10-7.みーちゃんは現実を受け入れる
美空の生家へと向かう道中で、俺は、みーちゃんにどうやって両親が居ないことを伝えようかと考えたが、答えは思い浮かばない。
美空も多分、同じ難題に悩んでいる。いつもは暇さえあればスマホを弄っているのだが、今は俯いている。
みーちゃんを背負った俺から遅れがちになるくらいなので、相当、心ここにあらずだろう。
七歳の子に『七年後に両親が死ぬ。そして今は、両親の死から三年がすぎた世界だ』なんて、どうやって説明すればいいんだ。
答えなんてあるはずがない。
大通りから一本脇道に逸れて、戸建てが並ぶ住宅地を進む。見知らぬ景色に、初めて歩く道。若干の居心地悪さと、迷子への不安を感じながら、俺はみーちゃんの指さしガイドに従って歩く。
俺は美空の生家に来たことは一度もない。
だから、暫く進んでから、背中のみーちゃんが俺に抱きつく力を強くしたことで、そこが美空の家だと知った。
住宅地の中心で、そこにだけぽつんと、建物のない土地があった。
砂利が敷き詰められた地面にはまばらに雑草が生え、白いロープが等間隔に杭で打ち込まれている。現在の土地所有者が私的に利用している駐車場だろうか。
俺がしゃがむと、みーちゃんは背中から降りる。そして、小さい体を大きく揺らしながら走って、空き地へと入っていく。
みーちゃんの足下で、幼い混乱がそのまま砂利に伝わったかのように不規則な音が鳴る。石がぶつかる耳障りな音から、俺は意識を背けたかった。
今にもこけてしまいそうな足場をみーちゃんは必死に進んだ。
「お家、何処?」
みーちゃんは駐車場の中央に立ち止まり、周辺の景色へ何度も視線を巡らせる。十年間で何が変わったのか俺には分からない。けど、みーちゃんが知る景色と違うことだけは確かだ。
俺の傍らで美空が何処か悲しそうに、でも、落ちついた様子で呟く。
「中橋さんの家に引き取られてからここに来るの初めてだな……」
美空は義父さんでも義母さんでもなく「中橋さんの家」と口にした。おそらく無意識のことだろうが、今でも美空が本当の両親を忘れていないから言葉になってしまったのだろう。
俺にはかけられる言葉が何もない。
まさか、家すらなくなっているとは思わなかった。
新しい住人に事情を説明して、庭くらい見学させてもらおうかと思っていたのに……。
美空がみーちゃんの元へと向かうから、俺も一歩後ろについていく。何気なく駐車場内の様子を意識してみるが、そこに、人が暮らしていた痕跡は何もなかった。
美空はみーちゃんの傍らに寄り添い、しゃがむ。
「今はね、みーちゃんがここに住んでいた時から十年が過ぎているの。
パパとママは遠くへ引っ越したの」
「じゃあ、私はパパとママには会えないの?」
「うん。……会えないの」
俺はただの傍観者だから、後になるまで、この時の会話の齟齬に気付かなかった。
二人は分かりあっていた。俺だけ、理解できていなかった。
「……私は独りぼっちなの?」
俺は、このみーちゃんの発言の「私」をみーちゃんだと思った。
しかし、これは美空を意味していたのだろうと、後になって気付く。
みーちゃんは美空を未来の自分だと認めた上で、この時代に両親が居ないことを察して、美空に「独りぼっちで寂しくないか」と聞いたのだ。
みーちゃんだって混乱の渦中にあるはずなのに、美空のことを心配していたのだ……。
「独りじゃないよ。
私は、大好きな家族と一緒に暮らしているから、寂しくないよ」
美空は震える声を抑えるようにして、みーちゃんを抱きしめる。
「家族?」
「うん」
「……わたしは、この人のお嫁さんになるの?」
「え?」
「は?」
思わず俺まで反応してしまった。
「だって、家族なんだよね?」
「いや、そうじゃなくて、俺と美空は同じ人の養――」
「そうだよ! 私、ひー君のお嫁さんなの」
美空が俺の言葉を遮り、みーちゃんを放して勢いよく立ち上がる。
そして、俺の両肩を掴んで引っ張り、頭突きしかねない勢いで額を近づけてくる。
(養子なんて言ったら両親が亡くなったことが知られちゃうよ)
(いや、だからって……)
(今だけでいいから話を合わせて)
まつげ長ッ。こんな間近で美空を見るのは初めて……。じゃなくて、今だけに限らず、将来的にお嫁さんになるの、ありだと思う。
「なんでいきなりキスしてるの?」
みーちゃんの驚いた声。美空が俺に顔を近づけているところが、小さいみーちゃんからはキスしているように見えたのだろう。
「ほらね。私達夫婦だから、キスしたくなったらしちゃうの」
「ええ……。それは良くないと思う」
みーちゃんの言うとおりだ。
「好きすぎて急にキスしたくなるの」
「わたしなら、もっと素敵な人と結婚できると思うの……」
酷え……。無邪気だからこそ出てきた嘘偽りのない本音が、思いっきり俺のハートを突き刺してくる。
「ひー君は、これでもいいところあるんだよ」
「美空、フォローしてくれるのは嬉しいんだけど、これでもって……」
「例えば? お兄ちゃんのいいところって何処?」
みーちゃんが不思議そうに首を傾げる。
「えっと……」
十年後のみーちゃんも同じ仕草で首を傾げた。
「悩まず即答しろよ!」
「あっ、そうだ。優しいところ!」
出た! 定番!
意味は「直ぐには思い浮かびません」だ。
というか、俺が心の中でツッコミを入れている間に、次のいいところ挙げてよ。
「お兄ちゃんのいいところ、優しさしかないんだ……」
「そ、そんなことないよ」
美空は俺を一瞥すると、直ぐにみーちゃんへと向き直った。
待って、本当に俺のいいところ思い浮かばないの?!
本当は俺のいいところ、数え切れないくらい知っているんだけど、本人の目の前では言いづらいだけだよな? な?
「やっぱり、未来のわたしって、ちょっと駄目ね」
みーちゃんはおしゃまな口調で微笑む。目元に涙が浮かんでいたから、無理やり笑顔になろうとしているのが、痛いほど伝わってきた。
けど、みーちゃんの心の中で何かの区切りがついたことも分かった。
みーちゃんは今ようやく、自分がタイムスリップしたという事実を受け入れたのだろう。
「でも、お兄ちゃんが優しいのは、わたしも分かる」
みーちゃんがおんぶしてと言いたげに両手を開いたから、俺はみーちゃんに背中を見せてしゃがむ。帰るのかと思ったけどみーちゃんは背中に乗ってこずに、俺の前に回りこんできた。
「すこしだけ、好きかも」
みーちゃんは顔を俺の頬に近づけると、ちゅっと唇で触れてきた。
そして、俺達の周囲がライトを浴びたように明るくなる。
「え?」
タイムスリップしてきたみーちゃん達が元の時代に戻る条件は、俺とのキス。
もしかして今ので、みーちゃんが過去に戻る?
「みーちゃん?」
みーちゃんが微笑む。
「お迎えが来たみたい……」
みーちゃんの笑顔ごと光は俺達を包み、広がっていき――。
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