幕間 侍女のアンナは待ち遠しい

 かつて、あたしはあまり良い環境にいたとは言えなくて。

 勉強とかおしとやかにするとか、そういうジッとしてなきゃいけないようなことは大嫌いだったし、なんならアレンと一緒に剣を振っている方がずっと好きだった。


 だから先々代の辺境伯……つまりアレンのお爺様があたしやイザヤを辺境伯家の使用人に雇ってくれると言われたときには、驚いたものだ。

 アレンが、辺境伯にならざるを得なくなったから。

 

 あたしには、侍女なんてできやしないってわかっていた。

 それはイザヤも心配していた。

 だからあっさり、あたしは私兵団の方に回された。ほっとした。


 そのうち、小回りが利くし若い女で変装もしやすいってことで諜報系の仕事も任されるようになった。

 といっても閨に忍び込むとかそういうのではなく、よその町へ行商人の妻のふりをしたり、職人の見習い少年になりすますとか……そんな感じ。


 そんな中でアレンとイザヤから、嫁いできた『悪辣姫』が何かおかしいっていうんで、あたしに侍女の格好をして様子を見ろって言われた。

 侍女の真似事はさすがにしたことがないと一度は断った。

 だって相手は腐ってもお姫様だ、あたしの付け焼き刃じゃバレるに違いない。


 それを前提に、あたしにやれとアレンは言った。

 絶対に何かおかしい。そう思ったらしい。


 そして仕えてみてわかった。

 ヘレナ様はどこまでも静かで、空っぽで、優しい人だ。

 自分が傷つかないためにカラに閉じこもっているように見えて、そこには必ず『相手が嫌な思いをしない』ように心がけている。


 本当に自分のことだけの人は、相手のことなんて考える余裕なんてない。

 自分に自信が持てないヘレナ様は、あたしたちの言葉を困ったように受け取るけれど、決してそれを頭から否定することもないのだ。


 それは、あたしたちの考えを否定することになるから。


(……こんなに優しい人を、どうして無視できたんだろ)


 あたしの家は、大家族だった。

 だからどうしたって、親の目が届かないことなんていくらでもあった。

 けど、まるっきり無視されるなんてこともない。


 ヘレナ様のことを知れば知るほど、あたしはヘレナ様のことが好きになる。

 

 大雑把でがさつなあたしの掃除は上手いなんてお世辞に言えたもんじゃないし……多分、本当の侍女サンならもっと静かに掃除ができる。

 でもヘレナ様はお礼を欠かさず言ってくれる。


 お茶を淹れることだって、正直飲めりゃいいとすら思うあたしなんかと違ってヘレナ様は繊細なはずなんだ。

 それでも何も言わずに飲んでくれて、温かいお茶をありがとうとか言うんだもの。


 そりゃ、一つ一つはなんてことないことだ。

 でもあの人の生い立ちを聞いて、普段の生活を見たら、好きになるじゃないか。

 あんなに辛い目に遭って責任押し付けるみたいに独りぼっちで嫁がされて、誤解をされたまま離れに追いやられてさ。

 あたしたちに八つ当たりしてもいいくらいなのに。


 アレンが今から挽回するんだって頑張って告白したらしいけど、それを全部許して『優しい人』なんてアイツのことを言っているヘレナ様の方が、あたしから見たらずっと優しい。


(幸せになってほしい)


 幼馴染には勿論のこと、ヘレナ様がこのままアレンのお嫁さんでいてくれたら、きっとモレル領は幸せだ。

 優しいあの人と、アレンが子供たちに囲まれて笑う姿を早く見たくて、あたしはもうちょっと侍女のお仕事ってヤツを学ぼうと思うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る