戸張さんと皆既月食

そばあきな

戸張さんと皆既月食

「今夜は皆既月食だって、戸張さん」

 僕がそう言うと、街灯に照らされた戸張さんはこちらを向いて笑った。

「そうらしいね。ところで大神くんは今夜外に出て大丈夫なの?」

 戸張さんに尋ねられて、僕は首をひねる。

 その質問の理由は、僕が満月になると変化する狼男と満月でも変化しない人間のハーフだからだろう。

 確かに皆既月食の時はどうなるのだろう、と思った。経験がないので僕には答えられなかった。

「……分かんない。満月だから耳は生えそうだけど月が欠けたら途中で戻るかも」

「……へえ。じゃあ、今夜はその大神くんを観察してもいいかな?」

 戸張さんがそう言って、僕のまだ変化していない耳をじっと見つめた。

「…………斬新だね」

 色々言いたかったはずなのに、戸張さんに見つめられた僕はそう返すことしかできなかった。



「すごいね、見るたびに月が欠けていってるよ」

 僕も隣で見ているのに、戸張さんは僕に逐一月の様子を報告してくれている。

 そんな元気な戸張さんとは正反対に、僕は時間が経つにつれて、アルコールで大人の人が酔っぱらってしまったみたいに頭がくらくらと回り始めていた。

「……うまく言えないけど、どんどん力が抜けていって不安な気持ちになってきたよ」

 途中で変化した耳もしぼみ始めて、力が入らなくなっていくのが自分でも分かる。何十年に一度くらいしかない珍しいイベントだというのに、どうやら狼男にとって皆既月食は良くないイベントのようだった。

「……やっぱり狼男って満月が一番力が強いんだね」

 戸張さんが僕の背中に手を置いて、ぽつりと呟く。

「そうなのかも。ハーフの僕でも辛いから、100%狼男のお父さんは家で倒れてるかもしれないや」

「……心配だね」

 僕の背中をさすりながら、戸張さんはじっと欠けていく月を見つめていた。



「大神くん、手とか握ろうか?」

 ふいに戸張さんが、ベンチに置いていた僕の手の上に自分の手を置いた。

「どうして?」

「辛そうだから。そういう時、相手の手を握ってあげるとみんな安心するんだ」

「……僕は狼男だから、不用意に優しくしない方がいいよ」

 さすがにクラスメイトの女の子を傷つけたくはなくて、僕は首を振る。けれど、戸張さんは僕から手を離すことはなかった。

「大丈夫だよ。大神くんは優しいから」

「……優しいのは戸張さんの方だよ」

 でも、きっと戸張さんのこういうところが色んな人たちに好かれる理由なのだろうなと思う。戸張さんの手の温かさを感じながら、僕は少しだけ目を閉じた。



「ありがとう戸張さん。だいぶ落ち着いてきたよ」

 しばらく目を閉じてじっとしていたら、さっきまでの頭の痛さが嘘のように収まって僕は元気を取り戻していた。

「本当だ。月も元に戻っていくね」

 空を見ながら、戸張さんが淡々と口を開く。

「次の皆既月食の夜は気をつけるよ……」

 もうこんなのはこりごりだからと僕が言うと、戸張さんが少しだけ口元を緩めて笑いかける。

「その時はまた手を握ってあげるね」

「え?ああ、うん。ありがとう……」


 次の皆既月食の時も一緒にいるの、なんて言葉は口に出せなかった。



 そうして、戸張さんとの皆既月食の夜は終わりを告げた。

「またあしたね」と別れて僕は家に戻る。


 家の扉を開けて寝室に入ると、しかめっ面のお父さんがベッドでうなっているのが見えて、やっぱり狼男と皆既月食は相性が悪いんだなと、自分自身の体験で散々分かったはずのにそんなことを考えてしまっていた。

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