幕間 ただ、優先順位があっただけだと王妃は宣う
「アンナ、確かにあの子から引き離したのは悪かったと思っているのよ? 確かにあの子に侍女をつけずに送り出してしまったのはわたくしの手落ち。陛下にもお叱りを受けたの」
「……さようですか」
「しかし今から人をやるというのもあちらの国にしてみれば良い気分ではないだろうし、あの子は辺境伯の妻として大切にされているようではないの。体調が優れないからと気を遣ってくださる優しい方のようよ?」
「……さようですか」
王妃が必死に侍女に語りかける姿はなんとも不思議なものであった。
ヘレナ王女の母である王妃ユージェニーと、その侍女アンナは乳姉妹であった。
そもそもはユージェニーの生家である侯爵家は男児が多く生まれる家系であり、そんな中で育った彼女は蝶よ花よと大切に育てられたのだ。
乳姉妹であるアンナと共に優しい兄たちに囲まれ、王家にも望まれ、彼女の人生は順風満帆であった。
婚儀を挙げてすぐ、一年も経たずに懐妊した。
めでたいことだと当時王太子であった夫も飛び上がる勢いで喜んだ。
生まれた長子は、女の子だった。
安産で、まるまるとしたその子に誰もが喜んだ。
王太子夫妻は、王女を慈しんだ。
夫婦仲は大変よく、程なくして第二子を宿した。
第二子である王女が生まれた時、国王が崩御して彼らは新国王と、王妃となった。
これまでも王太子夫妻として忙しくしていたが、より忙しくなった。
そろそろ男児をと望まれる声が大きくなる中、第三子を宿した王妃は今度こそと意気込んだ。
だが生まれたのは、美しいがまたもや女の子だった。
「もういい加減に機嫌を直してちょうだい! 貴女を信頼しているからこそ、あの子につけたのだし……」
「わたくしの言葉など、妃殿下には届きませんでしょう」
「もう、アンナ、どうしてそんな……」
「どうしてと仰るのですか? 今更?」
第四子に大望の男の子が生まれた。
それに続けて、第五子に女の子も。
誰もが望んだのは、男の子だった。
生まれながらに王太子として望まれた長男だ。
出産で疲れ果てたユージェニーの目には、輝いて見えた。
この子は何を置いても守らねばならない。
もう続けて出産は厳しい年齢だった。
元より一夫一妻制の国だ、子が生せたならば側室を迎えるわけにもいかない。
王子が生まれたことにより、それまで宙ぶらりんだった長女と次女の婚約がまとまった。
長男は、皆に幸せを持ってきてくれたのだ。
「でもあの子はこれまで我が儘で、だから仕方のないことだったのよ」
長男に比べると、四女はどうしようもなかったのだ。
双子で生まれてしまったからこそ、余計に目についたともいえた。
「妃殿下には、何も響きませんでしょう」
乳姉妹として、ユージェニーは誰よりもアンナを信頼していた。
我が儘放題の娘を矯正するためにも、信頼できる彼女をつけた。それがユージェニーなりの愛情だった。
アンナから報告がいくつもあがってきたが、彼女が傍にいれば大丈夫だろう。
王妃として、ユージェニーはとにかく忙しかった。
長女と次女の結婚式、外交、国内の問題。
国内貴族たちの派閥を取りまとめるための社交、それから寄付や施設を巡る慈善事業。
当然のことだが、国王の補佐だってしなければならない。
王子を産むだけが王妃の務めではないのだ。
男児を産んだ誉れ高き王妃、ではなく、賢妃と呼ばれるべく彼女は奮闘していた。
長女も次女も、できる限り手伝ってくれる。
三女が隣国の王太子に望まれて、そちらの教育も併せて行わなければならなかった。
隣国に嫁がせて、教育が足りないなどと言われないように。
もちろん、次期国王たる息子にも多くのことを望んだ。
だからこそその分、母親として寄り添うこともした。
「だってそうでしょう!? やれ教師を変えろだの、衣服を買い換えろだの……! 他の子たちはそんなことがなかったというのに、あの子だけ! 王女なのだから我が儘は控えさせねばならない、あれは躾だったのよ?」
「わたくしの目から見れば、あれはただの虐待でございました。ゆえに、何度となく妃殿下にお目通りを願い、そして嘆願書を送らせていただきましたが一顧だにしていただけなかったようで。そのことが今回のお言葉で、よくわかりました」
「……え? アンナ?」
「アンナを信頼してくださっていた、そう思っておりました。そう、信じておりました。……ですが違ったようですね」
乳姉妹であるアンナの目が温度を伴っていないことに、ようやくユージェニーは気づいた。
四女を嫁がせる際、アンナを連れて行きたいと言い出した時にはまた我が儘を言っていると思ったのだ。
ユージェニーだって親友で、姉妹同然のアンナにそろそろ戻ってもらって話を聞いてもらいたかったというのに。
アンナに甘えるばかりの我が儘娘だと、腹が立って許せなかったのだ。
狭量だと言われればその通りであった。
隣国との小競り合い、責任、賠償、その他諸々……対応に追われるあまりにぞんざいに扱ったことは彼女も認め、反省している。
アンナはきっと、長くあの子の傍にいたから情があるのだろう。優しいから。
「な、何も意地悪がしたかったわけじゃないの。アンナを親代わりに思っていたでしょうから、親離れが必要でしょう……?」
「妃殿下。あの方の名前を、覚えておいでですか」
「……え?」
アンナに問われ、ユージェニーは咄嗟に声が出なかった。
すぐにヘレナだと言おうとしたが、何故か上手く声が出なかった。
どうしてか、自信が持てなかったのだ。
そんなユージェニーの姿を見て、アンナは小さく息を吐き、頭を下げる。
「このように反抗的な侍女は王妃様のお側にいるに値しません。どうぞ、
出て行くアンナを呼び止めたかったのに、ユージェニーは何も言えなかった。
どこかで何かを間違えてしまった。そんな気がする。
乳姉妹に突き放されてようやくそれに思い至ったが、どうしていいのか彼女にはまるでわからなかったのだった。
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