歩み寄りの数歩⑤
「俺の前では好きにしてなよ」
音にすると、男前な言葉に響く。一稀はぱちくりと瞬いた。
「薫は思ったよりも、イケメンだね」
「……」
褒められている気がしない。そのうえ、思ったよりもという但し書きまでついている。俺はどうしたらいいのか分からず、眉を顰めてしまった。無愛想極まりなかっただろう。場合によっては、褒められておいて不機嫌になる厄介な性格の持ち主に見えたかもしれない。
一稀はそう捻くれた感受性ではなかったらしく、むしろ自分の行動を省みたようだ。ぱっと片手で口元を覆った。
「思ったよりも、は余計だった」
馬鹿正直な態度に、気が抜ける。おかげで出てこなかった言葉の一端を掴まえられた。
「そこはいいよ。褒められ慣れてないから、ビックリしただけ」
「私のほうがずっとビックリしてるんだけどなぁ」
「ビックリ?」
頷かれたって、こっちにはまったく心当たりがない。
「大切にしてくれるって言うし、好きにしていいって言うし。それってすごくポイント高いと思う。嬉しい」
「……そういうもの?」
「うん。だからイケメンだなって」
また反応に困って渋い顔になった俺に、一稀は今度は不審を見せることはなく笑いを滲ませた。
「そういうの彼氏っぽくていいと思うから、どんどん出してこ?」
「言われるとできそうにない」
「食堂、緊張してたもんね」
「一稀が目立ってるから」
「しょうがないじゃん」
むっと辟易顔を披露する一稀には、肩を竦めるより他にない。
「悪かったよ。綺麗だからしょうがないな」
「それは言わなくていいの」
頬を膨らませる姿は幼くて、可愛さが目立つ。綺麗さが崩れて残念だと思うことはない。むしろ、その幼さのほうが高嶺の花過ぎなくて、俺の気持ちはなだらかになる。
「素直に思ってるよ」
「……薫が思ってくれるならそれは喜ぶけど、周囲の目は知らない」
「俺を贔屓し過ぎじゃない?」
俺だって、見た目で一稀の印象を決めつけていた。そんな反省をしたばかりだ。そこまで周囲との差があるとは思えない。
「彼氏だからね」
ふふっと笑顔でそれを取り上げられてしまうと、返す言葉がなかった。一稀はそれで満足したらしい。どうやら、からかいがちの性格も本質のひとつであるようだった。変に印象に振り回され過ぎずに、等身大の一稀を見ていくしかないのだろう。
「それじゃ、これからも甘めでよろしく」
「彼氏らしくいてくれればね」
「ごもっともだな」
そうして、笑い合った。
京夏の件を打ち明けたことで、いくらか距離が縮んだように思う。……これは、こちらの伏せ札がなくなった心持ちの問題かもしれないが。それでも、気負いがなくなった分、縮まるものがあったのは間違いない。
共犯という言葉を手に入れた安堵感は計り知れなかった。
一稀がどこまでそれを察しているかは分からない。だが、素で構わないと、そうした会話ができたことが有用に働いていると感じる。
その主観が俺には大切だった。役なのだから、気持ちは重要だ。おかげで、いくらか軽やかに舌が回るようになった気がした。積極的になれるようだ。
その日、俺は一稀と教室の放課後を堪能して校舎を出た。
駅まで送るのは、やっぱりいらないらしい。二週に一度くらいなら嬉しいけれど、そうじゃなきゃ気を遣うと断られた。
その一回を今日にしてもいいと言ったが、一稀は楽しいことは残しておくタイプらしい。もう少し仲が深まったら、と嬉しそうに言われてしまったら、もう粘るすべはなかった。
ちょうどいい理由を伝えはしたが、家に帰りたくないのだとは言い出せないままだ。やむなく、一稀と同じように帰宅した。
それでも、いつもよりも遅い時間ではあったのだ。だから、妥協も早かったのだろう。一稀によって、心を軽くされたこともある。その軽さでもって帰宅した俺を待っていたのは、玄関先へ出てきた京夏だった。思わず足を止めてしまう。
いつもよりも遅い帰宅時間は、どうやら京夏の帰宅時間と被ってしまったらしい。あまりのタイミングの悪さに、軽くなっていた心がその分沈んだ気がした。
「おかえり」
鉢合わせたのだから、と京夏はごく自然に挨拶を寄越す。こちらの心境なぞ、ひとつたりとも思い至りはしないのだろう。……自分が告げなかったことに八つ当たりしたところで仕方がないけれど。
「……ただいま」
「今日、遅かったんだね」
「まぁ」
なんとなく後ろ暗い気がして、相槌が曖昧になる。そんな感情を抱く義理もないと、頭の中は悠然としているけれど、心の中はそう沈着ではいられない。しっかり沈んではいるくせに、面倒な感情だ。
「あ! 彼女さんとデートしてきたの!?」
思いついたかのように切り込まれて、頬が引きつった。凍り付いた原因に、京夏が気付くわけもない。きょとんとした顔を浮かべられてしまった。
「違った? 噂になってたけど。実はまだ付き合ってないとか? 落とそうとしてるとこなの?」
「いや……」
矢継ぎ早な問いに、ようやく飛び出したのは、否定の出だしだ。
京夏は状況が読めない顔で、じっとこちらを見てくる。人の目をよく見るのは、京夏の癖だった。この実直な態度で兄ちゃんを落としたのだから、その熱視線の威勢には、なかなか実績がある。俺なんかが何かを誤魔化せるわけもない。
ただ、真実を装うのはいつものことだ。
「付き合ってる」
「本当だったんだ! 薫にも彼女か~」
「何だよ。似合わないって?」
先回りして、言われそうな言葉を潰す。
幼なじみの発想は分かるし、仮にも片想いをしていた相手だ。残念ながら、兄ちゃんよりも、とは言えない。あちらはこっちが物心つくより前の記憶もあるものだから、京夏のことにも俺のことにも無駄に詳しかった。
そう思えば、端から勝負になっていなかったのだろう。知識だけが感情を測る術ではないだろうけれど。
「そんなこと言ってないでしょ」
ぷっくりと頬を膨らます姿がよく似合う。茶髪のボブカットで丸顔の京夏に、お茶目な仕草に違和感はなかった。
一稀とは違うな、と無意識に比べられたことに、少し驚く。今まで、京夏と比較しようと思う人すらいなかったことを思えば、これは劇的な変化だろう。
「よかったじゃんって言ってんの。彼女に優しくして、仲良くね」
「ああ」
当たり障りがない。というよりは、手応えもなかっただろう。そんな相槌だったと言うのに、京夏はまったく気にした様子がない。喜ぶべきことだとばかりに笑っている。
彼女ができたことを喜んでくれる幼なじみ。それはいいことだし、変なことでもない。こっちが雑な反応になるのは、こっちの都合の問題だ。
「機会があったら、ダブルデートとかしようね」
もしかすると、この笑顔は兄ちゃんといいことがあって、浮かれているのかもしれない。そうでもなければ、こんな案が出てくると思えなかった。
そりゃ、京夏は素晴らしく恋愛脳だ。だが、不意にダブルデートを思いつくほどか、と思うと怪しい。舞い上がっていなきゃ、こうはならないだろう。何があったのか、と考えそうになる思考を堰き止めた。
考えるのを止めることは簡単だ。いつもやっているように、脳髄に言葉を染み込ませる前に理解を手放す。
「機会があればな」
それは社交辞令だ。誰が聞いてもそうだっただろう。
京夏がどれだけ本気か分からない。そのうえ、一稀に何の相談もなしに頷くわけにもいかない。そんな緩い発言であったが、京夏は歯牙にもかけなかった。社交辞令が社交辞令として通じているのか疑問にならざるを得ないほど、京夏の笑顔に変化はない。
「じゃあね。おやすみ〜」
言うだけ言った京夏は、俺の挨拶も待たずにすたすたと隣を抜けて玄関を出て行った。がちゃんと閉まった扉の開閉音に、深い吐息が混ざり込む。
隣の家に帰るだけの京夏を、兄ちゃんは送り届けることはないらしい。いつもそうしていたか? と巡らせてみようとするが、最後まで見届けたことはなかったと思い出す。二人の生活様式を俺は知らない。知りたくないと目を背けてきた。
思えば、こんなにもなだらかな気持ちで京夏の挨拶を聞いたのは久しぶりだった。
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