3. どうせ少し隙を見せれば本性を露わにするでしょう

「明日から学校か」


 ゴールデンウイーク最終日の夜、家事を終えた俺は一人部屋の中で翌日の準備をしていた。

 準備と言っても宿題はとっくに終わっているため特別やることがあるわけではない。

 久しぶりに弁当作りをするので買い忘れの食材が無いか再確認する程度だ。


 いや、もう一つだけ大事なことがあったか。


 シャツのアイロンがけだ。

 最近のシャツは形状記憶のものが多くて洗って干すだけである程度皺が取れて綺麗になるけれど、アイロンをかけたほうがより綺麗になるから俺は毎日必ずアイロンがけを行っている。


 実家に居た時も家族全員分のアイロンがけをやっていたが苦では無かった。

 というか家事の中でも特に好きな部類だ。

 だってアイロンをかけて皺が綺麗になる様子って、何度見ても超気持ち良いだろ。

 あまりの快感にぞくぞくするね。

 これに関しては自分一人分だけになってしまいちょっと物足りないくらいだ。


 そんなこんなでアイロンがけの準備をしていたらコミュニケーションルームの入り口が開いた音がした。

 冷蔵庫に入っている飲み物でも取りに来たのかな。

 栗林さんはこっそりデザートを食べにくるから困りものだ。

 ただその場合は俺にバレないようにこっそり入って来るから足音を隠していないこの人物は別だろう。


 禅優寺さんか氷見さんなら俺に用事という事も無いだろうし、気にせずアイロンがけを続けよう。


 と思ったら突然俺の部屋の入り口がバンと開かれてマジびびり。


「何だ!?」


 慌ててそちらを見ると氷見さんが仁王立ちして立っていた。

 まさかあの宣戦布告って物理的なことだったのか!?


「な、何か御用でしょうか?」


 アイロンがけを途中で止めて恐る恐る氷見さんに対応する。

 どういうわけか例の凍らせる程の睨みが無いから何とか言葉を発することが出来た。


「…………」


 彼女は不審そうに俺を見ているだけで何も言わない。


「あ……あの、氷見さん?」

「…………」


 彼女の目線は俺に、いや、あれはアイロン台に向けられているのか?

 まさかアイロンのことを知らないなんてことは無いよな、ハハ、まさかな。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 氷見さんが何も言わないから俺も何も出来ない。

 そのまましばらく待っていたら、氷見さんは一言だけぼそりとつぶやいた。


「続けて」


 それはアイロンがけのことだろうか。

 この状況で『続けて』と言われたらそれくらいしかないよな。


「は、はぁ」


 もしかして用事があるけれど俺の作業が終わるのを待っていてくれるとか。

 そんな都合の良い事は無いか。

 俺を猛烈に敵対視している氷見さんがそんな優しいムーブをするとは考えにくい。


 妙な状況ではあるが、お言葉に甘えて続けさせてもあろう。


 アイロンでシャツの皺をのばし、皺が出来ないようにハンガーにかけてクローゼットの中に入れる。

 これを三着分繰り返せば終了だ。


 後片付けをして再度氷見さんを見ると、彼女は俺をじろじろと舐めまわすかのように見ていた。

 そして突然部屋の中に入って来た。


 マジかよ。

 男嫌いの氷見さんが男の部屋に入って来るなんてありえないだろ。


 いや、良く見ると右手をポケットの中に入れたままだ。

 あの中に防犯ブザーの類が入っているのだろう。

 もしかしたらこの会話も録音されているかもしれないから迂闊なことは言えないぞ。

 某メディアのように切り取られて恣意的に悪者扱いされる可能性もあるから気をつけないと。


 部屋の中に入った氷見さんはクローゼットを開けて中にかけられている服を何故かチェックしている。


「…………」


 そろそろ説明して欲しいんですけど!


 しかしそんな俺の願いは虚しく、氷見さんは部屋の中をキョロキョロと見回して何かを探しているようだ。

 そしておもむろにベッドの傍に近寄るとしゃがんで下を覗き込んだ。


 おいコラ。


 そこは季節外れの洋服が仕舞ってあるだけだぞ。


 まさか氷見さんはエロエロなあれこれを見つけて糾弾するつもりなのか。

 別に男なんだからあっても良いだろう。

 男性を代表して誠に遺憾であると声を大にして言いたい。


「チッ」


 舌打ち!

 え、何、エロティックなのが無いのがそんなに気に障るの!?


 氷見さんはその後も部屋の中をジロジロと観察すると何も言わずに出て行った。


「男のくせにっ……!」


 最後にそんな呟きを残して。


 一体何だったんだ。


 クローゼットとベッドの下ってことは目的はやっぱりえっちいブツってことだったのか?

 でもクローゼットの中を見た時は俺の服をチェックしていただけだった。

 それに彼女は物を隠せそうな場所だけじゃなくて床とか棚の上とか何気ない場所も見ていたような気がする。


 気にしているのは俺の服と部屋の様子?

 マジで意味が分からんぞ。


 ちなみにお宝は全部データ化されているものなので部屋の中を探しても見つからない。

 パソコンには当然パスワードをかけているから家探し程度じゃバレないのさ。


――――――――


 翌日以降も氷見さんの不可思議な行動は続いた。

 その中でも特に大きな出来事が二つほどあり、それにより俺の管理人としての作業が本格的に始まることになった。


 その最初の出来事はゴールデンウィークが終わって三日後のこと。


「洗濯して」


 夕飯を食べ終わった後、氷見さんが突然俺にこんなことを言い放ったのだ。


「それは寮のサービスのことでしょうか」

「そう」


 なんと氷見さんが自分の洋服を俺に洗濯して欲しいと言い出した。

 確かに寮のサービスに洗濯は含まれているが、同世代の男に自分が着ていた衣服を洗ってもらうなど恥ずかしくて出来ないだろうから永遠に使われることの無いサービスだと思っていた。


「承知致しました。では朝洗濯しますのでそれまでに洗う物を洗濯室のロッカーの中に入れておいてください。夕方頃に畳んだものを入れておきます」


 それでもサービスの内容はちゃんと考えていつでも行えるように準備はしてあったから慌てず対応できたぜ。


「えみりんマジで言ってるの!?」

「洗濯は流石に恥ずかしいですぅ」

「試しに、よ」


 試しねぇ。

 それはサービスじゃなくて俺の事を言ってるんだろうな。


 洗濯サービスを求められた俺がどう行動するのかを試す、と。

 試すも何も普通にやるだけだがな。


 翌朝、洗濯室のロッカーを確認すると確かに使用済み衣服が置いてあった。

 使用済みって表現するとなんかいかがわしく感じるな。

 もちろんやましいことなんか考えずに服の洗い方を確認してから事務的に洗濯機に放り込んだ。

 俺のと一緒だと嫌がるだろうから水が勿体ないが氷見さんの衣服単体で洗濯している。


 ん?

 今何か視線を感じたような。


 気のせいだよな。

 俺は家事をするのと朝ゆっくりしたいから一般的な高校生よりも早く起きている。

 そんなことを寮生たちが知っているわけ無いだろうし、氷見さんだってまだ寝ているはずだろう。


 俺は気のせいだと思い普通にコミュニケーションルームに戻り、朝食と弁当の準備に取り掛かった。


 後は朝の間に外に干して、昼間に武田さんに取り込んでもらって、学校から帰ったら畳んでロッカーに入れれば作業終了である。


「ふわぁあ」

「えみりん眠そうだよ。大丈夫?」

「おねむですかぁ?」


 そういえばこの日からしばらく氷見さんが夕飯の時に眠そうにしてたな。

 夜更かしし過ぎるのは美容に悪いぞ。

 せっかくすっぴんでも肌がとんでもなく綺麗なのに、なんて言ったらアウトだから絶対に言わない。


 ちなみに数日後。


「アレやって」

「アレですか?」

「皺なくなるやつ」

「皺なくなる……?」

「あんたが部屋でやってたやつ」

「アイロンですか?」

「それ」


 まさか氷見さんはマジでアイロンを知らなかったのか。

 そして自分の服も皺取りして綺麗にして欲しくなってしまったのだろうか。


 突然の洗濯サービスの利用は俺を試すフリをしてアイロンをかけてもらうための回りくどいお願いだった、なんてな。

 流石にそれは無いだろう。

 洗濯はマジで俺の何かを試すつもりで、合格になったからついでにアイロンがけもやってもらいたい、ってところかな。


 この日から氷見さんのシャツもアイロンがけすることになり、洗濯物の返却は夕方から二十一時ごろへと変更になった。


「承知致しました」

「男のくせにっ……!」


 俺にアイロンがけを依頼する氷見さんの表情は大層悔しそうでしたとさ、なんでやねん。


 そしてさらに数日後。


「あたしのも洗濯おね~」

「私もやって欲しいですぅ!」


 禅優寺さんと栗林さんも洗濯を俺に依頼するようになったのであった。

 これは何となく分かる。

 陽射しを浴びてしっかり乾いた洗濯物の温もりに満足した氷見さんの反応を見たか、あるいは氷見さんが来ている洋服が皺が無く綺麗なのを見て羨ましくなったのか、だ。


 俺、またやっちゃいましたか。

 料理に続き洗濯でも彼女達を虜にしちまったぜ。


――――――――


 そして大きな出来事の二つ目。

 それは洗濯よりももっと驚くものだった。


「風呂を使いたいんだけど」

「!?」

「!?」

「!?」


 ついに寮の風呂が稼働する時が来たのだ。


「承知しました。ですがしばらく使ってませんでしたので、設備の確認と清掃のため数日お待ちください」

「清掃?」


 ついにボロが出たかとでも言いたげに氷見さんが俺に食いつこうとした。

 俺が清掃と偽って脱衣所や風呂場に何か仕掛けるとでも思っているのかな。


「はい、武田さんにお願いして掃除して頂く予定です」


 寮生が風呂を使いたくなったら掃除して欲しいと武田さんには既に伝えてある。

 掃除方法についても事細かに伝えてあるので、今晩にでも連絡すれば明日にはやってくれるだろう。

 ただお湯を出してみたら錆が混じっていたとか水漏れがあるなどの可能性もあるので、念のため直ぐに使えるとは言わないでおく。


「武田さん……そう……」


 武田さんにお願いするからと言って俺が風呂場に入らないとは言ってないけれどな。

 いやまぁ入らないけどね。

 本当は俺が隅々まで綺麗にしたいのだけれど、そんな疑われることなど出来ない。


「えみりん、流石にそれは……」 


 危険だよ、とでも言いたいのかな。

 まぁ分からんでもない。


 盗撮はもちろんのこと、俺が本当に氷見さん達が思うような悪人であれば全裸で無防備なところに突入するだろうしな。

 浴室には鍵がかかるが、俺は管理人だからマスターキーを持っている。

 彼女達の立場で考えれば不安でしか無いだろう。


「大丈夫、アレやるから」

「でも……」


 アレって何だろうか。

 防犯ブザーでも持ち込むつもりなのかな。

 あるいは入り口を中から物理的に開かないようにするとか。


 まぁそれで安心出来るなら好きにやって下さい。

 俺はまだしばらく自室のシャワーで我慢してるからさ。

 ここまで激しく疑われていなければ俺も時間差で使って良いか交渉するんだけどなぁ。


 そして数日後。


「えみりん待って。まだ早いよ」

「お二人はゆっくり来てください。先に行って何か仕掛けられていないか探しておきますので」

「そ、そう……」


 禅優寺さんと栗林さんもお風呂に入りたかったのだろう。

 順番に監視役を立てて三人で入るようになった。


 異世界モノの野営かよ!













『男のくせに部屋が綺麗だなんて、服が綺麗だなんて、うらやま……っと卑猥なものが無いなんて、私の服をクンカクンカしないなんて、風呂を盗撮しないなんて、覗きに来ないなんて、真面目に仕事するなんてありえない! 徹夜までして監視したのに何も見つからない。なんて用心深い奴なの! まさか本当に……ううん、そんなことない、真っ当な男なんてこの世に存在するわけが無い。それなのにあいつはどうして怪しいそぶりすら見せないのよ。まさか私に魅力が無いって言うの!? 男なんて!』

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