第9話 義母さんを説得する
9-1.義母さんに美空のことを打ち明ける
日曜日。
四人の美空達は今日泊まる場所はないし、昼食を取るお金にすら困るはずだ。ホテル代を払ったら1,000円くらいしか残らないだろうから、安い菓子パンとペットボトル飲料を四人分買うのが限界だろう。
やはり、両親に事情を説明して、四人の美空達を中橋家で生活できるように説得するしかない。
義父さんは義母さんに甘いから、義母さんさえ説得すればなんとかなるはず。
昨晩義母さんが作ってくれたシチューの残りと、フランスパンとカフェオレという朝食を取り終えた後、俺は美空が離席したタイミングで何気ない風を装って話を振る。
「義母さん。紅茶を淹れるよ」
「ああ。ありがとう」
抑揚が少なく硬質な声。不機嫌なわけではなく、元々義母さんはこういう喋り方をする。
先ずは俺が紅茶を出すまで義母さんをキッチンテーブルに留めておくことに成功した。
六人で生活した痕跡は可能な限り消してある。それが功を奏したのか、義母さんが何かを気取った様子はない。
パンやおにぎりの包装紙は小さくまとめてゴミ箱に捨てたし、洗った皿は棚にしまってある。
居間の座布団も片づけた。
下着類は美空が自室に干して隠している。
中学生時代の制服や、靴が家からなくなっているから、完全にとは言えないまでも可能な限り四人の痕跡は消してある。
俺はお湯を沸かしながら、義母さんへ背中越しに話しかける。
目を見ながら話せるような内容じゃないから、しょうがない。
「あのさ、タイムスリップって知ってる?」
「……知らないな」
やはり、タイムスリップという概念自体を知らないか。
義母さんはスポーツを見るけど、映画やドラマはあまり見ないからな。
「タイムスリップというのは未来や過去から人がやってくる現象のこと。
例えば、大人になった自分や幼かった頃の自分が目の前に現れるんだよ」
「未来は我々を不安の海へ引きずり込もうと手を伸ばす。
だが、その時が来るまで我々の前に現れない。
吹雪と共に目の前に現れるのは、いつでも過去の亡霊だけだ。
……どうした。学校で何か失敗したのか?」
「そういう難しい話じゃなくて……。
例えば、目の前に大人になった美空が現れたとするよ。
で、この家で一緒に暮らすとして……」
「喧嘩でもしたのか?
幼い頃は、異性が自分より大人のように見えるものだ。
自分の精神が遅れて成長しているように感じたとしても、不安になる必要はない。
お前も美空もまだまだ子供だよ」
……駄目だ。
哲学か宗教か文化か、とにかく大きな隔たりがあって、タイムスリップの概念が共有できない。
俺が思春期特有の悩みを相談している風に陥っている。
しょうがない。
怒られる覚悟で、ハッキリと打ち明けよう。
「ここで、四人の女性と同棲したい」
『なんだって?』
義母さんが母語を漏らすのも無理はない。俺だって無茶なことを言ったと思う。
中橋セラフィマ・レヴィタン、三十二歳。
俺の義母さんは、フランス出身のフランス人だ。
さっきも、フランス人らしく、フランスパンをカフェオレに浸して食べていた。
「翻訳する。少し待て」
義母さんは俺の言葉が正しく理解できたからこそ、誤解したようだ。おそらくスマホで翻訳アプリを使っているのだろう。沈黙が辛い……。
俺はお湯が沸いたので紅茶を淹れ、義母さんの前へ移動する。
紅茶を置き、もう一度、ゆっくりと伝える。
「ここで、美空を、加えて、五人の、女性と、同棲、したい」
「……私の理解が間違っているわけではないようだな」
「うん」
「日本はいったいいつから、一夫多妻制になったんだ?」
声の温度が下がった。冷たい眼差しの上で、白銀の髪が刃のように揺れる。
無理もない。義母さんはジョークやユーモアを嫌う。
テレビでドッキリ番組や、どつきあい漫才を放送していたら、直ぐにチャンネルを変えるし、不機嫌になる。
その都度、人を叩いたりからかったりして笑うような価値観を持った大人になるなと、何度も諭された。
義母さんは日本人の感覚からすれば頭が固いだろう。だが、教育哲学に芯が通っており、良き母だと思う。
しかし、今の俺にとって義母さんは到底受け入れがたい価値観を持っている。
もし俺の言葉が質の悪い冗談に聞こえたのなら、待っているのは教育的指導だろう。嫌がる俺を強引に組み伏せることが、将来、俺のためになると思いこんでいる。
俺からしてみれば、中学時代に母から受けた行為の方がよほど教育に悪い。
そう。
俺は、再び教育的指導を受ける覚悟で、義母さんに美空のことを打ち明けた。
「俺にとって美空と同じくらい大事な女性が四人できた。一緒に暮らしたい」
義母さんが紅茶を一口飲み、カップから口を離す。
「……服を脱いで中庭に来なさい」
「……分かった」
中学時代の暗い記憶が蘇りかける
あの忌まわしき記憶が……。
俺は一瞬だけ瞼を強く閉じて、記憶を封印する。
瞼を開けると、椅子に座った義母さんの姿が急に大きく見えた。
いや、違う。俺が幼い頃に戻ってしまったんだ。
駄目だ。俺はあの記憶から逃げられないんだ……。
下腹部を掴まれたかのような、恐怖と羞恥が混じった感情が込みあげてくる。
薄々予感していたが、最も恐れていた事態に陥ってしまった……。
これから始まるのは、五人の女性と同居するのよりも淫らで非道徳的な行い。
教育という名を借りた児童虐待だ。
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