10-5.電車に乗ってみーちゃんを追う

 頼れる友人の登場に俺は安堵するが、その感情を伊吹に知られたくないから、強がって軽口を叩く。


「伊吹。無音で登場するな。ビビるだろ」


「悪役レスラーは、リング上に乱入するまで観客には気付かれないものさ」


「伊吹、お前、悪役だったのか……」


「まだ見つからないんだろ? 行けよ」


「助かる。行こう、美空」


「う、うん。伊吹君。またね」


 俺は美空を促し、駆けだす。


「おい、待てよ中橋!」


 パイ先が俺の方へ腕を伸ばすが、伊吹が間に割って入る。


「中橋を追いたければ俺を倒してから行け。……中橋、俺に構わず進めえッ!」


 伊吹がなんかの漫画で読んだような台詞を叫んだ。あいつのことだから、多分、漫画キンニクメンだろうな。明らかに状況を楽しんでいる。パイ先のことなど眼中にないらしい。


 頼もしいやつだ。伊吹だったら、パイ先達を怪我させずに制圧するだろう。伊吹は俺の義母さんの大ファンだし、今度、朝食にでも招待してやるか。

 義母さんが、砂糖をたっぷり入れたカフェオレにフランスパンを浸して食べているのを知ったら、さぞ驚くことだろう。

 俺が目の前で甘い物を食べたときみたいに「それは***キロカロリーだな。ランニング*時間分だぞ」とでも言うか、楽しみだ。


とにかくこれで後顧の憂いとやらは断たれただろう。


 俺はみーちゃんの捜索に専念できる。


 駅構内に入り、券売機の上にある路線図を見上げる。乗降駅から各駅までの値段が書かれている。


 みーちゃんの目的地は岡田駅だが、所持金が足りないから途中までしか行けないはずだ。


「あった。300円なら、屋野まで行ける」


 俺はお尻のポケットから財布を取ろうとするが、財布はない。焦るあまり、愛沢さんに貸したままだったことを失念していた。


「美空、悪い。お金貸して。300円」


「うん」


「電車来る。乗ったら説明するから急いで」


 構内放送が、岡田方面の上り列車が間もなく到着すると告げている。


 こういう時に限って、千円札がなかなか券売機に入っていかなくて、本当に焦る。俺的には、パイ先に絡まれたことよりも危機感は上だ。


 俺達は何度も券売機とホームへ視線を右往左往させつつ切符を買い、飛びこむようにして自動改札を通り抜ける。


 上り列車は反対側のホームに到着するため、俺達は陸橋を渡る必要がある。俺は全力で階段を駆け上がる。


「美空! 無理するな。乗れなかったら、次ので屋野に来てくれ」


「うん」


 間に合わなかった場合は俺一人で先行しようと思ったけど、杞憂だった。

 構内放送は余裕を持って早めに流れていたらしく、俺達が反対側ホームに着いてから、ようやく列車の先頭がホームに到着するところだった。


「間に合った……。美空、走らなくて良い。コケないように階段を降りろ」


「うん」


 俺達は駆けこむことなく安全に電車に乗れた。


 乗客はまばらだったので、空いていた二人席に座る。


「ねえ。さっきの人達は誰?

 伊吹君は大丈夫なの?」


 哀れパイ先。美空に存在すら知られていなかった。


「さっきの人達は同じ高校の先輩。

 何かの勘違いでずっと俺に絡んでくるんだよ」


 何気なく窓の外を見れば加速する景色の中で、レアリティ1の男達が並んでスクワットをしていた。

 いったい、何故、そうなった……。


 伊吹が腰をしっかり落として膝を直角にしているのに対して、パイ先達は全然膝が曲がっておらず、ふらふらしている。


「伊吹が大丈夫かってのは、愚問だろ。

 覚えてるだろ。あいつ、軽トラにはねられても無傷だった男だぞ」


「うん。そのままレスリングの大会に出場して優勝したのは、もう漫画の世界だよね……」


「きっと今頃、さっきの絡んできた連中に筋トレの楽しさを教えこんでいるさ」


「それは、ないと思うな」


「そうか……」


 俺はみーちゃんのことで気が動転するあまり、幻を見てしまったようだ。


「……ねえ、なんで300円分の切符なの? 永田までは570円だよ」


 美空がスマホで、路線検索の結果を見せてくれた。確かに570円と書いてある。


 しかし、みーちゃんを追跡するなら、俺達は永田駅まで行く必要はない。


「みーちゃんの所持金が300円なんだよ。

 昨日、パンツが膝までずり落ちたのに、何もしなかった。

 俺がパンツを掴んで――」


「ひー君、みーちゃんのパンツを掴んだの?!」


「……それは一旦忘れろください……」


「わすれろください」


 抑揚なく俺の言葉をそのまま繰り返す美空の意図が分からない……。怖い。


「とにかく、みーちゃんは俺がパンツをシャツの中にあげてあげる間、何もしなかった」


「ひー君がみーちゃんのパンツ穿かせたの?!」


「だから、それは忘れろって……。

 俺はパンツを押さえただけ。

 美空ちゃんがトイレに連れていって、穿かせなおした。

 とにかく、みーちゃんは手を使わなかった。

 右手はアイスを持っていて、左手はお金を握っていたから、両手が使えなかったんだ。

 俺、昨日みーちゃんと一緒にしまクロに行ったんだよ。

 アオンのしまクロって100円で動く車の玩具あるよな?」


「うん。買い物中に小さい子を遊ばせておくスペースだよね」


「俺、財布の中にあった百円玉を三個みーちゃんに渡した。

 その後、自分の服を見に行って目を放していたから……。

 多分、みーちゃんはあの時、お金を使わなかったんだと思う」


 ああ、そうやって考えれば、エアー遊具のことも腑に落ちる。


 みーちゃんは遊びたかったわけじゃない。俺からお金をもらって、お釣りを残そうとしていたんだ。だから「自分一人で遊ぶからお兄ちゃんはどっか行ってもいい」って言ったんだ……。


 ファミレスに行った時も、ケーキを食べる時に右手しか使っていなかった。左手は机の下だった。あの時もお金を握っていたから左手は使えなかったんだ。俺がドリンクバーに行く時、みーちゃんはグーにした左手でグラスを俺の方に移動させた。


「俺の考えが正しければ、みーちゃんは300円持っている。

 だから、途中まで電車で移動して、そこから線路沿いに歩くはずだ」


 俺達は折り返し駅で乗り換え、美空の生家の最寄り駅から三つ手前の屋野駅で降りた。


 無人駅なので、駅員にみーちゃんらしき子が来たかどうか尋ねることは出来ない。


 初めて降りた駅だから当然、初めて見る景色だ。

 道は分からない。

 だけど、俺は地図アプリを使わない。


 地図アプリは最短のルートを選んでしまう。けど、みーちゃんにはそれができない。


「みーちゃんは、線路に沿って歩いたはずだ。行こう。

 追いつけるはずだ」


「うん」


 俺と美空は周囲を確認しながら、線路沿いの道路をひたすら南に向かって歩く。


 そして、二十分後。

 俺達はみーちゃんに追いついた。

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