4. 俺のダチに何してくれてんだ!

 寮の管理人としての仕事が増えたものの、この程度であれば特に大きな負担とは感じない。

 彼女達に下心があるそぶりを少しでも見せてしまったら人生オワタになるのではないかという不安により精神的に少し疲れるが、それも慣れてしまえば流れ作業になるだけだ。


 俺の欠点を見つけられなかった氷見さんは不満そうだけれど、それ以外は特に代わり映えの無い日々が続いていた。


「騒介のやつ遅いな」


 そんなある日の昼休み。

 飯を食い終わったら騒介がトイレに行くと言うのでスマホを手に待っていたが中々戻ってこない。

 大きい方かなと思い気にしていなかったのだけれど、それにしては遅すぎる気がする。


「ん、なんだ?」


 廊下が微妙に騒がしく、みんな揃って同じ方を見ている。

 もしかしたら何かがあって騒介もそれを見ていて遅いのかもしれないな。


「後で聞いてみれば良いか」


 そんな軽い気持ちで俺はスマホに目を戻して適当にニュースをチェックしていたら、ようやく騒介が戻って来た。


「よう遅かったな、腹でも壊して……」


 自席に座った騒介は小刻みに震えて顔面蒼白で俯いていた。

 良く見ると右頬が叩かれたかのように少し赤くなっている。

 クラスメイト達や廊下にいる他のクラスの生徒がチラチラと騒介の方を見ていることから察するに、多くの人に注目さる程の何らかの被害にあったのだろう。

 怒りや侮蔑では無く同情しているような視線ばかりなので、騒介が何か悪い事をしたわけでは無さそうだ。


「そんなに震えて腹が痛いのか?」

「…………え?」

「悪いが薬は持ってないんだよな。保健室にでも行くか?」

「……いや、良いよ」

「そっか。ならもう一回トイレに行くか? たくさん出せば少しは痩せるかもしれないぞ」

「それ痩せてないよね」

「え、その腹の中全部う〇こじゃねーの?」

「なわけないだろ!?」


 何があったか気になるけれど、今はそんなことよりもこうしていつも通りに馬鹿話をする方が大事だと思った。


「え……?」

「マジ顔で不思議そうにするの止めろよ!」

「だって……ああ、なるほど。分かった分かった。そうだよな。違うよな」

「優しい顔すんなよ! わざと誤解するふりしやがって!」

「騒介がそう言うならそうなんだよな」

「ただでさえムカつく台詞なのにより一層ムカつくわ!」


 よしよし、いつもの騒介に戻ったな。

 騒介は馬鹿じゃない。

 俺が気遣いしていることに気付いて乗ってきているのは間違いないし、内心ではお礼を言っているだろう。


 そんなん要らないから絶対言わせねーけどな。


 騒介は俺のダチだ。

 ダチが困っていたら……いや、騒介が真面目にお礼なんか言ったらキモイからな。

 べ、別に照れ隠しじゃねーし。


「悪い悪い、お詫びに明日少しだけ弁当食べさせてやるわ」

「マジで!?」

「たっぷり下剤入れておくからな」

「そのネタひっぱりすぎぃ!」


 なんて笑いあいながら、俺は騒介と友達になった時の事を思い出した。


 高校に入学して初めてこの教室に来て、皆が友達作りをする中で後ろの席の騒介が俺に話しかけて来たんだ。


『あ、あの、俺、その、と、とも……いや、なんでも……』


 ぽっちゃりでいかにも陰キャっぽい暗い感じの男が、ボソボソと小声で良く分からないことを呟いていた。


『俺は春日玲央だ。よろしくな』

『え?』

『お前は春日の次だから……木村〇哉かな』

『ちげーよ! そんなイケメンが居たら大騒ぎだわ!』

『はっはっはっ! 確かにな!』


 別に特に理由があったわけではない。

 騒介の態度が気持ち悪くて嫌悪する人だっているだろう。


 だが俺はなんとなく馬が合いそうな気がしたんだよ。

 その直感に従って俺は自然に騒介と友達になったんだ。


 なおその後、騒介と同じ中学出身だというクラスメイトの男子が頼みもしないのに勝手に余計なことを教えてくれた。


 騒介は中学の頃にいじめられていたんだってさ。

 それもいじめている側がちょっと揶揄っているだけでいじめている自覚が無いというパターン。

 仲間外れとかパシりにされるとかは無かったらしいが、叩かれたり蹴られたり関節技をかけられたりと物理的なものが多かった。

 だから騒介は誰かに軽くでも叩かれたりすると怖がって怯えてしまうとのこと。


 何がムカつくかって、教えてくれたその男子は俺にそれを忠告するとほっとしたかのような態度になったことだ。

 気になってたなら人任せにしないで自分で何とかしろよ。


 それに騒介はそのことを俺に隠しておきたかったかもしれないだろうが。

 勝手に人の秘密を暴いた挙句に、何もしないことでいじめに加担してたくせに良い事をした的な満足感に浸りやがって、クソが。


 ぶん殴ってやりたかったが騒介が困るだろうからその場は我慢したがな。


 しかし騒介すげぇよな。

 人嫌いになってもおかしくないのに、勇気を出して俺と友達になりたくて話しかけて来たんだぜ。

 マジ尊敬するわ。


「でも言ったからには弁当食わせてくれよな!」

「そうか、じゃあ帰りに下剤買って来るか」

「それは止めろおおおお!」


 そんな騒介が怯えていた。

 事故か故意か。

 頬の赤い部分や怯えた態度と騒介の過去を照らし合わせれば何らかの暴力に晒されたことは間違いない。

 騒介が望んでいない以上、無理に犯人を突き止めてオラオラするつもりはないが、もしも判明したら……いや、考えるのは止めておこう。

 今はダチとのいつも通りの日常を堪能することだけを考えるべきなのだから。


――――――――


 だが世の中は狭いもので、俺は騒介に暴力を振るった犯人を直ぐに見つけてしまった。

 それも最悪な形で。


「春日さん、体調が悪いのですかぁ?」

「どうしてですか?」

「顔色が悪いように見えたのでぇ」

「いえいえ、元気ですよ。ご心配頂きありがとうございました」


 どうやら自分で思っている以上に騒介の事が気になっていたらしい。

 あるいは栗林さんが人の表情を伺うのが得意なだけなのか。

 夕飯を食べる俺の様子に違和感をもたれてしまったようだ。


 だが正直に話したところで困らせるだけなので、何事も無かったかのように装うことにした。


「…………」


 あれ、禅優寺さんが珍しく挙動不審だ。

 彼女は時々驚くことはあるけれど、いつもはマイペースで落ち着いているのに何があったのだろうか。


 そんな違和感が気になっていたら、夕飯を先にある程度食べ終えて一息ついた氷見さんが話を始めた。


「そうそう、今日凄い嫌なことがあったのよ」


 どうやら愚痴を彼女達に聞いてもらいたいようだ。


「待ってえみり」

「学校でキモイ男にぶつかっちゃったのよ。最悪だったわ」


 …………


「あまりにも嫌だったから思わず手で叩いちゃったんだけど、まだあいつに触れたところが汚れている気がして気持ち悪いのよ」


 …………


「叩いちゃったんですかぁ?」

「ええ。手の甲でこうやってね。思い出すだけで鳥肌立ってきちゃった」


 …………


「ただでさえ男になんか近づきたくないのに、そいつ太ってて見た目が凄い気持ち悪かったのよ。よりによってなんであんな奴にぶつかっちゃったんだろう」

「氷見さんがぶつかっちゃったんですかぁ?」

「そうね、急いでいたから早足で歩いていたらあいつが急に男子トイレから出て来たのよ」

「そうですかぁ……そうですかぁ……そうですかぁ……」

「?」


 ふぅ~

 なるほどねぇ、そうきたか。


 分かった分かった。

 了解了解。


 ちょっと落ち着こう。


 まずは禅優寺さんだけれど、事情を知っていたのだろう。

 俺と同じクラスだから、俺と騒介のやりとりを見ていたはずだしな。

 それに友達が多く情報通でもあるから騒介に暴力を働いた犯人を知っていたのだろう。

 だからどうすれば良いか分からず挙動不審だったのか。


 次に栗林さんだけど、俺の様子と禅優寺さんの様子を見て何かに気付いたような感じだな。

 やっぱり幼い言動に反して割と聡いのだろうな。


「ごちそうさまでした! 先に部屋に戻ってるですぅ!」


 何かを察した彼女は冷蔵庫から勝手にデザートを取り出すと、急いでコミュニケーションルームから出ようとした。


「禅優寺さん後はよろしくですぅ」

「え、ちょっと!」


 禅優寺さんに全てを押し付けて面倒事から逃げる外道っぷりだが、ここまでドストレートにやられるとある意味爽快だな。

 元々栗林さんか禅優寺さんのどちらかを先に部屋に帰らせるつもりだったから良いけどさ。


「あ、あの、レオくん?」

「ひとまず夕飯を食べ終わってください」

「禅優寺さんどうしちゃったの? 栗林さんも変だったわ」


 氷見・・が男についての不満を漏らすのは今日に始まったことでは無い。

 禅優寺さんと栗林さんの二人はいつも差しさわりない感じで流して聞いており、今日のような異常な反応になることは無かった。


「はぁ……しくったぁ」


 禅優寺さんは肩を落として夕飯の残りを口にし始めた。


 これから起こることを分かっていて、それを止めようとしないのは俺としてもとても助かる。 


 冷静に。

 冷静になれ。

 作った夕飯を無駄にすることだけはダメだ。


 最早味なんか分からなかったけれど、お米の最後の一粒まで喉の奥に押し込んだ。


 そして残された三人が全てを平らげて一息ついた時。


 俺はついに切り出した。


「氷見さん、お話がございます」

「…………」


 そうですか、無視ですか。


 そりゃそうですよね。

 嫌いな男なんかと話したくないですよね。


 でもこっちはそういう訳には行かないんですよ。


「先程貴方が話していた学校で男子生徒とぶつかって殴ったという話についてです」

「うるさい」


 氷見は話すことなど無いと言った風に席を立ち部屋に戻ろうとする。


「お待ちください」

「…………」


 そうですか、そういう態度で来ますか。


 ふぅ、仕方ないなぁ。




 もう我慢の限界だ。




「待てって言ってるだろ」

「え?」


 へぇ、俺ってこんな低い声を出せるんだ。

 自分でも初めて知ったよ。


 氷見も驚いて歩みを止めこっちを振り返った。

 よしよし、それで良いんだ。


「ここからは管理人としてではなく、桜梅学園に通う一生徒として、そして貴方が殴った男子生徒の友人として言わせて頂きます」

「は? 友人?」


 俺はゆっくりと立ち上がり、少しだけ氷見の近くに寄った。




「俺のダチに何してくれてんだ!」

「きゃっ!」




 悲鳴をあげようが俺はもう止まらない。


 騒介のあの怯えた表情がずっと頭から離れねーんだよ。

 あいつを苦しめた奴を落ち着いて窘められる程、俺は大人じゃない!


「男嫌いだか何だか知らねーが、何もしてねぇ奴を殴りやがって! てめぇのせいであいつがどれだけ苦しんだと思ってる!」


 氷見はぶつかったと言った。

 ぶつけられたとかぶつかってきたではない。


 急いでいて自分からぶつかったにも関わらず、無抵抗の相手を殴りやがったんだ。


「うるさい! 男がどうなろうかしったこっちゃないわ! 良い気味よ!」

「てめぇ!」

「男なんてどうせクズしかいないんだから当然でしょ!」

「てめぇがどんな酷い男に何をされたかなんて知らねーが、てめぇのやったことは男とか女とか関係なく、人としてクズなんだよ!」

「な…………!」


 そうだ。

 男とか女とか、そんな些細なことはどうでも良い。

 こいつが男に酷い目にあわされたとか、騒介がいじめられていたとか、そんな事情すらどうだって良い。


 こいつは自分勝手に無抵抗の相手を暴行した、ただのクズと言うだけのことだ。


 ダチが不条理に暴力を受けた。

 例え騒介がトラウマを抱えていなくても、俺はこうして激怒しただろう。


「れ、れおくん。そのくらいで……」


 …………


 本当はこいつをぶん殴ってやりたかった。


 寮の管理人としての立場とか、女性を殴ったことによる世間の評判とか、今後の人生とか、そんなことはどうでも良かった。

 激しいこの怒りをぶつけてやらなければ気が済みそうになかった。


 寮父だなんて大人ぶってはいるが、俺なんてまだ感情を制御できない子供だったのだろう。

 大人になるということがここで冷静になるということならば、大人になんてなりたくないとすら思う。

 その社会性らしきナニカと引き換えに、人として大切なものを失ってしまうような気がするから。


 だからぶん殴ってやりたい。

 それでスッキリするとは思えないが、それでもぶん殴ってやりたい。


 それほどまでにこいつの行動は俺にとって許せなかった。

 騒介をあんな表情にしたこいつを許せなかった。

 騒介が許したとしても、俺自身が許せなかった。


「…………ええ、分かってます」


 だが俺は決して手を出さず、ここで踏みとどまるつもりだった。

 禅優寺さんが止めに入らなくても、ここで止めるつもりだった。


 その理由は簡単なことだ。

 もしここで俺が怒り狂って俺自身の人生を完全に終わらせてしまったならば、騒介が悲しむだろうから。

 ダチを悲しませるような男にはなりたくなかったから。


「っ!」


 俺が一歩下がったのを見て、氷見は逃げるように部屋から出ていった。


「禅優寺さん、ご迷惑をおかけしました。そしてありがとうございました」

「マジ勘弁してよね」

「お詫びに美味しいデザートでも作りますね」

「そうね、特大パフェでも作って。もちろん三人分よ」

「かしこまりました」


 禅優寺さんがいてくれたことで、俺は氷見に物理的に手を出していないことを証言してもらえるようになった。

 もしも氷見と二人っきりだったなら、俺を恨んだ氷見が事実を誇張して無い事を追加して被害者ぶる可能性もあったからな。

 もちろん禅優寺さんは俺から氷見を守るために残っただけかもしれないけれど。


「ふぅ、やっちまった」


 これまで大人ぶって何を言われようとも冷静に努めていたけれど、ついに感情を露わにして怒ってしまった。

 まだ怒りの気持ちはくすぶっているし、後悔はしていない。

 ただ、これから面倒なことが起こるのかもしれないと思うと憂鬱だった。

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