AIは犯人を追い詰めることができるのか? 2:犯人を揺さぶれ(前編)
前回、新里述は事故だと思われていた死亡事件について、殺人であるという結論に何とか辿り着くことができた。
私は嬉しかった。
まるで我が子が掴まり立ちするのを目の当たりにしたような、大いなる感動すらあった。
しかし、忘れてはならないのは、前回はまだ事件の端緒を掴んだだけだということだ。
これから、新里述には事件の真相まで辿り着いてもらわねば困る。
さて、何度か言っているが、新里述には読み込ませる文章の量に限りがある。
そのため、前回の内容に加えて今回の内容も読み込ませようと思うと、どうしても中身があぶれてしまう。それを防ぐため、新里述の「メモリ」に以下のように前回の内容を要約した形で記録した。
前回のちょっとした振り返りみたいなものだ。
○メモリ
赤池と古屋と生方が警察署の会議室で死亡事件の検証を行っている。
死亡したのは阿部武弘。
阿部は自宅の風呂場で死亡していた。
阿部は午後十時過ぎに死亡した。
阿部の死因は左側頭部脳挫傷。
阿部は独り暮らし。
阿部の死亡現場はユニットバス。
阿部は全裸の状態で洗い場の床にドアの方を向いて横向きに倒れていた。
浴室のドアの正面には鏡やシャワー・カランの水栓、床に近いところにシャンプーなどを置く小さな棚が設けられている。
湯船は右手にあり、奥の壁に取り付けられている給湯器のパネルの電源は落ちている。
湯船の中には水が張ってある。
湯船の蓋が洗い場の左手の壁に立てかけられている。
浴室の棚にあった浴室用洗剤の蓋が緩んだまま倒れ、中身が流れ出ている。
湯船の縁には血痕と毛髪が付着している。
阿部は死亡する直前にワインを飲んでいた。
脱衣所には洗面台と隅にドラム式洗濯乾燥機、突っ張り棒で作られた棚、洗濯物を入れるカゴがある。
脱衣所の棚にはバズタオルが置いてある。
脱衣所の洗濯機の中に乾燥が終わったバスマットが入っている。
脱衣所の床には何も敷かれていない。
浴室のドアは開いたまま。
洗濯物カゴの中には下着、上の肌着、両足の靴下、シャツ、ズボンの順番で洗濯物が入っていた。
洗濯物カゴの中の衣類は折り畳まれていない。
脱衣所の中には洗濯物カゴの中身以外に衣類はない。
阿部の死は事故だと思われていたが、事件の可能性が高い。
メモリに記録された内容は、新里述に長期的に保存される。つまり、そこからも情報を得て彼は文章を書くことができるのだ。
今回のテーマは「犯人を揺さぶれ」。
古畑任三郎や刑事コロンボのように、犯人を精神的に追い詰めるのだ。
なお、前回も言ったが、この事件の容疑者はひとりしかいない。
それでは、見ていこう。
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「阿部さんの自宅のどこから見ていきますか?」
古屋が訊く。赤池は少し考えて応える。
「確か、第一発見者は阿部さんの会社の部下で、管理人と一緒に遺体を発見したんだよな。それはつまり、自宅の玄関は施錠されてたってことか?」
「そうですね。といっても、オートロックなんで、勝手に施錠されるようになっていたみたいです」
「良い物件だな」
赤池が呟くと、生方が「う~ん」と唸った。
「オートロックってたまに不便なことが起こりますよね。ホテルとかだと締め出し食らっちゃったりしますもんね~」
「阿部さんは亡くなる直前にワインを飲んでいたんだろ?」
古屋が資料を確認する。
「そうみたいですね。じゃあ、まず、ダイニングも見ていきますか」
古屋がタブレットにダイニングの写真を表示させる。ダイニングテーブルの向こうにソファと低いテーブルやテレビなどが見える。リビングダイニングだ。
ダイニングのテーブルの上には、中身が残っているワインのボトルとチーズと生ハムの乗った皿、使われた形跡のある二つのワイングラスが、向かい合う椅子の前にひとつずつ置かれている。
「誰かがいたのか?」
「阿部さんの部下の甲斐道隆(かいみちたか)さんと一緒に食事をとっていたそうです」
「甲斐さんが第一発見者?」
「それは別の人です。甲斐さんは生きている阿部さんに最後に会った人です」
「なんでそう言い切れる?」
「マンションに防犯カメラがついてるんですが、彼が十時ごろに阿部さんの部屋を出て行ったきり、翌朝遺体が発見されるまで、他の人物は阿部さんの部屋に行っていません」
「それで死亡推定時刻が十時過ぎになっていたのか」
「なので、阿部さんの部屋には甲斐さんの指紋がそこら中に残っていました。阿部さんが亡くなった日以外にも何度かこの部屋にやって来ていたようです」
「親しい間柄だったのか」
「職場の人の証言では、ちょっと言い争っていたこともあるみたいですけどね」
「言い争い? なんでまた」
「さあ……。でも、最近は二人とも打ち解けてきたんじゃないか、みたいなことを職場の人は話しているみたいです。甲斐さんは入社してまだ半年くらいだそうなので、最初は意見がぶつかり合うことが多かったんじゃないですかね」
「喧嘩して解散だってならなかったんだな。甲斐さんだけに……」
古屋と生方は無表情だった。赤池が急に居所が悪くなって、
「今のなし! 今のなしな!」
と言うと、生方が口元を押さえて笑い出した。いつも冷たい反応に晒され続けてきた赤池は人間的な笑い声に安堵の表情を浮かべて、本題を先へ進めた。
「防犯カメラの映像は観れるのか?」
古屋はうなずいて、映像を再生させた。午後八時半過ぎにバッグを提げて紙袋を持った甲斐が阿部の部屋に入って行くのが映っている。次に、午後十時前に阿部の部屋から出て行く彼の姿が収められていたが、その手に紙袋はない。
「紙袋はどうしたんだ?」
「それなら、キッチンのゴミ箱に」
古屋はキッチンのゴミ箱の写真を表示させた。蓋を開けた中は満タンにゴミが入っていて、一番上に紙袋が押し込められていた。古屋は補足する。
「甲斐さんは毎回、阿部さんの部屋に行く時にはデパートなどの総菜を持って行くんだそうです。今回もローストビーフを買って行ったんだそうですが、その紙袋ですね」
「キッチンの写真はあるか?」
古屋がキッチンの写真をゆっくりと見せていく。
キッチンは綺麗に掃除が行き届いていた。食洗器などはなく、物が少ないが、洗った食器を入れておく水切りラックがあったり、食器用洗剤やスポンジ、シンクを掃除するための洗剤やたわしなどが揃っていて、使い込まれているようではある。シンクにはローストビーフを入れていた皿なのか、汚れが乾いてこびりついた皿が二枚置かれたままになっている。
「うわ~、わたしはこういうの放置したままなの嫌なんですよね~」
「阿部さんが置いたままにしたのか?」
古屋は首を傾げる。
「さあ、どうなんでしょうね。阿部さんが事故で亡くなったとすると、お風呂上りに洗おうと思っていたのかもしれないですよね」
「ん? ちょっと待って下さい。確かこのお皿……甲斐さんの指紋がどちらにもついていましたよね。それで、甲斐さんがシンクに運んだものだということになっていたはず……」
「そうなのか?」
古屋は慌てて資料を確認して、バツが悪そうにうなずいた。赤池は考え込んでいた。
「洗わないにしても、皿に水を張っておくくらいはするだろ、普通。しかも、ここは上司の家なんだぞ」
「じゃあ、どういうことなんです?」
古屋が問いかけると、赤池は神妙な面持ちで口を開いた。
「甲斐さんはこう思ったのかもしれない。
※新里述による記述※
※「スローペース」ではなく、通常の新里述
「甲斐さんはこう思ったのかもしれない。『自分の指紋のついたお皿なんて気持ち悪くて触りたくない。だから、阿部がやったんだ』ってな」
「えっ!? そんなまさか!」
「でも、そう思わせる何かがあるはずだ。それが分かれば……」
赤池は黙考しながら部屋を出て行こうとした。
「どこへ行くんですか?」
「甲斐さんに会いにだよ。あと、甲斐さんが出入りしていたっていうビルに行ってみる」
「わたしたちも行っていいですか?」
「ああ、もちろん。一緒に来てくれ」
※私による記述※
どうやら、新里述も運動不足の赤池たちを外に連れ出したいらしい。
前回も言ったが、私もそのつもりで、この後にそういう展開を用意してある。
今回は少し意地悪だったかもしれない。
新里述は自分が何を導けばいいのか分からなかったはずだし、赤池が言おうとしていることの見当がつかないという人もいただろう。
これは逆説的に考えなければならないことだ。
阿部の死亡事件が事故によるものではないということは、殺人ということになるわけだが、そうなれば容疑者はひとりしかいない。では、甲斐が犯人ならば、汚れた皿に水も張らずにシンクに置きっぱなしにしたのは、ある心理が働いたからだともいえる。
少し赤池のセリフに手を加えてみよう。
そして、思い切って新里述のメモリに以下の文言を追加してみようと思う。
もうこれは彼にしてやれる限度以上のことだ。
○メモリ(追記分のみ)
甲斐は事故に見せかけて阿部を殺害した。
今回は犯人を言い当てることが目的ではない。
だから、これはセーフだということにしておこう。
・
・
・
(前略)
「洗わないにしても、皿に水を張っておくくらいはするだろ、普通。しかも、ここは上司の家なんだぞ」
「じゃあ、どういうことなんです?」
古屋が問いかけると、赤池は神妙な面持ちで口を開いた。
「甲斐さんが皿に水を張らなかったのは、
※新里述による記述※
※「スローペース」ではなく、通常の新里述
「甲斐さんが皿に水を張らなかったのは、甲斐さんが犯人だからだ」
「えっ!? でも、証拠は?」
「ああ。今のところは状況証拠しかないが、甲斐さんがやったと考えると辻棲が合うんだよ。まず、犯行時刻だけど、阿部さんが風呂に入る前ってことはあり得ないよな。阿部さんがワインを飲んでいたとしても、酔っていたとは思えないし、一人で入ると言って聞かなかったそうだから」
「それはつまり、阿部さんは誰かと一緒に入ってたんですか?」
「そう。一緒に入浴していた人間が犯人だ」
赤池が断言すると、生方は目を丸くして驚きの声を上げた。
※私による記述※
私が答えを教えたそばから速攻でそれを披露するとは恐れ入った。
正直に告白すると、新里述の出力したものを見て、あまりにもあり得ないものを弾いたりしていて、初回出力のもののみを採用しているわけではない。
ところが、これは初回出力の内容だ。
よっぽど答えが分かって嬉しかったのだろう。
だが、そういうことじゃないのだ。
一応、スローペースの新里述にも登場してもらおう。
※新里述(スローペース)による記述※
「甲斐さんが皿に水を張らなかったのは、阿部さんを殺した後、証拠を残さないためだったんだと思う。甲斐さんは自分が疑われるようなことはしないはずだから、おそらく、阿部さんが自分の意思で洗わなかった、という可能性の方が高いだろう。でも、そうすると、どうして洗わずにそのままにしたのかが分からなくなる」
※私による記述※
やはり、こちらも全力で甲斐が阿部を殺害したということを主張し始めた。
「甲斐は事故に見せかけて阿部を殺害した。」
という一文が、事実であると新里述に入力されたことが要因だろう。つまり、表現が強すぎたのだ。
メモリの追記内容を修正して、以下のようにした。
○メモリ(追記修正分のみ)
赤池は甲斐が事故に見せかけて阿部を殺害したと考えている。
これで、もう一度新里述に登場してもらおう。
※新里述による記述※
※「スローペース」ではなく、通常の新里述
「甲斐さんが皿に水を張らなかったのは、わざとだからだよ。甲斐さんは自分の指紋を消そうとしたんだ」
「えっ!? どうしてですか?」
「あの日、阿部さんが死ぬ予定だったからだろうな。いや、殺すつもりだったのか……」
「そんな! 阿部さんは事故死じゃないって言うんですか?」
※私による記述※
赤池のセリフが若干マイルドになったのを感じる。
だが、皿には甲斐の指紋が残っているというのは、直前に生方が指摘していたはずだ。
もっとも、今回はやや難しい内容だったのは認めざるを得ない。
ここは、私が用意しておいた続きを見ていこう。
・
・
・
(前略)
「洗わないにしても、皿に水を張っておくくらいはするだろ、普通。しかも、ここは上司の家なんだぞ」
「じゃあ、どういうことなんです?」
古屋が問いかけると、赤池は神妙な面持ちで口を開いた。
「甲斐さんが皿に水を張らなかったのは、その必要がないと感じていたからなのかもしれない」
「つまり、甲斐さんが阿部さんを殺したっていうことですね~」生方がニヤニヤしている。「もう洗うことはないからと思ってなおざりになったのかも……」
古屋は納得が行かない様子だ。
「分かりませんよ。もともと、皿に水を張るような生活スタイルじゃなかったのかも……」
「まあ、そうかもしれんが、どちらが皿を洗うつもりだったのかにもよる。甲斐さんの場合は、結局洗わずに阿部さんの家を出たわけで、洗う必要がないと考えていたと言える。阿部さんが洗うつもりだったのなら、食洗器もないわけで、あとで気付いて水を張っていてもおかしくはない。だが、実際そうなっていなかったのは、水の張っていない皿に気づく前に死んでしまったからかもしれない」
古屋は苦笑いした。
「というか、甲斐さんが犯人なんですか?」
「その可能性は高い。生方くん、浴室には阿部さんが出血した時の飛沫血痕はなかったのか?」
「検出はされてません」
古屋は険しい表情になる。
「じゃあ、別の場所で……?」
「いえ」生方は即座に首を振った。「飛沫血痕が飛ばないという可能性もゼロじゃありません。それに、阿部さんの足には確かに洗剤が付着していて、本当に滑って頭を打ったっていう可能性もゼロじゃないんですよね~」
生方にそう言われて、赤池はう~んと唸り声を上げてしまった。苦悶の表情を浮かべる赤池を見て、生方は愉快そうに笑みをこぼした。
「めっちゃ苦しんでますね~。もうひとつ言うと、阿部さんの頭部の傷と湯船の形状はぴったりと一致していて、彼が湯船で頭を打ったのは事実だと思いますよ~」
「ダメだ。ここで考えていても埒が明かん。甲斐さんに皿のことも聞きたいし、現場も見ておきたい」
「やけに皿のことにこだわりますね」
古屋が笑うと、赤池は真面目な顔で返した。
「甲斐さんが犯人だとしたら、証拠固めが必要だ」
「わたしもついて行っていいですか~?」
生方が遠足にでも行くようなノリでそう発すると、赤池は目を丸くした。
「別にいいが、大丈夫なのか?」
「あ、わたし今日お休みなんです~。それに、知らない振りをしてる犯人がゲロするところを生で見てみたいじゃないですか~」
生方の口から飛び出したとは思えない言葉に古屋が呆気に取られていると、会議室を出て行く生方がニコリと笑った。
「さ、早く行きましょう~!」
つづく
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