偽装カップルの本心⑤
再度、名を呼びながら兄ちゃんと京夏が追いついてくる。一稀はむっつりと唇を引き結んで、足元を睨んでいた。京夏が気まずそうな顔で一稀を見ている。
兄ちゃんは困り顔で様子を窺っていた。この問題は、俺と一稀のものだ。兄ちゃんはブラコンではあるけれど、過干渉ではない。見守る態度を取ることも多かった。その半歩退いた態度で京夏に油断していたのだから、生粋だろう。
「一稀……」
「どうしよう」
どう声をかけようかと迷いながら名を呼んだ途端、滑り込むように一稀は俺に縋りついてきた。
「啖呵切っちゃった。薫に迷惑かけるかも」
早口で零す顔は青白い。自分が先輩にどう思われたかなんて、露とも気にしていなかった。ただ、俺の心配をしている顔色に苦笑が零れ落ちる。一稀は何を呑気な、とばかりに目を尖らせた。
「大丈夫だから、落ち着け」
とんとん背を叩くと、一稀は長く息を吐き出す。
「……俺なら大丈夫だから、一稀こそ大丈夫か? また絡まれるんじゃ?」
「私はいいの。仕方ないでしょ、当事者なんだから」
「あのなぁ……」
「それに、あれでダメだったら、どうしようもないじゃん」
「だからって開き直るなよ。気をつけてくれ。嫌だったんだろ?」
「……薫のそばにいるから」
「……分かった」
それを言われてしまったら、食い下がる術がない。ため息とともに頷くと、一稀も言葉を引っ込めた。結局何の解決にもなっていないけれど、現状はそれくらいしか落とし所がない。
そうした収めたというのに、物事はそう簡単に決着をみてくれないようだ。先輩が再降臨しなかっただけマシだったが、ここには偽装の噂を聞き流してくれない人間がいる。
「本当なんだよね?」
「……どっちがだよ」
偽装だと言った先輩の言葉がか、それとも、一稀の否定の言葉がか。目を眇めて貫くと、京夏は目を逸らした。
「野上さんの言葉のほうだよ」
「当たり前だろ。あんな人の話を信じるなよ」
先輩にすれば、声をかけただけのつもりかもしれない。だが、疑惑を差し挟んだことで、平穏とはほど遠いところに自ら進んでしまった。
一稀にしてみれば、自分へ声をかけてくる時点で迷惑なものであっただろう。それを自ら憎悪にまで増幅させてしまったようなものだ。関わりがない俺ですら、軽率にあんな人と評してしまってしまうほどに、印象は最悪だった。
「でも、ひとつだけ聞かせて欲しい」
表情はまごついている。しかし、聞こうという意志は硬いらしく、京夏の強い瞳に炙られた。こんな目で見られたことなど、過去に一度でもあっただろうか。苦いものを飲み込んだ。
「好きなんだよね?」
俺と一稀は顔を見合わせて、こくんと喉を慣らす。
それは、何か決定的なことを確かめられている気がした。今までの偽装と、言葉遊びとしては何も違いはない。取り繕って、答えてしまえばいいことだ。
だが、そこに纏わり付いてくる複雑な感情がある。単一ではないものが、ぐるぐると心臓の周りを駆け回っていた。
「二人ともが気遣い合ってるのも分かったし、大切にしてるのも分かった」
そう分析されるのも、気恥ずかしい。贔屓の自覚は大いにあるし、自分でも一稀に傾倒する気持ちはある。しかし、はっきりと周りに認められると面映ゆかった。なにぶん、散々不釣り合いの称号を与えられているのだ。認められ慣れていない。
「でも、一番簡潔な好きって言葉は聞かないから」
ふーっと息を吐いていたのは無意識だった。
それを京夏に向かって、相対して伝えることは、俺にとってひどく意味がある。ただ言うだけではない。相応の覚悟が……それも、かなりの覚悟が必要になる。
京夏はそんなことを知る由もない。俺の事情など少しも気がついていないのだから仕方がないことといえど、よくもまぁそんなけろりと言ってくれたものだ。
一稀がこちらを見上げてくる。そして、服の袖を引いた。その瞳が伏せられて、緩く首が左右に振られる。それはどういう意味なのか。ここのところにしては珍しく、一稀の意図が読めない。
じっと見下ろしていると、伏せられた瞳がこちらを刺した。
「正直に言っていいから」
ぼそりとした呟きは、京夏には届かなかったらしい。どれだけ移動をしても、モールの中だ。どうしたって喧騒があり、その中に埋没したようだ。ありがたい。
一稀の瞳には煌々とした光が宿っている。後に引くつもりはないとばかりの顔をしていた。
きっと、一稀は分かっている。俺が京夏相手に、彼女役の女の子を好きだと告げることの重みを。
だからこそ、一稀は俺に決定打を打たせないようにしてくれている。まだ引き返せるのだと、その瞳が雄弁に物語っていた。俺には後退を示すくせに、一稀自身が引くつもりはまったくない。逞しくて凜然としている。
一稀らしい態度に苦笑が零れた。こうまで覚悟を見せつけられてしまったら、俺にできることは限られる。俺は小さく頷いて、その肩を叩いた。
一稀の顔から力が抜ける。
馬鹿だな。俺のためにそれほど力む必要などないというのに。
正直に、なんて念を押されなくても、俺は覚悟を決めている。そうでなければ、こんな態度でいられるわけもないのだ。
すっと息を吸って、居住まいを正す。京夏は俺たちのやり取りに口を挟まずに、返事を待っていた。その生真面目さが、より一層の緊張感を走らせる。兄ちゃんの見守りも、今ばかりは保護者参観のような気まずさを促した。
再度、息を吸う。ぴりぴりと走る緊張が、静電気のように肌の上を走った。
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