第7話
「旦那様にお願いがございます」
「! なんだ!」
「先日、視察に同行させていただきました途中に教会がございましたでしょう。あちらにお祈りをしに行かせていただいてはいけませんか」
「……いや、そのくらい自由に行ってくれてかまわない」
「では、馬車を使っても?」
「それも自由にしてくれ。……貴女は虜囚ではなく、その、俺の妻だろう?」
「いやですわ旦那様。仮初めの、が抜けております」
妻というその名称は、真実あなたが愛している、大切な恋人にこそ相応しい。
いいえ、書類上は私が妻で間違いないのだけれど。
(……嫌味に聞こえてしまったかしら?)
私としては、恋人さんに申し訳ないと思うからそう言ったのだけれど……旦那様にはそう聞こえなかったようでうなだれておいでだわ。
そうね、よくサマンサお姉様にも私は表情が生意気だからあまり口を開かない方がいいと言われていたっけ。
でも何も言わないと、それはそれでまた誤解されそうだわ……。
「あの、旦那様」
「……なんだ」
「私は、旦那様の妻ではございます。ですが本来は……その、旦那様の恋しい御方がお隣に立つべきでしたでしょう? だから、妻と旦那様が口になさると、大切な方が辛い思いをなされるのではないかしらと……」
「……ぐ、う……」
旦那様は私にこれまで何度か、恋人などいないから安心して本邸にある妻の部屋へ来てほしいと仰ってくださった。
それはつまり、私という存在が彼の恋人との関係を悪化させたに他ならない。
でも、私はいずれ去る女だ。
彼とは政略結婚で、その大事さはきっと旦那様もよく理解なさっておられる。
それでも、恋しい人との別離は本意ではなかったはずだ。
胸を押える旦那様は、もしかして具合が悪いのだろうか。
それとも、離れてしまった恋人を想って苦しんでいるのだろうか。
まさか私に対しても良心が咎めるあまり、苦しくなってしまったのだろうか。
旦那様は、優しい方だから。
ああ、そんな。
私なんかのためにそんな辛い思いをなさらなくてもいいのに。
「旦那様?」
「……なんでもない」
「……そうですか」
「今日は、ここに泊まる」
「かしこまりました」
旦那様がお泊まりになるということは、閨も共にするのだろうか。
一朝一夕で子が宿るわけではないし、幾度と挑戦しても授からないこともあると聞いているから……旦那様もきっと早く私から解放されたいのだろう。
そっと、自分の薄い腹をさする。
(早く、私のところへ来てくれないかしら)
ああでも私のような女が母親ではいやだから、来てくれないのかもしれない。
そう思うとやはり白い結婚を貫いておくべきだっただろうかと後悔もし始めたが、もう処女でもないのだし言っても遅いことだと謝罪の言葉は呑み込んだ。
「……ヘレナ?」
「はい、旦那様」
泣きたいような気持ちだけれど、涙は一切零れない。
泣いたって、私を案ずる人なんていなかった。
いつの間にか泣き方も、忘れてしまった。
でもそれでいい。
悪辣な姫は、決して俯かないのだ。
そうして嫌われて嫌われて、そっと姿を消すまでが舞台での役割なのだから。
(せめて、姫としての矜持を持って)
別れのその日までは、この人に身を委ねよう。
彼を待つ女性には、申し訳ないけれど。
(いつかは謝罪の言葉を送ることを許されるだろうか。奪っておいてと詰られるだろうか)
そう思いながら、私は旦那様から差し出される手を取るのだった。
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