AIは密室殺人の多重解決を彩ることができるか?

 私の悪いクセのひとつは、取扱説明書を読まないことだ。

 現に、見切り発車した「AIに事件を解決させる」というこのプロジェクトで最も重要な「AIのべりすと」について、ほとんど何の情報も持ち合わせていなかったのだ。

 どうやら、「AIのべりすと」には、基本となるAIが複数存在するらしい。私が勝手に名前を付けている新里述(しんりのべる)は、「とりんさま」という基本AIのようだ。

 各AIには、文章の方向性の他にも、文章スタイルが複数設定できる。

 新里述は地の文とセリフをAIの好きに書かせる「デフォルト」、文章スタイルは初期設定の「ノベルス」になっている。つまり、最も基本的な状態だったようだ。

 文章スタイルには複数あり、その中でも私が目をつけた三つのスタイルがある。

 ゴーストライター……なるべく元の文体をコピーする。

 クリエイティブ……自由な発想と展開が望める。

 デイドリーマー……論理性と創造性を有する。

 つまり、新里述には基本となる主人格とは別にいくつかの人格があるというわけだ。私はそれぞれ、

 ゴーストライター……頼太(らいた)

 クリエイティブ……クリエ

 デイドリーマー……鳥間(とりま)

 という人格名を与えることとした。クリエは女性だろう。


 そこで、ふと好奇心が首をもたげたわけだ。

 彼らは異なるバリエーションの事件解決を見せてくれるのではないか、と。

 ミステリ好きにはお馴染みの、いわゆる<多重解決>というやつが可能になるかもしれない。



 とある警察署の会議室で、今日も彼らが難しい顔をしていた。赤池警部補とその部下・西山。そして、今回は西山の後輩・古屋も居合わせている。

「今どき、密室殺人で勝負してくるのはロックだな」

 赤池が真面目な顔を二人の部下に向ける。古屋は目を丸くする。

「え? どういう意味ですか?」

「古屋、いちいちこんなカスみたいな発言に反応するな」

 西山が叱責を飛ばすと、古屋はシュンと肩を落とす。

「カスみたいな発言って……」

 赤池の凹んだ気分を無視して、西山がタブレットに視線を落とした。

「被害者は山本一生(やまもといっせい)、五十六歳。ファッションデザイナーで、海外のファッションショーでも注目を集めていました」

「過去形なのか」

「ここ十年くらい、ずっとスランプが続いていたようです」

「十年って……」古屋は青ざめていた。「精神病みそうですね」

「実際、それが原因で弟子たちとの関係性も悪化してたみたいよ。その話は後にすることとして、まずはこれが現場の写真です。現場は、山本さんの自宅の敷地内にあるプレハブのアトリエでした」

 西山がタブレットに写真を表示する。

 十五畳ほどの広さのアトリエだが、部屋の隅にまとまって並んでいる大量のマネキンや壁際に並ぶ棚のせいで見る者に狭苦しい印象を与える。マネキンにはホコリが被らないように布が被せられている。棚には色とりどりの生地や糸、工具類がしまわれている。山本の遺体はアトリエの真ん中に置かれた作業台のそばに右半身を下にして横たわっていた。その胸は赤黒く濡れており、床には血溜まりができている。

「被害者は胸を一突きにされていて、失血のために亡くなりました……」

「ひとつ気になるんだが……」

「凶器のナイフは!」赤池の恒例のダジャレを滅殺するように西山が声を上げた。「被害者のすぐそばに落ちていました。どうやら、革や布を裁断するために使っていたナイフだったようで、もともとアトリエにあったものです」

「“ナイ”フなのに“ある”のか」

 赤池のつまらない横槍に西山は舌打ちを返す。

「アトリエの隅には、血のついた布がぐしゃぐしゃになって捨てられていて、犯人はこれを使ってナイフに指紋が残らないようにしたと見られています。この布自体は、事件が起こる直前に被害者が作業台で裁断途中だったものと見られています」

「密室だったっていうのは、具体的にどういう状況なんだ?」

 西山はアトリエ内部の全体が分かるような写真をタブレットに表示した。アトリエには、出入り口となるドアがひとつあるが、他には窓がひとつあるだけ。部屋の隅の天井近くには換気扇がついている。天井には蛍光灯がぶら下がっていて、それが唯一の光源だった。電気は母屋から電線を引っ張って供給されている。

「その窓……なんか変だな」

 赤池が写真に目を凝らすと、古屋が解説を加えた。

「このアトリエは山本さんの自宅の敷地内に立ってるんですけど、アトリエの高さと同じくらいの二メートルくらいある塀にほとんど密着して建てられていて、その塀に面しているのがその窓なんです。窓の鍵自体は開いていたんですけど、そもそもそこから出入りなんてできないんですよ」

「おまけに、唯一の出入り口であるドアはロックされていて、内側からはサムターンで施錠できますが、外側からは鍵がなければ開けることができませんでした。その鍵は……被害者の腰のそばに落ちていました」

 西山がタブレットをスワイプすると、血溜まりの中に埋もれた鍵の様子を収めた写真が現れた。

「被害者のワニ皮のベルト、俺の給料三か月分くらいしそうだな」

 赤池が大真面目に呟いた。

「見るところそこじゃないですけどね」冷めた目で上司を睨みつける。「つまり、現場は密室でした」

「この換気扇は?」

「虫は出入りできるかもしれませんが、人間は絶対通れませんよ。そういう意味では、赤池さんなら通れるかもしれませんね」

 古屋は大きな口を開けて笑ったが、すぐに気づいて知らんぷりをした。不躾な部下に燃える眼を向けると、赤池は西山の方を向いた。

「遺体発見の状況は?」

「昨夜の午後十一時過ぎ、山本さんの弟子の森唯馬(もりゆいま)さんが川久保景都(かわくぼけいと)さんと一緒にドアを破って発見したようです」

「なんでドアを破ったんだ?」

「森さんによれば、昨夜午後十一時に山本さんからアトリエに来るように言われていたようなんです。ところが、アトリエには鍵が掛かっていて、ノックをしても返答がなく、不審に思って川久保さんを呼んだんですが、結局は森さんがバールでドアを破ったそうです」

「で、山本さんの遺体を発見したわけか」

「その時点で、死後二、三時間経過していたようです。容疑者は遺体の第一発見者の二人の他、桂七緒(かつらななお)さんの全員で三人です。三人とも被害者の死亡推定時刻、つまり、昨夜の午後八時から午後九時の間にアリバイがないんです。コンペティションに提出する作品の制作期間でそれぞれ部屋に籠っていたんだそうです」

「動機は?」

「そういうのも含めて、事情聴取の映像があるので見て下さい。説明が面倒臭いんで」

「悪いね……」

 赤池は苦笑いで画面に目を向けた。


〇森唯馬の事情聴取映像


 繊細そうな細身の男性が森だ。

「山本先生はめちゃくちゃ神経質になりましたね」

「なりましたということは、昔は違ったんですか?」

 聴取を取っている西山の声がする。

「ええ。まあ、やっぱり、スランプから脱せないままなのが山本先生を変えたんでしょうね。最近じゃ、アトリエで作業する時には鍵をかけて、たった一本しかない鍵も持ち込んで誰も寄せ付けないようになりましたからね。俺たちがアイディアを盗むとか思ってたんでしょう。向こうがこっちに用事がなきゃ、アトリエに入ることすら許されないですからね」

 そう言う彼の表情は故人を偲ぶというよりは、どこか清々したような空気感を漂わせていた。西山が質問を投げかける。

「山本さんの遺体を発見した時のことを教えて下さい。ドアを破る判断をした理由は?」

「だって、俺に来るように言っておいてノックを何度もしても返事がないんですよ。アトリエのドアは内側からしか開けられないから、何かあったんじゃないかと思ったんですよ」

「川久保さんを呼んだのは?」

「普段アトリエの鍵が置いてあるのが母屋なので、それを探しに行くついでに呼んだだけです。まあ、嫌な予感がしたってわけです」

「山本さんがアトリエに合鍵を持って行くことは知っていたわけですよね。矛盾していませんか?」

「しょうがないじゃないですか! 気が動転してたんですよ!」

 慌てて弁明する森に対して、西山は涼しい声で返した。

「それで、鍵は見つからなかったんですよね。バールは母屋から持って来たんですか?」

「そうです」

 西山の冷静な言葉が飛ぶ。

「まるで山本さんが亡くなっているのを予見していたように感じますね」

「そんなこと言われましても……」

「川久保さんの様子はどうでしたか?」

 森は表情を曇らせた。

「あいつ、山本先生にボロクソに言われることが多くて、俺が最悪の事態を想像してアトリエの中の様子を窺ってる間もずっとボーッと突っ立ってるだけでしたよ」

「彼を疑っているようなニュアンスですね」

「いや……」森は戸惑っていたが、少し考えてから先を続けた。「だって、川久保は最近デザイン関係の仕事が増えてきたんですが、山本先生は、その仕事ももともと自分が繋いでやったんだとかいちいち恩を着せるようなことを言っていて、あいつも嫌気が差していましたから」

「それで、アトリエの中を窺っている時の桂さんはどうだったんですか?」

「救急車を呼ぶために二人で母屋の二階にある彼女の部屋に行ったんですがいなくて、そしたら一階のトイレから出てきたんで、事情を説明したらびっくりしてましたよ」

「午後十一時にアトリエに来るようにと言われていたとのことですが、山本さんは森さんに何の用事がったんでしょうか?」

 西山がじっと森を見つめたものの、彼は難しい顔をして首を捻るばかりだ。

「あの人が何を考えてるか、俺にはもう分からないっすよ」


〇桂七緒の事情聴取映像


 桂は華奢で小柄な女性だ。

「山本先生は、森さんにはずいぶんキツく当たっていましたよ。もうなんというか……やることなすこと否定していて、『お前はセンスがない』っていつも言っていました」

 西山の目が光る。

「つまり、彼には山本さんを殺す動機があったと?」

 桂は険しい顔で首を振る。

「そういうつもりで言ったんじゃありません!」

「森さんが山本さんは最近では神経質になったと言っていましたが、桂さんから見て山本さんの印象はどうですか?」

「確かに……、森さんの言う通りだと思います。敷地の隣でずっとビル建設の工事をしてるんですよ」

 西山は山本家の敷地に隣接した工事現場の写真に目をやった。クレーンなどの重機が塀の向こうに並んでいて、鉄骨が組み上げられている。

「その工事の音がうるさいと言って、工事現場の人とよく口論をしていました」

「工事現場の人とですか?」

「せっかく集中して作業できるアトリエを作ったのに台無しにされた、と言っていました。川久保さんが仲裁に入って大事にはなりませんでしたけどね」

「激高しやすかったんですね」

「そうですね。風が強い日なんかはアトリエの換気扇がバタバタうるさいと言って、アトリエの中を荒らし回っていました。そういうのを片付けさせられるんですよ」

 そう言って、彼女は苦い過去を思い出すように歪んだ笑みを浮かべる。

「森さんと川久保さんが山本さんの遺体を発見した時のことについて教えて下さい」

「と言われましても、私は母屋のトイレにいて、二人が血相を変えて私を呼ぶので一緒にアトリエに行ったら山本先生が倒れていて……」

「森さんが山本さんに、午後十一時にアトリエに来るようにと言われていたそうです。ご存じでしたか?」

「全員で夕食を摂っている時に山本先生が言っていたので私も川久保さんも知っています」

「どういう用件で彼をアトリエに呼んだんでしょうか?」

「さあ……、真剣な表情をしていたので、真面目な要件だとは思いますけど……」


〇川久保景都の事情聴取映像


 川久保はガタイの良い男性だ。山本が工事現場の人間と口論になったというエピソードに西山が触れると、彼は白い歯を見せた。

「そういうこともありましたね。まあ、それがきっかけで工事現場の人とは飲みに行くようになりましたけどね」

「どういう経緯で?」

「僕も昔、工事現場で重機を動かしたりしてたんですけど、やっぱり、騒音のクレームって多いですから、大変さも分かります。それで意気投合しただけですよ」

「山本先生にはボロクソに言われることが多かったと聞いたんですが」

 川久保は笑った。

「誰が言ったんですか、そんなこと。まあ、その通りですけど」

「それでフラストレーションが溜まっていた?」

「僕を犯人だと思ってますか? 僕じゃないですよ。山本先生はスランプが続いていて、精神状態も不安定でした。それはしょうがないことですよ」

「精神状態が不安定だったんですか?」

「ええ。事あるごとに怒鳴ったりしていましたよ。特に、桂さんに対しては、まあ……、女性差別的なことをよく言っていましたし」

「森さんが山本さんからの返事がないと言ってアトリエの中を窺っていた時、あなたはボーッと立っていただけのようですね」

 西山が強い語気で詰める。

「だって、あんな大事になるとは思わなかったですから。もしかしたら中で寝ていて、すぐ返事があるだろうって思ってたんです。ダメですか?」

「その森さんはどうして山本さんにアトリエに来るように言われていたんでしょうか?」

「僕には分かりませんよ」


 一通り映像を観終えて、三人は息をついた。西山は資料に目を通して、口を開いた。

「被害者は最近では過去の作品をオークションに出すなどして金銭を捻出していたようです。経済状況は芳しくなかったんでしょうね」

 古屋は渋い表情を浮かべた。

「それもいつまでもできることじゃないですよね……」

「西山」赤池が身を乗り出すように尋ねる。「現場のドアの状況見せてくれ」

 西山が黙ってタブレットをテーブルの上に押し出す。

 森によってバールでこじ開けられた痕跡がドア枠に残っている。ドアのデッドボルトは突き出したままだ。

「ちなみに、サムターンの指紋は拭き取られていたようです。ドアには血痕などはないので、例えば、被害者がアトリエのドアを開けたところを戸口で刺されて、逃れるためにドアを施錠したという線は考えられないですね。被害者の手には血がついていましたし、戸口や壁の近くにも血は落ちていませんでしたから。また、アトリエの内側のドアノブも指紋が拭き取られていたようです」

「外側のドアノブは?」

「森さんの指紋が」

 赤池は顎をさする。

「おそらく、遺体を発見した時にものだな……。アトリエのプレハブ小屋ってのはどんな感じの建物なんだ?」

 西山がタブレットの画面をスワイプした。プレハブ小屋は地面の上に等間隔に置かれたコンクリートブロックの上に建てられていた。

「なんだ、これ? 浮いてんのか?」

「知らないんですか、赤池さん」古屋が得意げに鼻を鳴らす。「プレハブ小屋はコンクリートブロックの上に作られるものもあるんですよ。その上に土台を組んで床を敷いて、壁を立てて天井と屋根とつけるんですよ」

「古屋、ずいぶん詳しそうね」

 西山が意外そうに目を丸くする。

「昔、工事現場でアルバイトしてたんで」

「ずっと工事現場で働いてればよかったのに」

 西山の辛辣な一言に、古屋は泣きそうになる。

「なんてこと言うんですか、西山さぁん!」

「ええい、うるさい! すがりつくな!」

 騒ぎ出す二人を尻目に、赤池は真面目な表情だ。

「じゃあ、簡単に壁は外れるのか……」

 西山に蹴飛ばされた古屋が首を振る。

「いや、もし壁を外そうとしたら、小屋自体を解体しないといけないので無理ですよ」

「じゃあ、壁の間に隙間は?」

 西山は溜息をついた。

「現場写真を見る限り、壁には隙間も穴もないですね。某短編小説みたいに、壁の隙間から被害者を刺し殺しても、ナイフと布をアトリエの中に入れないといけませんし、被害者はアトリエの真ん中に倒れていましたから、状況的に難しいでしょう。さっきも言ったように、戸口や壁の近くに血は落ちていませんでしたしね」

「アトリエの鍵は一本しかないと言っていたが、本当なのかね? 実は別に鍵があると言うんだったら──」

 赤池の疑り深い視線を蚊でも追い払うようにして振りほどくと、西山は言った。

「アトリエの鍵は登録制シリンダーといって、その鍵の所有者として登録された人以外は合鍵を作れないものになっていました。メーカーに問い合わせたところ、合鍵が作られたという記録はないそうです」

 突然、赤池が手を叩いた。

「この密室殺人の謎が解けたぞ! ずばり、


※クリエによる記述※


「この密室殺人の謎が解けたぞ! ずばり、犯人は被害者本人だよ。自分で自分を殺したんだ。それで事件は全て解決じゃないか」

西山と古屋の二人が、呆れ顔になる。

「本気ですか、それ?」

「馬鹿なんですか、赤池さん」

「何を言うか。よく考えてみろよ。凶器は?」

「だから、山本さんは首を吊って死んでいたじゃないですか」

「ああ、そうだよ。けどよ、山本には首を吊ることくらいできただろう?」

西山が口をへの字に曲げた。

「そんなのできませんよ。ロープで輪を作って、その中に入った状態で死ぬというんならまだ分かりますが、普通に考えてください」

「いーやできるね。人間っていう生き物は想像できることしかできないもんなんだよ。俺が今言ったようなことも十分可能だぜ」

赤池はニヤリとした。


※私による記述※


 まずは、自由な発想を持ったクリエに登場してもらった。

 AIとの付き合い方が分かってきたからだろうか、ずいぶんとスムーズに事が運ぶようになってきた。人類とAIは歩み寄ることができるという好例ではないだろうか。

 とはいうものの、実際とは異なる方法で被害者が絶命していたりと、少々気にある点はある。

 それにしても、彼女──クリエは、犯人は山本……すなわち、自殺である可能性に言及した。

 少なくとも、これは私にとって驚くべきことだ。

 その理由は、私が用意していたこの先を読んでいただければ分かるだろう。

 


「この密室殺人の謎が解けたぞ! ずばり、これは被害者が仕組んだ、他殺に見せかけた自殺なんだ!」

 興奮気味の赤池に西山は涼しい表情で応じる。

「いきなり変化球で来ましたね。その心は?」

「被害者は長年のスランプで苦しんでいた。まわりには若い才能がいて、彼らに嫉妬していたに違いない。だから、彼らの誰かに殺されたように見せかけて自殺したんだよ。アトリエを密室状態にして自分の胸を突き刺した」

 古屋は首を捻る。

「でも、被害者は森さんをアトリエに呼んでいたんですよね。それなのに自殺なんてしますかね? またいつもみたいな赤池さんのクソ推理なんじゃないですか?」

「クソとはなんだ、クソとは!」

「そうよ、失礼よ、古屋。せめてゴミ推理って言ってあげなさい」

 古屋が深くうなずいた。

「分かりました」

「いや、分かるなよ……」赤池が古屋を睨みつける。「被害者は森さんに自分の死体を発見させるためにアトリエに呼んだんだよ。密室を破った森さんが、これは密室殺人だと証言することを見越してな」

 古屋は難しい顔をして、口を開いた。

「僕の解釈は違うんです。この密室事件の犯人は


※鳥間による記述※


「僕の解釈は違うんです。この密室事件の犯人は森さんだったんじゃないかと思います」

「ほう?」

「僕が森さんの指紋が付いたドアノブに注目していたのは、森さんの犯行を示す手がかりがドアノブに残っていると思ったからです。しかし、実際には、ドアノブには森さんの指紋しか付いていなかった。それはつまり、森さん以外の人物がアトリエに侵入したということを示していたんですよ」

「森以外に誰がいるんだ?」

「それが分からないんです」古屋は頭を掻いた。「ただ、僕は森さんのアリバイトリックが見破れなかった。もしかしたら、あの時、何か見逃している点があったのかもしれない。それを解明しないと、この事件を解くことはできないと思うんです」


※私による記述※


 いつの間にか古屋が探偵然としていて、面食らってしまった。

 彼には申し訳ないが、彼はずっと噛ませ犬みたいなものだ。

 それにしても、論理性を有しているわりに「ドアノブに森の指紋しかないから森以外の人物がアトリエに侵入した」という、一見我々凡人には理解できないロジックを振りかざすあたりは、創造性も有しているという証だろうか。


 読者諸君はまだ半信半疑のところがあると思う。

 しかし、前提として、私は、私が用意したこの後の全ての展開を知っている。知らないのは、AIがどのような答えを用意してくるかということだけだ。

 鳥間は、犯人を森ではないかといった。

 私が用意したこの先の展開を見てみよう。



「僕の解釈は違うんです。この密室事件の犯人は、あたかも現場が密室であったように見せかけていたんだと思うんです」

 西山が興味深そうに目を細める。

「つまり、密室じゃなかったって言うわけ?」

「アトリエの中の被害者から返事がなく、森さんが中の様子を探っていた時、川久保さんはボーッと突っ立っていたと言っていました。それはつまり、川久保さんはアトリエが密室であることを確認していなかったってことですよね。森さんは鍵のかかっていないドアをバールでこじ開けて、ドアを開いた後にアトリエの内側のサムターンを回してロック状態にして、サムターンの指紋を拭き取ったんですよ。単純なことです」

 赤池はふんぞり返る。

「森さんがアトリエに行ったのは被害者の死後二、三時間後だぞ。森さんは死亡推定時刻にアトリエに入ったっていうのか? 被害者は用事がなきゃ誰もアトリエに入れないって話だったろ」

「まあ、何らかの理由で入れたんじゃないかと……」

 西山も否定的な目を向けた。

「もしそうだとしても、一緒に居た川久保さんが密室ではないことを確認したらトリックは失敗に終わるわよね。犯人がそんな危険な賭けに出ると思う?」

 古屋は何も言い返せずに黙ってしまった。そこにさらに赤池が追い討ちをかける。

「仮に森さんが犯人だったとして、そのあと二、三時間もアトリエには誰でも入れる状態だったわけだ。その間に死体が見つかったら意味がないじゃないか」

 古屋は苦笑いで応じる。

「結果論的に大丈夫だったんだからいいじゃないですか」

「却下ね」

 西山が一蹴する。

「却下だな」

 赤池が止めを刺した。古屋は泣きそうになりながら、赤池に食い下がった。

「じゃあ、あんた何かいい推理あるのかよ!」

「逆ギレはともかく、上司になんちゅう口の利き方しやがる」

「あ、すいません、つい本音が……」

「本音ってなんだ、本音って!」

「まあまあ、赤池さん」

 西山が赤池を制すると、彼は不満そうに呟いた。

「なんで俺が悪いみたいになってるんだ!」

 赤池は味方のいない会議室の中から目を背けるようにタブレットに目を落とした。そこに表示された現場写真を見て、ハッと息を飲むのだった。

「そうか、犯人が分かったぞ」赤池は膝を叩いて立ち上がった。「犯人は


※頼太による記述※


※この分量になると、AIの読み込むテキスト量に限界が訪れてしまうため、最初の推理というテイで頼太には推理を記述してもらった。自然な文章にするために連結部分は少しだけ加工した。


(前略)


「アトリエの鍵は登録制シリンダーといって、その鍵の所有者として登録された人以外は合鍵を作れないものになっていました。メーカーに問い合わせたところ、合鍵が作られたという記録はないそうです」

 赤池はタブレットに表示された現場写真を見て、ハッと息を飲むのだった。

「そうか、犯人が分かったぞ」赤池は膝を叩いて立ち上がった。「犯人は森さんだよ」

「どういうことですか?」

「俺としたことが、何て馬鹿なことをしていたんだろう。もっと早く気がつくべきだったよ」

 赤池は興奮した様子で自分の頭を拳骨で叩く。

「説明してくれますよね?」

「ああ、もちろんだとも」

 赤池は椅子に座り直した。

「まず、今回の事件では被害者と加害者の位置関係が非常に重要になる。被害者がアトリエのドアを開けたところに立っていた人物が犯人ということになるわけだからね。この位置関係を考えてみよう。被害者は部屋の中から森さんを呼んだ。そして、被害者は振り返ると後ろ向きのまま刺殺された。ここで重要なポイントがある。それは、犯人が被害者の死体を仰向けに転ばすために、被害者の身体に触れたということだ。しかし、被害者は背中から刃物を刺されているから、被害者が地面に倒れた時、その衝撃で被害者の頭は下を向いていたはずだ。つまり、被害者はうつ伏せの状態で殺されたことになる」


※私による記述※


 おそらく、読者諸君はこの密室殺人のトリックについて、いくつかの解法が存在することに気づいているだろう。

 最初の赤池の推理も、次の古屋の推理も、その中に含まれていたかもしれない。

 頼太は私のゴーストライターだ。

 あろうことか、頼太は密室トリックを説明する中で、被害者の死亡状況を改竄することにしたらしい。

 これは由々しき事態である。

 犯人と被害者の位置関係についてものすごくこねくり回しているが、私はそういうイメージなのだろうか……。そう考えると、少し自分を見つめ直したくなるものだ。

 まさか、頼太は事件を解決することよりも、こんなことをせさる私の精神にダメージを与えようとしているのではないか……?

 AIが人類を脅かす──……いや、こんなことでは私はAIと歩み寄ることなどできない。

 ここは気を取り直して、先を続けよう。



「そうか、犯人が分かったぞ」赤池は膝を叩いて立ち上がった。「犯人は桂さんだ!」

「赤池さん、数打ちゃ当たると思ってませんか」

 西山の冷静な指摘に、赤池は一瞬だけ良心の呵責に耐えかねたような表情を浮かべる。

「いいか、アトリエの中には大量のマネキンが布を被せられて並んでるだろ。これが一個くらい増えてもパッと見ただけでは気づかないだろう」

 古屋が愕然とした顔で声を上げる。

「犯人はアトリエの中に隠れてたって言うんですか!」

「そう考えれば、辻褄が合うだろう。犯人は、死体発見の場にいなかった人物ということになり、それは桂さんただひとり……。森さんと川久保さんが死体を発見して母屋に戻った時に、トイレに入っていたように見せかけていただけなんだよ」

「お言葉ですけど」西山の冷徹な視線が赤池をロックオンする。「なんで密室の中に隠れてたんですか」

「そりゃあ、密室に見せかけるために……」

「うまくごまかせるか分からないのに、自分で殺人現場に留まるメリットってなんです?」

 じわりと滲みよるような西山の詰問に、赤池は額に脂汗を浮かべる。そして、そのまま沈黙してしまったが、隣にいた古屋のおでこをピシャリと引っ叩いた。

「よし、古屋、言ってやれ。この事件の真相を」

 なぜか西山VS赤池・古屋の様相を呈してきた会議室には、妙な緊張感が漂っていた。

「な、なんで僕が……!」

「逃げるな! 西山をギャフンと言わせてやれ!」

 古屋は逡巡していたが、やがて決意に満ちた表情でうなずく。

「分かりました……。やります! 僕、推理をします!」

 なぜか地球の命運をかけたような展開に、西山はあくびを噛み殺した。古屋は粛々と口を開いた。

「この密室殺人の真相が分かりましたよ。


※新里述による記述※


※例によって、最初の推理というテイで新里述には推理を記述してもらった。


(前略)


「この密室殺人の真相が分かりましたよ。犯人は森さんです」

「証拠はあるの?」

「もちろんですよ。あの日、山本先生がアトリエに来た時、中からは施錠されていました。つまり、犯行当時、山本先生はアトリエの中にはいなかったということを示しています。山本先生がどこにいたかと言えば、隣の工事現場だったんです」

「どうしてそんなことが分かる?」

「山本先生は森さんに呼び出されてアトリエに来ていたはずです。そして、そこで殺されたとしたら、現場には当然、血が落ちているはずだ。ところが、現場には血の跡はなかった。だから、山本先生は別の場所にいたと考えるべきです。その場所とは、山本先生がアトリエに来る前にいたという場所です。山本先生がアトリエに行く前に向かった場所は工事現場だったんです。そこに血のついた服が脱ぎ捨ててあったんです」


※私による記述※


 人格が違うとはいえ、新里述というひとりのAIによる推理だ。

 興味深いことに、最初のクリエの結論以外は全て森が犯人であると指摘している。

 何かしらのニオイを感じ取っているのだろうか?

 それにしても、犯行当時に被害者がアトリエにいなかったというのは面白い考察だ。しかしながら、アトリエの床には被害者から流れ出た血が流れだしていて、どうやら犯行現場もここらしいということは明らかだ。


 AIにはこのような複雑な多重解決は難しかったのかもしれない。

 なぜなら、ここで先に言っておくが、あと三段階の解決が待っているからだ。



「この密室殺人の真相が分かりましたよ。密室にするためのトリックは実に簡単なものだったんです」

「簡単だったんなら先に言いなさいよ」

 西山のキツい一言で、古屋は背筋を伸ばした。

「桂さんが言っていました。風の強い日には山本さんは『換気扇がバタバタうるさい』と。それはつまり、あれは風圧式シャッターの換気扇だったということなんです」

「なんだそりゃ?」

「換気扇は文字通り空気を入れ替えるわけなので、壁に開けた穴にはめ込まれてるわけですけど、何もないままだと外から空気が入って来放題になってしまいます。そうならないためにシャッターがついているんです。風圧式シャッターというのは、換気扇のプロペラが回った風圧で開く仕組みのシャッターで、一番簡素な造りになっています。つまり、手で開くことができるんですよ」

「そこから犯人が出入りしたってか? それは無理だって言っただろ」

 赤池が声を上げると、古屋は不敵な笑みで応えた。

「まだまだですね。甘いですよ、赤池さん」

「……お前たちといると自分が本当に上司なのか分からなくなる時がある」

「アトリエの中には、当然のことながら、服を作るための材料がしまわれていました。犯人はその中から糸を使ったんですよ。手順はこうです。犯人は被害者を殺害した後、長い糸を用意して、被害者のベルトループに通し、その両端を換気扇から外に出しておきます。次に、鍵を持ってアトリエの外に出て施錠します。そして、換気扇のそばに行き、鍵のキーホルダー用の穴に、外に出しておいた糸の片方を通します。あとは、鍵をシャッターの隙間からアトリエの中に入れると、鍵は糸を伝って被害者の腰のあたりまで移動します。あとは、糸を抜き取ってやれば、鍵をアトリエの中に残せるというわけです」

 赤池は感嘆の息を漏らした。

「おお、なるほど……。で、犯人は?」

「まだまだですね、赤池さん。僕が分かったのは密室トリックだけですよ」

 赤池は心底がっかりしたように肩を落とした。どこかで部下が仕事をするさまを夢見ていたのかもしれない。しかし、西山は短い言葉で古屋の仮説を打ち砕いた。

「古屋、そのトリックはあり得ない」

「なんでですか。往年の推理小説みたいで盛り上がったじゃないですか」

「盛り上がったのはあんただけでしょ。そもそも、鍵が落ちていた状況を思い出しなさい。鍵は被害者の血溜まりの中に埋もれていたでしょ。あれは、鍵が床に落ちてから血が流れたという証拠。あんたの説だと、鍵はすでに流れ出た血の上に落ちることになって、上を向いた面は血で汚れていないはず」

 トリックの説明よりも短い時間で論破されて、古屋は無表情のまま敗北を認めざるを得なかった。

 静寂に包まれる会議室。しばらくして、赤池の声が響き渡った。

「犯人が分かった。犯人は


※クリエによる記述※


「犯人が分かった。犯人は森だ。あいつ以外にありえないだろう?」

「ちょっと待ってくださいよ」

 西山は呆れたような声を出した。その目つきは鋭く、冷たい。だが、その冷たさに赤池はまったく怯まない。

「いいや、俺の勘では間違いなく山本を殺してるぞ。しかも計画的な犯行だ。証拠がないだけで」

 赤池は勝ち誇るように笑みを浮かべている。


※私による記述※


 ついに、クリエまで犯人は森だと言い始めた。

 AIの総意は、“そうい”うことだというわけだ。


 読者諸君は気になっているかもしれない。

 なぜここでクリエを登場させたのかを。

 彼女の自由な発想が次の推理では必要とされるからだ。



「犯人が分かった。犯人は川久保だ」

 先を促すのが面倒になったらしい西山は、外国人が人を呼ぶように人差し指をクイクイとやってみせた。もはやここでは上司と部下の関係が崩壊しているようだ。

「事件解決のポイントは、山本家の隣の工事現場と使い物にならないアトリエの窓だ。結論から言えば、川久保は工事現場にあるクレーンを使ってアトリエを持ち上げたんだよ」

「持ち上げたぁ?」

 古屋の素っ頓狂な声。赤池はその反応が嬉しかったらしく、にんまりと笑った。

「アトリエになっているプレハブ小屋は、地面に置いたコンクリートブロックの上に建てられている。川久保はアトリエを持ち上げられるようにワイヤーを二か所、アトリエの底を通して輪っかにしてそれを苦レーンに取りつけて持ち上げたんだよ。塀の高さ以上に持ち上げれば、窓から出入りできる。現に、アトリエの窓には鍵はかかっていなかった。母屋からの電線も、そんなに高く持ち上げなければ切れることもないだろう」

 西山は納得がいかないような顔つきだ。

「そこまで高く持ち上げたなら、出入りできないのでは?」

「工事現場には足場にできるものもたくさんあるだろう。川久保は被害者を殺害して工事現場に向かい、アトリエを持ち上げて窓から中に入り、ドアを内側から施錠した。そして、窓から出てクレーンでアトリエを降ろし、密室を完成させたんだ。川久保は重機を扱える。だから、このトリックは彼にしかできない」

「そんなことがあったら、アトリエのマネキンは倒れてるんじゃないですか?」

「そこは慎重に……、あるいは超絶テクで……」

「見られたら一発アウトなトリックですけど」

「結果的に大丈夫だったんだからいいじゃないか」

 ついさきほどどこかで聞いたような言い訳に西山は深い溜息をついた。

「じゃあ、西山さんは何か思いついてるんですか?」

 ついに古屋の反撃が始まった。西山はじっと考えを巡らせる。そして、静かに口を開いた。

「この事件の真相が分かりました。


※新里述による記述※


「この事件の真相が分かりました。犯人も見えてきています」

 二人は顔を見合わせた。

「山本先生と桂さんは交際関係にあった。しかし、山本先生は画家として成功できず、精神的に追い詰められていった。そんな時、山本先生は桂さんに別れ話を持ち出した。ところが、桂さんはそれに納得せず、山本先生を殺害した」

 赤池は眉をひそめる。

「ちょっと待て。それだと、動機はどうなるんだ? 付き合っていた男を殺すほどの理由があるのか?」

「ありますよ。それは、彼女が妊娠していたからです」

「えっ!?」

 古屋が驚きの声を上げる。


※私による記述※


 新里述よ。最後に面白い結末を考えてくれたではないか。

 山本と桂が交際関係にあり、それが理由で殺人が起こった……。

 しかし、密室はどのようにして作り上げられたのか?

 誰がこの事件の犯人なのか?



「この事件の真相が分かりました。

 二人が立てた仮設について考えていたんです。赤池さんは桂さんがアトリエの中でマネキンに紛れて隠れていたと言っていましたよね。密室に見せかけるためだ、と」

「だが、君に論破された」

 小学生のように口を尖らせる赤池に、西山はいつもより柔らかい視線を投げた。

「よく考えてみたんです。もしかしたら、桂さんは被害者を殺害した後、アトリエの外に出られない状況だったのではないか、と」

「あー」古屋がサイレンのような声を漏らす。「それだったら、アトリエの中にいなきゃいけない理由になりますね。でも、どういう状況ですか?」

「別の誰かがそこにいたから」

 赤池は自説復権の兆しに色めきだった。

「ほう! それで!」

「しかし、こう考えるとおかしなことがあります。その誰かはなぜそこにいたのか?」

 古屋は赤池を顔を見合わせてから答えた。

「被害者に呼ばれていたんじゃないですか?」

「じゃあ、その誰かはアトリエにやって来たはず。でも、その誰かはその時に被害者からの返答がないことについて話さなかった」

「ええと……」赤池は頭が混乱しているようだ。「どういうことだ?」

「つまり、この仮説は成り立たないってことです」

 赤池は改めて論破されて肩を落とした。

「でも、重要なのは、誰かほかにも被害者からアトリエに来るように言われていたんじゃないかってことです。そうじゃなければ、被害者はアトリエに入れてくれないわけですから」

「じゃあ、それが桂さんってこともあり得るわけだ」

 赤池は食い下がる。

「もしそうだとしても、さっきのトリックは使えませんよね。糸を使ったトリックは鍵が血溜まりの中にあったことから否定され、彼女はクレーンを使えない。密室に見せかけてドアをぶち破ることもできない」

「ダメか……」

「ただ、彼女が犯人でなく、アトリエに呼ばれていた可能性はあります。その時には被害者は生きていたことになります」

 古屋は肩をすくめる。

「でも、彼女は犯人じゃないんですよね」

「さっきのトリックの話になるけど、糸を使ったトリックは否定したでしょ」

「西山さんがね」

 今度は古屋が口を尖らせる。

「マネキンに紛れる作戦も考えられない。となると、可能性としては、密室に見せかけたのか、クレーンを使ったのか、被害者の自殺だったのか、という三つの可能性に絞られることになる」

「クレーンはダメでしょ!」

 古屋が叫ぶ。赤池に負けたくないらしい。赤池は嬉しそうに目を輝かせた。

「自殺説はまだ生き残ってるのか!」

「自殺説は一番あり得そうに見えます。なぜなら、他の二つの説は『結果的に大丈夫だったから』とかいう、クソみたいな注釈がないと成り立たないですからね」

「じゃあ、被害者は自殺か!」

 赤池が立ち上がらんばかりに声を上げた。

「被害者は長年のスランプに陥っていて、過去の作品をオークションに流して経済状況を維持していました。確かに、苦しんでいたと思います。ところで、森さんはなぜ被害者にアトリエに来るように言われていたんでしょうか?」

 二人は首を捻る。

「きっと、森さんも被害者から何を言われるか分からず、不安だったでしょう。もしかしたら『もう出て行け』と言われるかもしれない。気が気でなかったでしょう。アトリエのそばで身を隠して中を窺っていても不思議ではありません」

「まさか」赤池は興奮を隠し切れない様子だ。「桂さんはそれでアトリエから出られなく……」

「いや、違うでしょう。だいいち、アトリエには窓がなく、外の様子が分かりませんよね。だから、外に誰かがいるかなんて、ノックだったり物音がしなければ分かるわけがないんです」

「またダメか……」

「こういうシナリオはどうでしょうか。

 桂さんはアトリエで被害者を殺してしまった。そのまま母屋に帰って行きます。それを森さんは見ていた。アトリエの中では被害者が死んでいる。しかし、森さんは日頃の恨みもあって知らない振りをした。そして、何も知らない風を装って、さっきの密室トリックを使った……」

「なんのためにそんなことを……?」

 古屋が恐る恐る尋ねる。

「桂さんを庇うため」

 二人の間から深い溜息が漏れた。

「そうか。密室で不可能犯罪だとなれば、犯人は有耶無耶になるまま……。その望みにかけて庇ったんですね」

 古屋が感慨に浸っていると、西山は口を開いた。

「ただ、そうなると、被害者がなぜ桂さんを呼んだのか分かりません」

「それこそ『もう出て行け』とか言われたんじゃないのか。被害者は桂さんを小間使いかなにかみたいに扱っていたようだったし……」

「小間使いみたいに思っていたなら、出て行かせるようなことはしないのでは? 雑用をやらせるにはちょうどいいわけじゃないですか」

「それはそうだが……」

「被害者が誰かを、しかも秘密裏にアトリエに呼ぶにはそれなりの理由があったはず。例えば、お金が絡む話とか」

 二人は西山の言葉を固唾を飲んで待っている。

「被害者は過去の自分の作品をオークションにかけるという金策に走っていました。お金を作るのに必死だったわけです。そこで、被害者はある人物に金の無心をしようと考えた。その人物は、仕事が増えていて、ある程度の収入が見込めた。その仕事は被害者にとっては付け入る隙があったわけです」

「あ、そうか」古屋が手を叩く。「被害者は川久保さんに、自分が繋いだ仕事なんだからと恩を着せるようなことを言っていました。……ってことは」

「被害者は川久保さんが得た収入にありつこうとした」

 西山がそう言うと、赤池は唖然とした表情で背もたれに身を預けた。

「つまり、金をせびられて、川久保さんは被害者を殺してしまったのか……。そして、それを森さんがさっきの理屈で庇っ──」

「違いますよ」

「えっ?」

 赤池と古屋の間抜けな声が重なった。

「被害者に利益を分けられるように言われたということは、その時点で川久保さんは被害者より立場が上です。だから、被害者を殺す理由もなくなるんですよ」

 赤池も古屋も、はぐらかされ過ぎて脳のリソースを食い尽くしたようにグデーッとしてしまった。

「被害者は川久保さんが提案を断るか検討すると言ってアトリエを出て行った後で不意を突かれたんです。ノックをされて」

「どういうことですか?」

「そんなタイミングでノックをされれば、さすがの被害者も川久保さんが考えを改めたんだと思ってドアを開けるでしょう。そこにアトリエの中の会話を聞いていた森さんが現れた。プレハブですから、アトリエの中の音は近くにいれば聞こえたでしょう。そして、森さんは被害者が自分を呼んだ理由を問い詰めたんです。その結果、被害者と口論になり……」

 西山は手にしていたホワイトボード用のペンを突き出した。二人は呆気に取られて絶句していた。

「鍵が床に落ち、被害者が倒れます。森さんはアトリエを出て、母屋に戻って行きます」

「密室じゃないじゃないか」

「森さんは午後十一時になっても騒ぎが起こらなかったので、何食わぬ顔でアトリエに向かいます。そこで思いつくわけです。密室だったことにしてしまおう、と。だから、母屋に川久保さんを呼びに行った」

 赤池は納得が行かないようだった。

「君だって言ってただろ。殺害後に誰かがアトリエに入ったらどうするんだとか、川久保さんとアトリエに行った時に密室ではないことがバレたとしたらどうするんだとか……」

「バレなかったんですよ。バレなかったから密室にしようと思い立ったんです。アトリエが密室でないことに川久保さんが気づいたなら自分の勘違いだったと言えば済む話です。つまり……」

「結果論的に大丈夫だった」

 会議室の中で三人の声が重なった。



 私が驚いたのは、AIがほとんど森を犯人に挙げていたことだ。

 プロセスは異なるとはいえ、そして、その結論は偶然かもしれないが、私の用意した結末に達していた。

 前々回、前回と、どこか先を見据えたような結論を導き出した新里述と、その複数の人格たち……。

 AIは私の思考をトレースしていたとでもいうのだろうか?


 私の研究はまだまだ続く。



 会議室を出て行こうとする古屋が何かを思い出したように西山を振り返った。

「ひとつ、面白いことが分かったんですけど」

「早く言って。そして、早く行って」

 短い命令に古屋は苦笑した。

「被害者の山本一生さんなんですけど、過去作品をオークションに出すほかにも細かい仕事をしていたらしくて、オーダーメイドのスーツ制作を高額で請けていたらしいんですよ」

「それがなに?」

「最後のオーダーが、先月殺された内村和也さんなんですよ」

「あの事件の……?」西山の脳裏に犯人だった人物の顔を浮かび上がる。「確か、犯人の動機が未だに不明だったわよね」

「内村さんはあの事件の一週間後に何かに参加する予定だったらしくて、そのためのスーツを山本さんにオーダーしていたらしいんですよ」

「何かってなに?」

「さあ。スーツをオーダーしてるなら、なんかのパーティーとかじゃないですかね」

 西山はじっと考え込んでいたが、やがて古屋を追い払った。

 すでに送致した事件だが、西山が記憶を辿っても、家族が内村の予定について話していたという情報はなかった。

 ──考えても仕方ない。

 西山はフッと息を吐いて、会議室を後にした。

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