第36話
どうやら私は自分が考えている以上に、過去を恐れているらしい。
確かに私は精神面で打たれ弱いと自覚している。
だからこそ、全てを諦めて何も見ない・聞かないことで自分を守っていたのだけれど。
それでも思い出しただけで泣いて、その上眠ってしまうだなんて。
目覚めてもそのことが何をしていても浮かんで、その度に体が無様に震えるのだ。
(ユルヨのことは、絶対に思い出さないと……決めていたのに)
それでも、アレンデール様の障害になることがあってはならないと思ったからこそ、恐れていても話すことができた。
アレン様なら決して私を見捨てないと、思いたかったから。
そしてそれは実際にその通りで、私が幼い頃にとはいえほんの触り程度でも性的な、言葉とか……衣服を脱がされるとか、身体的特徴をあげつらって嘲笑うとか、その程度だけれど……とにかくそういったことがあっても愛せるとまで仰ってくださった。
それどころか基本的に私が今日は震えてどうしようもないのを、自分が抱きしめたいからだと甘やかし続けてくださるこの人を、どうして疑えようか。
「アレン様……」
「たまにはこういう怠惰な生活もいいな。モレル領にいるとついつい周りの人間が、ヘレナに会わせろってウルサイからさ。こうやって独占できるのはたまんない」
「……私に、ですか?」
「そうさ。俺が骨抜きになった嫁さんをいつまでも隠してるから、気になってしょうがないんだ」
「まあ」
領地の巡回に確かに私は一度しかついていっていない。
それ以外は館にいるけれど、客人を招くことも……言うなれば、領主夫人として領民のために何か行動できたかと聞かれると首を傾げざるを得ない。
教会への寄進はさせてもらっているけれど。
「それにアンナもうるさい」
「え?」
「あいつ、すっかり侍女らしくなったけど……お前のこと気に入ったらしくて、俺まで追っ払われるのは納得がいかないよなあ。俺はヘレナの夫だぞ? こうやって膝枕してもらうのは俺の当然の権利だ!」
そう、ベッドで横になってばかりではと気にする私に、甘やかしてくれというアレン様は膝枕をねだってこられた。
だから長椅子に移動して、私が座ってアレン様はその長い足を投げ出す形で横になり私の膝の上に頭を預けてくださっている。
時々動かれると、少しばかりくすぐったいけれど……とても、あたたかい。
「……膝くらい、いつでもお貸しいたしますのに」
「そうだよな。だけどアンナはヘレナの負担になるって言って仕事しろって言ってばっかりだ。まったく……新婚なのにな」
「しんこん」
確かに言われてみればその通りだ。
政略結婚とはいえ、その言葉にある通り私たちは夫婦になってまだ短い。
「客もどうせ来ないんだ。こうやって二人でのんびりしてたってイザヤもアンナも文句はないだろうさ」
「……そう、ですね」
「なんだったらベッドに戻ろうか?」
にやりと笑うアレン様のその顔に、私はドキリとして思わず目を瞬かせてしまった。
閨は、定期的に共にしている。
今は義務ではなく、心の伴った行為であると理解して上で……でもそうなると、今度は恥ずかしくてたまらない。
そんな私の気持ちを知って、アレン様はこうしてからかうのだ。
「……まだ、明るいですから」
「じゃあ今夜。約束な?」
「アレン様……」
この方はどこまでも私に甘くて、私はそんな甘さに慣れていないからどうしていいのかわからなくなる。
嬉しいのか、失うのが怖いのか、逃げ出したい気持ちにもなるのだ。
そんな私を見てアレン様は体を起こし、抱きしめる。
「少しずつでいい。俺はずっと傍にいるから」
「……はい」
「俺たちは書類の上で夫婦だけど、夫婦らしくなんてものはきっとその家庭ごとに違うから。俺たちらしい関係を築いていけばいいんだ」
「はい」
「俺はもうすっかり取り繕うこともできずにヘレナに甘えっぱなしなくらいだから、時折叱ってでも止めてくれ」
「そんな」
思わずくすりと笑うと、アレン様も笑った。
きっと、気遣ってくださったんだと思う。
そんな中でノックの音が聞こえ、アンナが姿を見せた。
「旦那様、奥様。お手紙が届いております」
「……誰からだ?」
銀の盆に書状が一つ。
アンナは恭しく頭を下げた。
「バッドゥーラ帝国第三皇子殿下アールシュ様からのお手紙になります」
思いの外早く連絡を寄越してきた帝国の皇子に、私たちは顔を見合わせたのだった。
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