第37話

「申し訳ある! 来る、自分、急いでた!!」


「殿下、無理にこちらの言葉を話すと話が進みません。申し訳ございません、辺境伯殿、奥方も」


「いいえ、あの……それでどうなさったのです?」


「お二人のことは大歓迎だ。……厄介事でなければ」


 アレン様は友人として訪ねて来てくれる分には歓迎するという意味を持たせたけれど、それはドゥルーブさんにも伝わったようだ。

 とても申し訳なさそうな表情を浮かべたドゥルーブさんだけれど、すぐにアールシュ様と何か目配せをして小さく頷いた。


 そして、二人の視線が私に向いたではないか。


「……少々、厄介事と言えばそうやもしれません。ですがどうしても我が国にとっても大切なことで、ご協力いただきたい」


「……もしかして、私に、ですか? でしたら大変申し訳ありませんが、パトレイア王国に対して私が働きかけることはどうにも難しいかと……」


 そう、私に何かを頼みたいとしたら、パトレイア王国に関することだろう。

 ただ残念ながら私はあの国にとって悪評高き【悪辣姫】なので、なんの影響力も持っていない。


 そのことを一応告げると、お二人は揃って首を振った。


「そうではないのです。むしろ、奥方にとっては辛い話になるかもしれません。そのため、殿下からではなく私からお話をさせていただきたいのです、モレル辺境伯殿にも知っていただくために」


「……聞こう。ヘレナが辛そうならば止めるが、それでいいなら」


「勿論です。誓って我らはお二人に危害を加える意思などなく、個人的にも国家的にも今後とも友好関係を築きたいと考えています」


 私がアールシュ様を見ると、アールシュ様は申し訳なさそうな顔でこちらを見ていた。

 どうやら、ドゥルーブさんの言葉は本当のようだ。


「……奥方は、ユルヨ・ヴァッソンをご存じでしょうか」


「!」


「やはり。ではその行方をご存じありませんか!」


「……あなた、がたは……何故、あの男を知っているのですか」


 思わず、その名前を聞いて震えてしまった。

 それを誤魔化すようにギュッと手を握りしめると、アレン様が肩を抱いてくれたので……少しだけ、怖さが和らいだ。


「そうでした。まずはその話をさせていただきたい。……これは、バッドゥーラ帝国の恥にもなりますので、どうか他言無用としてよろしくお願いいたします」


「承知した」


 私の代わりにアレン様が応じてくださったので、私は何も言わない。


 そして聞かされたのは、私と同じような被害者がいたということ。

 残念なことに、当時の私よりも妙齢な女性たちが被害者であったという、痛ましい事実だった。


 語るドゥルーブさんも、言葉が理解していなくてもきっとその所業を思い出しているのだろうアールシュ様も、怒りを堪えている様子だ。


(彼らの、知り合いも被害に遭っていたのかもしれない……)


 そう思うと、心底ぞっとした。


 もしも今のこの年齢でユルヨが私の傍にいたならば、きっと私は立ち直れないほど……あの男が言った通り、全てに絶望してただの人形になっていたかもしれないのだ。

 その令嬢たちの気持ちを思うと、ガタガタと震えが起きた。


 アレン様は一通り話を聞き終えてから、私を宥めるように撫でて抱きしめる。

 まだ震えは止まらないけれど、なんとか呼吸は落ち着いた。


「……そうだったのですね。では、そちらの国からきっとユルヨはやってきたのでしょう。ええ、あなた方が仰ったように、確かに彼はパトレイア王国に来ました」


 私が帝国語を話しても良かったけれど、アレン様に聞いていてほしくてあえてそれは選ばなかった。

 ドゥルーブさんも理解してくれているのだろう、即座にアールシュ様に通訳してくれる。


「当時の私は幼く、そこまでの被害はありませんでしたが……同様に、人には話せない内容で心も体を傷つけられました。幸いにも、私の我が儘ということで教師を解雇することにできましたが……」


 あれで【悪辣姫】の名を更に広めたのだけれど、今となってはそれで良かったのだと思う。

 当時から嫌われていた理由がユルヨによって広まっただけだ。

 それでも、アレン様に顔向けできない事態になっていなかったのならば、あの孤独な日々はわるいものではなかったのだ。


「その後ユルヨらしき人物から一度だけ手紙が来ましたが、それきりです。私もそれ以上のことはわかりません」


「……そうですか……」


 肩を落とすドゥルーブさんだけれど、申し訳ないが私にできることはない。

 あれからもう五年以上経っていることを考えると、もうパトレイア王国にはいないかもしれない。

 解雇してすぐならば所在も追えただろうが……あの男が今も自由にしていて、誰かを傷つけているのかと思うと確かに放っておくのはいけない気がした。


「それについてだが、アールシュ殿、ドゥルーブ殿。お二人ともしばらく当家に滞在はできるか? できればその後、辺境伯領にもついて来てもらえると嬉しいんだが」


 僅かな沈黙の後に、アレンデール様がそう仰った。

 私は意味がわからず彼の横顔を見たけれど、にやりと人の悪い笑みを浮かべていた。


 ドゥルーブさんは困惑しながらも、そのことをアールシュ様に伝える。


「……ディノス王家に手紙を書かせていただいても? 是非とも滞在させていただきたいと、殿下が仰っています」


「歓迎しよう。我々は同じ敵を追っているのだからな」


 グッと私を抱き寄せたアレンデール様に、私はただ目を瞬かせるしかなかった。

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