「どうしてみんな私達のことをそう言うのかしら」
「え?」
みんな、ということは俺以外からも似たような指摘を受けたことがあるのだろうか。
「確かに私も夫も仕事が好きだけれど、家庭を蔑ろにしたことは決して無いわ。授業参観や運動会などの学校のイベントには必ず参加したし、毎日家に帰ってちゃんと家事をして、あの子が小さい頃は休日に遊びに連れて行った。高校に入ってからは私が毎日お弁当を作ってあげるつもりだった。
あらら、肩を落としてしまった。
もしかしたら禅優寺母はずっと子供との向き合い方に悩んでいたのでは無いのだろうか。
確かに彼女の言葉を信じるのならば、何一つ問題が無い幸せな家庭に感じられる。
だがそれでも『家庭を大事にしなさい』と言われることが多いのならば、考えられる理由は彼女が漏らしてしまった『やるべきこと』という表現なのかもしれない。
「あの、失礼ですが、もしかしたら家庭でやるべきことを『ノルマ』か何かだと思ってませんか?」
「え?」
「親だからやらなきゃいけないとか、あるいは仕事のタスクみたいな考えがありませんか?」
「…………」
今回は咄嗟に『違う』との反論が来なかった。
ということは心当たりがあるのだろう。
そしてそれは傍から見て分かりやすい歪みだったから何度も指摘されていたのだろう。
心のどこかで『家族ならばやらなければならないことリスト』という『形』があり、真面目であるがゆえにその『形』をこなすことに精一杯だった。
もしかしたら禅優寺さんはそれを義務的な行動だと感じてしまったのかもしれないな。
そう思うと俺に敵対する真の理由も見えてくる。
好きな仕事に打ち込んで、家族への対応を義務的にこなしているように見える両親。
好きな家事を堪能し、それ以外の寮生への対応はあくまでも義務的にこなす俺。
両親と俺が重なって見えてしまっていたのだろう。
「私は子供の頃に親が授業参観に来れなかったことがあります。家事は苦手なので家政婦さんを雇ってました。でも親から愛されてないなどと思ったことは一度もありません」
そりゃあ当時は文句も言ったし、寂しく思ったこともある。
でもだからといってそれだけで親の愛を疑うなんてことはあり得ない。
クソムカツクと思うこともあるけれど、心の奥底では自分が愛されていることは理解している。
もちろんこんな恥ずかしい事は面と向かって言えないけどな。
俺にはまだ分からないけれど、親としてやるべきことっていうのはきっとある。
でもそれらを全て漏れなくやれば良いという話では無いのだろう。
俺が得意とする家事で考えるならば、掃除をすれば良いってものではない。
洗濯をすれば良いってものではない。
料理をすれば良いってものではない。
家族のためにやるのだから、大事なのは相手を想う気持ちを込めることだ。
清潔な空間で気持ち良く過ごしてもらいたい。
綺麗な服を着て心地良く過ごしてもらいたい。
美味しいと思ってもらいたい、健康的に成長してもらいたい。
真面目であるがゆえに全てこなすことが大事だと思い込み、これらの気持ちをこめる余裕が失われていた。
それが禅優寺家が抱えていた問題だったのだろう。
「お願いします。次の土日に娘さんの誕生日を祝ってあげてください。プレゼントを贈るだけじゃなくて、会って心からのおめでとうを伝えて下さい。そして出来る事ならば、ちゃんとお互いの気持ちを伝え合って下さい」
結局のところ、些細なすれ違いだ。
お互いが想い合っているのだから、ちゃんと話し合えば全て解決。
禅優寺さんは両親からの愛という欲しいものをプレゼントされて、満足して実家に戻る。
うんうん、ハッピーエンドだな。
「無理なのよ」
は?
何でだよ。
良い流れだったじゃないか。
「その日はどうしても外せない仕事があるのよ」
「は?」
おっと、今度は思わず口に出てしまったぜ。
何を言ってるんだこいつは。
外せない仕事だって?
「娘より大事なことなんて無いなんてことは分かってる。でも、それでも、大人の世界はそういうわけには行かないのよ」
大人の世界。
ふーん、そうなんだ。
大人の世界ってそんなにもクソなんだな。
「それなら、もし娘さんが死んだらお葬式にも行けないということですね」
「それは極論と言う物よ。あなたにはまだ分からないでしょうけれど、世の中は難しいの。安心して頂戴、次の土日は無理だけれど、何処かで時間を作って必ず会いに行くから」
それではダメだ。
もしも俺が禅優寺さんならば、時期をずらしたことがどうしても気になってしまう。
後でどれだけ真摯に家族愛を伝えられたとしても、心のどこかで本当は仕事の方が大事なのだろうという疑いが残ってしまう。
大人の世界ってのはそんなにも不自由なのか。
この世の中は娘に一日会って誕生日を祝う事すら出来ないのか。
ふざけるな!
そんなの間違ってる!
「極論だか大人の世界だか世の中だか何だか知らねーけど、ぐだぐだ言ってないで休んで会えよ!」
「子供には分からない事なのよ」
「ああ、分からねーよ。俺もあいつも子供だから全然分からねーよ。あんたの言う通り俺達は子供だから、精一杯我儘を言わせてもらう。どうにかして休んであいつの誕生日を祝ってくれ!」
「…………」
ダメなのか。
届かないのか。
俺程度の子供の叫びなど、戯言として処理されてしまうだけなのか。
クソ。
クソクソクソクソ。
どうすりゃ良いんだよ。
そう思っていたら、救いは思わぬところからやってきた。
コンコン、と会議室の扉がノックされたのだ。
「失礼するよ」
入って来たのはくたびれたスーツを着た年配の男性だ。
「部長!?」
どうやら禅優寺母の上司らしい。
「申し訳ないが、話は聞かせてもらったよ。というか会議室の外まで漏れ聞こえて来たんだけどね」
「は、はぁ」
「禅優寺君、休みなさい」
「で、ですが部長、その日はあのプレゼンが!」
「私達に任せなさい」
「…………」
「以前から言っているだろう。もっと周囲を頼りなさいと。私達を信じて娘さんを安心させてあげなさい」
「…………はい」
はは、なんか知らないけれどあっさりと決まってしまった。
これもまた禅優寺母の言う大人の世界ってやつなのだろうか。
何はともあれ、禅優寺母をどうにか説得出来たぞ。
「完全にしてやられたわね。外堀から埋めて攻めて来るなんて、あなた本当に子供かしら。夫じゃなくて私を説得しに来たのも、私の方が頑固だって見抜いていたからなのでしょう?」
見抜いていたってわけじゃないけどね。
先日の話し合いの時にほぼ母親が応対していたから、この家族は母親が中心なんだろうなと思っただけの事だ。
「子供ですよ。だってこんな強引な事を大人はやらないのでしょう?」
「ふふ、確かに」
おお、禅優寺母が笑った。
なんだよ、穏やかな顔も出来る人じゃないか。
「でもどうしてそこまでするのかしら。もしかして娘の事が好きな」
「違います」
食い気味で答えてしまった。
でも本当に違うから勘違いするのは辞めて欲しい。
何故俺がここまでするのか。
その理由は別にあるのだ。
「娘さんには恩がありますので」
「恩?」
「はい、色々と助けて頂きました」
彼女が俺の料理に興味を抱き、栗林さんと氷見さんを連れて来てくれたことで寮生活のことを寮生たちと共有し、自分の生活ルーチンを確定させることが出来た。
もしそれがなければ、俺は未だに食べに来るかどうかも分からない料理のメニューに悩み、寮生たちへの対応をどうすれば良いか分からず困ったままだっただろう。
氷見さんとケンカした時も、彼女は裏で氷見さんにフォローしてくれていた。
彼女がいたからこそ、俺は寮の事で深く悩まずに順風満帆な高校生活を送れているのだ。
だから俺は彼女に対しては他の二人ほどはマイナスの印象は持っておらず、それどころか恩を感じていた。
その恩を返す絶好の機会だったというだけのことさ。
「それではよろしくお願いします」
「待って」
「え?」
「ここまで一方的にやられてただで返すわけには行かないわ」
「え? え?」
「これまでの娘の生活についてと、貴方との関係についてたっぷり聞かせてもらうわ」
「し、仕事は?」
「ふふ、仕事よりも家族の方が大事、でしょ」
「ひええ」
今になって分かった。
どうやら俺は獅子にケンカを売ってしまったようだ。
――――――――
結果がどうなったかって?
それはその休日明けの禅優寺さんの様子を見れば一目瞭然だ。
「レオっち! プレゼントさんきゅ!」
彼女は何ら憂いの無い太陽のような笑みを浮かべていたのだから。
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