偽装カップルの本心④
京夏の手は緩み、兄ちゃんに一極集中しているが、油断は禁物だ。
水族館を退館した時間は帰宅にはまだ早く、集合した駅との中継地ほどにあるショッピングモールへ寄り道をすることになった。
俺と一稀は、腕を組んで行く二人の後ろを、手を繋ぎながら追っていく。未だにイルカショーの尾は引いていたが、四の五の言ってはいられない。今更、京夏の注目をこちらへ向けたくはなかった。これは共通認識であるようで、一稀もデートの様相に否はないらしい。
ウィンドウショッピングになるのは、学生の懐事情だろう。兄ちゃんの財布は俺たちよりも潤っているだろうが、輪を乱すことはない。京夏に何かを贈る、というようなことも、今はするつもりはないようだった。
ただ、京夏の好きそうなものに足を止めるのは当然としている。いつの間にここまで京夏ファーストになったのか。そう思ったが、振り返ってみれば、昔から俺よりも京夏を可愛がっていたような気もする。俺にも大概甘い兄ちゃんだったと思うが、それよりも優先されていたのだから、そりゃ京夏も特別感を抱くものだろう。
そんな特別扱いをされている存在であるから、この集団の動きはすべて京夏が握っていた。
だが、女子の興味は共通するところがあるのだろう。小物や雑貨に惹きつけられて止まるたびに、一稀も同じように商品に目を走らせていた。そして、一稀は京夏とも違う場所で目を留める。
「ピアス?」
その目線を追って零すと、一稀がこちらを一瞥してから頷いた。
今、一稀がしているのは銀色のシンプルなものだ。目が吸い寄せられているのは、チェーンピアスで、エメラルドグリーンの宝石がいくつか連なっている。高価な宝石ではないだろうが、目に留まるほどには美しい。
ポニーテールにして首周りがすっきりしている耳元にそれが揺れるのが想像できた。動くたびに光を反射してきらめくであろうピアスが、一稀のきらめきを増幅させるだろう。それは、ひどく魅力的なことに思えて、ふっと腕が伸びる。
「これか?」
言いながら、一稀の耳元へとピアスをかざす。二つ一緒にパッケージされているから、それで具合が完璧に分かるわけではない。だが、それだけでも十分に分かることはあった。
「似合う?」
「とても」
「うーん、そっかぁ」
肯定したにもかかわらず、悩むような声音が返ってくる。そして、一稀は俺の手からピアスを取って、光にかざした。
「どうしよう」
悩みは深刻なのだろう。その目はピアスから離れない。欲しくて仕方がないと、実に素直な欲求が浮かんでいる。それをここまで躊躇う理由なんてひとつしかない。
俺は陳列されているピアスに目を向けた。一点物を置いてある本格的な店ではないので、今一稀が手にしているピアスもまだ在庫がある。その値札は、千六百円となっていた。
それがピアスとして高いのか安いのか。俺は知識がない。アクセサリーの上限を言い始めれば安いだろう。だが、百均にでも置かれてあるくらいだから、もっと手軽に手に入れる方法もあって、学生が手を出すには痛いものなのだろう。
名残惜しく見つめながら、一稀の手は棚へと戻りかけている。迷いの天秤は、買わない方向に傾いているようだ。装飾品よりも優先するものがあるのかもしれないし、そのときの懐事情で出費に対する比重は変わる。どんなに気に入っても、ということはあるだろう。
俺はほんの少しだけ逡巡して、それから戻そうとする一稀の手からピアスを抜き取った。一稀の瞳がピアスの動きを追うように、俺のほうへと移動する。
「贈らせてよ」
「い、いいよ! いい。そんなの……」
続く言葉を想像することは容易かった。どんなにぎくしゃくした時間が横たわっていても、あの日自室で意識を繋げた時間はなくなりはしない。
偽装だから、と続くことくらいは予想できた。
「いいから」
「……どういう魂胆?」
恨めしげにされて、苦笑する。魂胆めいたことをしたことは一度もないはずだが。
「弁当のお礼でもいいよ。プレゼントされることで困ることがあるか?」
「それは……」
一稀にとって、悪いことはないはずだ。困ることはあるかもしれないが、それを今ここで発言することはない。それを見込んで、俺はレジへと向かおうとした。その行動を遮ったのは、一稀の声ではない。
「一稀ちゃん?」
爽やかな呼びかけ。初対面だったなら、俺も警戒はしなかっただろう。一稀は目に見えて強ばり、こちらも頬が引きつった。
店の外。通路にいたのは、サッカー部の先輩だった。
一稀がとんと、こちらに寄ってくる。俺はピアスを棚に戻して、一稀の肩を引き寄せた。先輩の顔が顰めつらしくなる。たったそれだけのことで、一稀を離すつもりは更々ない。少し離れた場所で商品を見ていた京夏たちも、こちらの様子に気がついたようだ。
「何してるの?」
先輩は、俺の存在を無視することに決めたらしい。俺が見えていないかのように一稀に向かって声をかけて、近付いてきた。
その距離が縮まるだけ、一稀の肩が縮こまっていく。それを励ますように、肩を指でとんとんと叩いた。一稀の目が小さくこちらを見上げたので、顎を引く。一稀は呼吸を整えた。
「デートです」
にこりと微笑んだ一稀は、強腰なそれだ。刺々しささえ感じる。
「そこまでして、付き合ってるって周知させたいの?」
「付き合ってますよ」
「偽装じゃないかって噂だけど?」
釣り合わない。似合わない。ベタ惚れ。そうした噂のひとつとして、指摘されているのは知っていた。
だが、今日までそれを面と向かって告げてきたものはいない。そして、それは最悪のタイミングと言ってよかっただろう。
「偽装……?」
復唱した京夏が、持ち続けていた疑心を膨らませてこちらを見た。タイミングの悪さは、兄ちゃんだって手に余るだろう。
「そうだよ。そういう噂がある」
「どうなの?」
京夏に先輩と組んでいる意識はないはずだ。しかし、嫌なタッグを組まれたと思わざるを得なかった。京夏に対して、ここまで嫌気が差す日がくるとは青天の霹靂だ。だが、どこかですっきりとした気持ちになっていた。
俺は一稀の共犯者だ。
「噂は噂でしかないよ」
「でも、どう見たって釣り合ってないよな? そいつを選んだ理由なんて、てんで見当たらないけど?」
「それって外に出てなきゃいけないことですか?」
「納得できないってやつは多いんじゃないか? 一稀ちゃんは人気なんだからさ」
「……それは私のせいじゃありませんし、だからって薫に絡んでいい理由にはなりませんよ。先輩は、何か言うことはないんですか?」
最後の問いは、ひどく声量が抑えられていた。いつもよりもずっと低い。怒りの孕んだ声は、先輩を怯ませたようだ。しかし、先輩の口から何かが飛び出てくることはない。
たちまち、一稀の形相が鬼のようになる。
「あんたのせいじゃないかもしれないけど、怪我させたことに一言くらいあるべきじゃないですか? その場にいたんだから、心配のひとつくらい口に出せばいい。それで、私の気持ちがなびくかもとか。そういうふうにでも考えられないんですか? 邪念ありきでも何でも、もう少し人情めいたところを見せてみればいいじゃない。薫はちゃんとそういうところに気を配られる人だから、私は薫といるんです。お店の迷惑になりますから、もう行きます。先輩の顔は見たくありません。学校でも話しかけないでください。どんなに言われたって先輩には頷きません。仮に薫が偽装だったとしても、選んだのは私です。それくらい信用してるってことです。先輩は願い下げです。失礼します」
一稀は真っ直ぐに先輩を貫いていた。いつになく、滑舌良く捲し立てる。最後に頭を下げると、俺の腕を引いた。俺が応じるよりも先に動こうとして、かなり早歩きになっている。一刻も早く離れたいのは明らかで、俺はすぐに大股で一稀を引くように進んだ。
後ろからぱたぱたとついてくる足音は、京夏たちだろう。先輩にしては、差し迫って追ってくる音ではなかった。どちらにしても取り合うつもりはなくて、そのままずんずんとモール内を横切る。
「薫」
呼んでいるのが兄ちゃんだと分かっているからこそ、俺は足を止めなかった。先輩の姿が完全に捉えられなくなるほど進んで、ようやく歩調を緩める。少しずつ緩んだ足は、そのうちに止まった。
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