9-2.俺は義母さんと戦う

 俺は短パンに着替え、裸の上半身にスポーツタオルを掛けて、中庭へ向かう。

 中庭といっても、池や灯籠がある日本庭園ではない。


 幼い頃はこれが当たり前だと思っていた。美空が養子になるまで、俺はいつもここでいいように弄ばれていた。


 まだ太陽が低いため、中庭は薄暗い。


 誘われても二度と義母さんと、こんなことをするつもりはなかった。


 正直、怖い。

 けど、美空達のために俺は戦う。

 義母さんは健全な精神は健全な肉体に宿ると信じている。なら、俺が肉体の健全を証明できれば精神の健全も明白になる。


 そうしたらきっと、俺の言葉に耳を傾けてくれるはずだ。


 物音がするから振り返れば、義母さんがやってきたところだ。


「義母さん、その格好……」


「急だからな。他に動きやすいのがなかった」


「だ、だからって、それはない!」


 義母さんは、美空のスクール水着を着ていた。


 俺は瞼を閉じ、目頭にグッと力を入れる。

 何かの間違いであってくれと祈りながら瞼を開けると、やはり義母さんは美空のスクール水着を身に纏っていた。


 胸がパッツンパッツンで、名札の文字が歪んでいる。

 着方が分からなかったのか意図的なのか、首を出す所から首と一緒に右肩を出しており、今にも胸がはみ出してしまいそうだ。


「レスリングのコスチュームと、そう変わらん」


「いや、そうは言っても……」


 確かにうちの高校の女子用水着は太もも部分がスパッツみたいになっているやつだから、肩紐を片方だけかけていればレスリングの女性選手の格好と似ている。


「さあ始めるぞ」


 義母さんが、中庭に敷かれたマットの上に立つ。

 おそらく、着替えるよりも先に敷いておいたのだろう。


「待って。義母さん、俺が美空のことをどう思っているか知ってるでしょ。

 その格好は駄目。タイム。

 俺、思春期真っ盛りなんですけど」


 俺はもじもじしながら腰を落とす。


 義母さんの「仕方ないやつだな」という苦笑を頭上にくぐり抜け、俺は太ももへと飛びつく。


 くらえ!

 奇襲作戦だ!


 デッカい手羽先付けてんの! と叫びたくなるぶっとい脚を両腕で抱え込み、俺は肩で義母さんの下腹部に圧力を与えて押し倒すつもりだった。


 だが、一瞬、何が起きたか分からないまま、俺は気付けば空を見上げていた。


「……え?」


 背中には軽い衝撃。まったく痛みを感じることなく、寝かされている。


 俺の腹を跨いで義母さんが座っている。

 一瞬のでき事すぎて、何をされたのか理解できない。


 タックルを仕掛けた俺は、まるで赤子を寝かしつけるかの如く、優しく易々とひっくり返されたのだろう。


「狙いは悪くなかった」


「くそっ」


 義母さんは立ち上がり、一歩下がる。


 レスリング女子フリースタイル五十八キログラム級の選手として五輪に出場し、二度の金メダルを取ったのが、この義母だ。


 レスリングマニアの友人伊吹がレスリングを始めたのも、俺が伊吹とガチ喧嘩をすることになったのも、全てこの、人の皮を被ったゴリラが原因だ。

 ちなみにだが、伊吹の初恋相手でもある。辛うじて人間に近い外見をしているだけの凶獣が伊吹には地上に舞い降りた女神に見えるそうだから、恋は盲目とはよく言ったものだ。


 俺は中橋家の養子になった後「強い男になれ」と義母にレスリングの技術を叩きこまれた。


 別に、それはいいよ。

 スポーツが得意な親が、それを子に教えるのは世界中の何処でもやっていることだろうし。


 けどさ、いくら母親とはいえ、血の繋がらない巨乳外国人美女と肌を重ね合わせるなんて、年頃の男子に経験させたらいけないことだと思う。


 俺が中学生になって体が大きくなり力も強くなった時、義母さんと初めて試合形式の練習をした。

 そして、不幸が起きた。

 義母さんが俺を押さえこみ股間を思いっきり掴んで、成長期やら第二次成長期やらを迎えていた俺は――。

 駄目だ。思いだしてはいけない……。


 初めての**が義母さんに握られた時だなんて、一生のトラウマだ。


 当時の俺の認識では、義母さんは母親というより外国人の巨乳美人お姉さんだった。その人に「男の子だからしょうがないし、恥ずかしいことじゃない」と慰められたことは酷い追い打ちだ。

 さらに、その日の夜、フランス流の直接的な性教育という死体撃ちまでされた……。


 フランスでは中学校の授業で性教育として、男子も避妊具の着け方や性行為などの方法を教わるらしい。

 そんな義母さんだから、いきなり夜中に俺の部屋にやってきて「コンドームの着け方を教えよう」と迫ってきたのだ。


 あの時は本当に驚いた。

 義父さんが日本の性教育事情を説明してくれたおかげでなんとかなったが……。

 あれが切っ掛けで義父さんが俺の部屋を和室から洋室に改築してくれて、ドアに鍵がかかるようになった。


 俺、よく、グレたり引きこもったり性癖が歪んだりしなかったものだ。とんでもない児童虐待だぞ。


 とにかく俺はそれ以来、トレーニングだけは日課として続けているけど、トラウマ化したレスリングからは離れている。


「タックルの予備動作を悟らせないように、勃起を隠すフリをして腰を落としたところまでは、良いアイデアだ。

 だがな、母を舐めるな。

 貴様が勃起していなかったことくらい、見れば分かる」


「見た目で分かられたくないんだけど!」


 というか勃起連呼するな!


 俺は再び腰を落として、義母さんの隙を窺う。


 さて、困った。


 筋トレや早朝のランニングは欠かしたことはなかったけど、全然、差が縮まっていない。レスリングの練習はしていなかったのだから、技術の差は歴然。


 ぶっちゃけ、最初の奇襲タックルで倒せなかった時点で、もう勝てる気がしない。


 けど……。


 ゲーム機が欲しい。

 ――タックルに成功したら買ってやろう。


 スマホが欲しい。

 ――私の両膝をマットにつけることが出来たら買ってやろう。


 旅行に行きたい。

 ――私を腹に乗せた状態でブリッジを10秒維持できたら連れて行ってやろう。


 いつだって義母さんが出す条件をクリアしたら、お願いを聞いてもらえた。


 俺は義母さんからフォールを奪う!

 レスリングで勝って、四人の美空との同居を認めてもらうんだ!

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