6. ごめんなさい

「玲央、家に戻って来なさい」

「良いの?」

「当然だ。こんな危ない目に遭うと分かっていたら、いくら玲の頼みとは言え管理人なんか認めなかった」

「父さん……」


 俺が病院に担ぎ込まれたことを知った両親が慌てて来てくれた。

 幸いにもどこも折れてないし骨にヒビすら入っていなかったけれど、一日だけ検査入院することになった。


 その時に父さんが寮の管理人を辞めても良いと言ってくれたのだ。


 あの! クソ姉貴に! 従順な! 存在感の無い! 父さんが!?!?!?!?


 とまぁ露骨に変な表現をしてしまいたくなるくらいに驚きだった。

 まさか俺のことをちゃんと大切に思ってくれているなんてな。

 そう思えるくらいに普段はマジでいるのかいないのか分からないような感じだったんだぜ。


 でもそうか、家に帰れるのか。


 クソ姉貴の居ない家に帰り、普通の高校生活を送れる。

 俺にとって最高の展開だ。

 それこそ狂喜乱舞してもおかしくない程に。


 だが一つだけ気になることがある。


「代わりの管理人はどうするの?」

「玲央は気にしなくて良い」

「いやいや、流石に気にするよ」

「ん、まさか上手くやってるのか?」

「それは無い。でも餌付けはしちゃった」

「なんだって!?」


 父さんは寮生たちが俺と関わりを持とうとせず、寮のサービスは使われないだろうと正確に予想していたんだ。

 実際、禅優寺さんが同じクラスでなかったら俺の飯のこと知らずにそのままだったろうな。


「いや、だが、それでもだ。お前を危険なところに置くわけには行かない」

「脂汗流しながら言わなければ格好良かったのに」

「だってお前の料理食った奴を満足させられる新しい管理人なんて見つかるわけないだろ! 俺だってお前に戻って来て弁当作ってもらいたいんだよ。もうコンビニ弁当なんか嫌だ! 玲央の弁当が食べたい!」

「お、おう……」


 本当は俺の家事目当てじゃねーだろうな。


 でも自分で言うのもなんだが、このまま辞めたら寮生たちが学校で不満を言ってくるかもしれねーんだよな。

 これまで散々俺に敵対して来たくせに何を言うかって感じだけれど、餌付けしたことには間違いないからな。


「とりあえず新しい管理人が見つかるまでは続けるよ。寮費貰ってるのに何も提供しないのはまずいんでしょ」

「それはそうだが……」

「危険に関してはもう大丈夫だとは思うけど、念のため寮生の家族について調べて貰えると助かるかな。それか早く変わりの人を見つけて欲しい」

「分かった。急いで探そう」


 寮の運営自体は別のところがやっているから、そことの話し合いとか大人の事情が色々あるのだろう。

 その辺りは全部任せて、俺は残り僅かな管理人生活を全うするとしよう。


 何故か僅かにならない嫌な予感がするが、それは気のせいだと信じたい。


――――――――


 事件のあった日は金曜日であり、土日は警察からの事情聴取づくめ。

 寮の夕飯は申し訳ないけれど作り置きという形にしたが、氷見だけは食べてないようだ。

 その代わりに朝起きたらテーブルの上に書置きが置かれていた。


『ごめんなさい。後日正式に説明と謝罪をします』


 結局俺は氷見どころか寮生たちと会うことも無く、土日は事件対応だけで終わってしまった。

 せっかく天気が良かったのにオフトゥン干せなかった!

 チクショウ!


 殺人未遂という大きな事件なので、学校が始まってからも放課後に警察で話をする機会がまだまだ多くありそうとのこと。

 PTSDになってないかの確認のために病院にも行かなければならない。

 もちろん打撲の経過確認でも病院行きが必要だ。


 だから今週は寮の家事を臨機応変に対応しなきゃならないのでかなりめんどい。

 それに学校で先生にも説明しなきゃならない。


 まぁ大変なのは俺よりも氷見だろうがな。


 どうもあの狂った父親は酔っていたわけではなくておくすりを注入していたらしい。

 実の父親がくすりをやっていて未成年をナイフで殺そうとした。


 色々な意味で忙しくなるのは当然のことだ。

 同級生にバレて面倒なことになる日も近く、その時に氷見がどういった目で見られるのかは彼女のこれまでの態度によるのだろうな。


「あれ、顔怪我したの?」

「そうなんだよ、せっかくイケメンだったのに」

「本当にイケメンならちょっとした怪我すらも格好良く見えるんじゃね?」

「そうかそうか、そんなに格好良いか」

「んなこと言ってねーよ! そもそも俺が言いたいのは傷跡のことでガーゼはだせぇよ!」


 どうも気付かないうちに顔にも一発掠っていたようで青痣が出来ていた。

 しばらくはそれを隠すためにガーゼを貼って誤魔化すことにした。


 それを騒介が突っ込んで笑いに変えてくれたから助かったわ。

 こいつと馬鹿話をしているだけで日常が戻ってきた気がして安心するな。


 と思っていたら教室が突然ざわつきだした。


 はぁ!?


 何があったのかと彼らの視線の先を見たら、この教室にいるはずのない人物がそこに居た。

 思わず禅優寺さんを見たら、彼女は薄く微笑んでからわざとらしく目を逸らした。


 その間にその人物は俺達の方へ真っすぐ歩いて来た。


「ひいっ!」


 豚の悲鳴のような声をあげたのは騒介だ。

 それもそのはず、騒介にとってまだ見たくもない人物がやってきたのだから。


 その人物は俺をチラリと一瞬だけ見てから、騒介に目線を移動した。

 そして深く丁寧に腰を曲げたのだった。


「この前はごめんなさい」


 マジか。

 マジなのか。


 こいつ、今それどころじゃないはずだろ。

 家族の問題で追い込まれているはずだろ。


 それなのにこのタイミングで騒介に謝るのか。


「…………」


 顔を上げた氷見は改めて騒介を見る。


 騒介は先日の出来事の恐怖が蘇って来たのか、怯えた目をして少し震えていた。

 氷見は僅かに目を見開き、唇を噛んだ。


 騒介の様子から自分が何をしてしまったのか、理解したのだろう。


「本当にごめんなさい」


 重ねて氷見は頭を下げた。


 穿った見方をするならば、これからの学校生活を少しでも円満なものにするためにヘイトを減らしておこうとしているように見える。


 だがそれがあり得ないことは氷見の表情や声色からはっきりと分かった。

 本気で心から謝罪していると、その場の誰もが思っただろう。

 これで演技だったら是非女優を目指すべきだ。


「あ、頭を、あげてください」


 氷見の謝罪を受けて、怯えていた騒介がようやく再起動した。


「俺の方こそ、ごめんなさい。男が苦手なのを知っていたのに、ぶつかってしまって。これからは、もっと気を付けるよ」


 騒介はそう言って力なく笑った。

 騒介自身は何も悪くないのに、今も恐怖で体が震えているのに、それでも氷見をフォローしたのだ。

 それが騒介という男だ。


「…………」


 おいコラ、驚くのは分かるがなんでこっち見るんだよ。

 俺は何もしてねーぞ。

 そもそもお前が謝りに来るとは思ってなかったしな。


「男にも貴方のような人がいるのね」


 ざわっとどよめきが起こった。


 あの男嫌いの氷見が男を認めた。

 しかもその相手がぽっちゃり系オタク男子。

 見た目だけで言えば、美人すぎる美人な氷見とはあまりにも不釣り合いな相手だ。


 このままでは騒介が質問攻めに合うかもしれない。

 だが氷見がそれ以上の爆弾を落としたためそうはならなかった。


「これからは男子全員を敵視するのを止めるわ」


 つまりそれは、一年生屈指の美人とお近づきになれるチャンスが生まれたという事だ。

 男連中は氷見に狙いを定め、女子も気になる男を取られまいと氷見を警戒するようになるだろう。


 この状況で氷見の父親の事件のことが知られれば、決して良い方向にはならないだろうに。

 それが分かっていて、ここでその宣言をしたのだろうか。


「話はそれだけよ。本当にごめんなさいね」


 氷見はそう言って教室から出て行った。

 禅優寺さんの方を見ると相変わらず素知らぬふりをしているが、教室中が今のことに興味津々な中で無関心を装っていると逆に目立つぞ、馬鹿め。


 恐らくは禅優寺さんが何か氷見さん・・にアドバイスしたのだろう。

 それが何かは分からないが、氷見さんが本気で自分の行為を悪いと思い謝罪し、騒介と和解したのであれば部外者である俺が何かを言うつもりはもうない。


「良かったな。これで今日から騒介も有名人だぞ。モテモテだ」

「止めろよ、俺は陰の者としてひっそりと生きると決めてるんだ」

「もしかしてあいつ騒介の事が好きなんじゃないか?」

「わざと爆弾を落とそうとするのマジ止めろ!」

「陽に引き摺り出して欲しいって暗に言ってるのかと思って」

「マジ勘弁な。俺にはミーニャがいるんだ」

「誰だよそいつ」

「ミーニャを知らないだと!? 今期ナンバーワンと言われるアニメの……」


 何はともあれ、これにて騒介の方の事件は終わりだな。

 後はなるようになるだろ。


――――――――


 俺と氷見さんが寮で夕飯を共にしたのはそれから四日後の事だった。

 しかも禅優寺さんと栗林さんが食べ終わってから遅れて一人でやってきた。


 氷見さんはほとんど寮に戻っておらず、警察で話をしたり母親に寄り添っているらしい。

 ただ衣服が全部寮にあるので取りに来たついでに夕飯を食べに来たらしく、これから先もしばらくは寮に戻れないそうだ。


「やっぱり春日さんのご飯は美味しい」


 うん、気持ち悪い。

 素直な氷見さんとか違和感しかないわ。

 名字呼ばれたのも初めてかも知れんし。


「春日さん、遅くなったけれど助けてくれてありがとう」

「どういたしまして」

「それで事件の事だけど」

「何も言わなくて構いませんよ」

「え?」


 あの男の目的は何だったのか。

 あの男が言っていた約束とは何だったのか。

 あんな男が父親でこれまで大丈夫だったのか。

 母親は何を考えているのか。

 この寮に来たのはあの男から逃げるためだったのか。


 気になることは山ほどある。

 氷見さんは説明すると書置きに記していたが、それを敢えて聞こうとは思わない。

 知ったからと言って俺にとって何かが変わることは無いからだ。

 それなのに敢えて話をさせて心の傷口を甚振るような趣味は俺には無い。


「ありがとう。そしてごめんなさい、貴方の友達のことも今回のことも全部私が悪かった」

「お礼は受け取りますが、謝罪は不要ですよ」

「え?」


 どうやら氷見さんは勘違いをしているようだ。


「貴方の父親の件に関しては事前に事情を伝えて欲しかったですが、私の友人のことに関しては謝罪をする必要はありません。被害を受けたのは私の友人であって私では無いですので」


 寮の安全を考えると、危険な家族に狙われているという情報は契約時に大人達に伝えて欲しかった。

 だがそれは氷見さんというよりも氷見さんの母親がやるべきことであるため、俺からそこをネチネチと責めるつもりは無かった。


 騒介の件についても騒介と和解した時点で終わった話だ。

 改めて俺に謝罪する必要なんて全く無い。


「でも私のせいで春日さんが殺さ……」


 気持ちは分かる。


 巻き込んでしまってごめんなさい。

 あの時に逃げないでごめんなさい。


 『男なんて』のフィルターを解除した今、頭の中が後悔で一杯なのだろう。


「気にしないでください、と言っても納得して頂けませんよね」


 自分が逆の立場だったらと考えると、ひたすら謝りたくなってしまうのは当然のことであるし、そう思えている時点で本来の氷見さんは真っ当な感性の持ち主なのだろう。


「でも氷見さんを助けようとしたのは私自身の判断ですから」


 あの場で警察に電話してそのまま成り行きを待つ方法だってあったのだ。

 だが俺は自分から巻き込まれに行ってしまった。

 ある意味自業自得なのである。


「どうして……?」


 そういえばあの時もそう呟いてたな。


 どうして。


 普段から態度が悪く、友人に酷い事をして怒らせた私をどうして助けてくれようとしたのか。


 そういう意味だろうか。


「体が勝手に動いてしまっただけです」


 それ以外に言いようがない。

 あの時は氷見さんがどういう人物かなんて頭から吹き飛んでいた。

 男に絡まれている姿を見て反射的に助けなきゃダメだって思っただけのこと。


 殺したいほどに憎んでいる相手ならまだしも、嫌い程度の相手なら普通な反応だと思うけどな。

 もちろん勇気を出して飛び込めるかどうかは別として、だが。


「あなたに酷い事ばかりしたのに」

「普通はしますよね」

「え?」

「いやいや、女子寮の管理人を男がやるなんてありえませんから。むしろもっと過激な抵抗をされるかと戦々恐々だったんですよ。あの程度、何とも思ってませんよ」


 個人的には無視が一番楽な抵抗だったのだ。

 紆余曲折あって寮のサービスを再開することになったけれど、それでも強引な手段を一切取らなかったから割と快適だったのだ。


「そう、ですか」


 元気が無い氷見さんとか、見ているこっちが調子狂うな。


「これからは春日さんのことや男性のことを信じてみることにするわ」

「それは止めておいた方が良いと思います」

「え?」


 いやいや、そんな単純に考え方変えちゃダメだろ。

 そもそも氷見さんが男を警戒すること自体は間違ってなかったんだぞ。


「男が下心満載で女性に近づくのは事実ですから、警戒しておいた方が良いですよ」

「春日さんもそうなのかしら?」

「そうです。氷見さんを篭絡させるために命を張ったんです。実はどうやって三人を堕としてやろうか必死だったんですよ」

「ふふ、そうなんだ。危ない危ない、騙されるところだった」

「ですからちゃんと警戒してくださいね。特に学校の男子達なんか少しでも油断したら下心満載で近づいてきますから」

「わぁ怖い」


 騒介だって、離れて見ている分には下心があったはずなんだ。

 美人相手に下心を抱かない男なんて男じゃない。


 氷見さんは男との距離感を掴むのが苦手そうだから、こうして少しだけ警告しておいた。

 効果があるかは分からないけれど、ほんの少しだけど笑顔が見えたから良しとしよう。


 しかし氷見さんも災難だな。

 せっかく家族から離れて一人暮らしを始め、あの父親のせいで澱んだ心を洗濯しようと思ったのに管理人が男で気が休まる暇がなく、しかもその父親が追って来てしまうとは。


 一番大きな問題が解決されそうとはいえこれからも大変だろうが、俺はあくまでも寮父としてサービスを提供するだけだな。

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