歩み寄りの数歩④

 たった、それだけのことだ。それでも、十分に俺と一稀が付き合っているという補強になったらしい。

 ただし、それなりに、という注釈はつく。何しろ、一稀はとびきりの美人だ。特に優れたところもない俺とでは釣り合いが取れていない。どうして? という疑問は完全には拭えないようで、疑いの眼差しはどこまでも付き纏っていた。

 とはいえ、まだまだ序盤だ。俺と一稀はそれほど慌てることではないと、その日の放課後に意見をともにした。

 そして、誰もいない時間になるころ。俺はおもむろに事情を切り出す。


「一稀」


 会話の狭間に投げ込んだ呼びかけは、どうにも会話の切れ目になってしまう。一稀もその気配を敏感に感じ取ったようだ。そもそも、一稀は鈍感ではない。俺の感情をできる限り緻密に感じ取ってくれるのは、最初からだ。


「俺の利を話しておきたい」

「うわ~緊張するなぁ」


 聞く心構えはできているらしい。軽やかに合いの手を寄越してくれる。カースト上位の会話術に乗せられている気がするが、そうでもなければうまく話せないだろうから、今ばかりはありがたい。主導権を握られることで振り回されてはいるけれど、助けられていることも多かった。


「早い話が、彼女が欲しかった」


 自分の片想いを一番に持ってくる勇気はない。もっとも端的に告げると、一稀はなるほどとばかりに頷く。


「それは私と一緒だね。理由は聞いてもいいの?」

「……幼なじみに失恋した」


 話しておくと前置きしている相手に、聞いてもいいのかと気遣いをしてくれる一稀に、誤魔化すつもりはなかった。口が重たくはなったが、伝えることができてほっとする。


「恋して忘れたいってこと?」

「相手がいれば、気にせずにいられるかなって」

「そんなもの?」

「分かんないけど、他にどうしたらいいかも分からなかったし、彼女を作ろうと思ってた。でも、悪いだろ? だから、俺を利用してくれる一稀はちょうどいいと思ったんだよ、俺も。我が儘とかそういうふうには思ってない。お互い様だから、変に気に病まなくていいよ」


 本当に都合の良い事情であるし、自分の感情を吐露するのは、いつだって気恥ずかしい。それを取り繕うみたいに、長々と捲し立ててしまう。しかし、言いたいことは言えて、ほっと息を吐いた。一稀の反応が気にならなかったわけではないが、様子に頓着することはできない。実に一方的な暴露であっただろう。

 しかし、一稀は


「よかったぁ」


 と柔い声を出してくれた。その反応に、俺の力が輪をかけて抜けたのだと、一稀は分かっているだろうか。


「薫も私を利用するんだったら、私も気にしなくて良いね。あ~、よかったぁ」


 ぐーっと足を投げ出し、指を組んで伸びをしながら、いかにも楽観的な態度で零す。嘘偽りないのが伝わってきて、俺もだらりと背もたれに体重を預けた。


「気負わずにやってこうぜ」

「これからだもんね。いいカップルになろう」

「どんなのを想像してんの?」

「ん~? どうだろう。私も行き当たりばったりだし。とにかく、周りにお似合いだねって邪魔しないでいようって思ってもらえるカップルがいいかなぁ」

「ハードルが高いなぁ」


 そりゃ、一稀の利を叶えようとするならば、それくらいにならないといけないだろう。

 しかし、難しい。俺と一稀が誰にも釣り合って見えるようになるというのは、どうすればいいのか。

 もちろん、すべからくにそう思ってもらえるなんて迷信だと、一稀だって分かっているはずだ。だが、可能な限り、ということだろう。変に狙われて絡まれなくて済むくらいには、と。付け入る隙をなくしたいと。

 その考えは分かるが、俺には自信がない。これといった長所もない俺が一稀と? という思いは、基底に漂っている。


「まずは、お昼だよね。ぎくしゃくしすぎ」

「しょうがないだろ、他人だったんだから」

「そうだけどさ。そんなに気を遣わなくてもいいよ。お互い利用者というか……共犯なわけだから」


 共犯。

 その言いざまは、かなりしっくりときた。そして、俺の気持ちをいくらか軽くする。それは、均整が取れているということだ。釣り合っている。それをしかと感じさせてくれる言葉だった。

 だが、だからって、そうして語られた意見をすべて受け止めるわけにはいかない。


「共犯でも気は遣うだろ、彼女なんだし」

「……なるほど?」


 勘が良いはずの一稀が、半端に首を傾げる。

 どれだけ勘が良くても、人の考えをすべて理解することはできないだろう。何より、俺と一稀に付き合いはほとんどない。情報がないのだから、予測もできないはずだ。


「大切にしようと思えば、気を遣うと思うけど」

「彼女役なんだから、大切にするかどうかは薫の自由じゃない?」

「そんなに器用なことはできない」


 役だから、と割り切って気を遣わない。そうしておきながら、彼女として扱う。それは複雑だ。一稀はそうして切り替えていけるのかもしれないが、俺には無理があった。

 きっぱり言い切った俺に、一稀は大きく瞬く。何をそんなに驚くことがあるのか。使い分けをできるほうが、よほど独特だろうに。


「大事にしてくれるの?」


 驚きを隠さない。少し浮ついたような声で首を傾げる。そう改めて確認されると、途端に気恥ずかしさが上回った。そんなつもりはなかったが、つまりはそういうことだ。意味もなく襟足を弄ってよそ見をしてしまう。


「まぁ」


 我ながら、情けない。もごもごと肯定を零すと、よそ見した視界の端がきらめいた気がした。それほど露骨に、一稀の空気が晴れ渡ったのだ。いたたまれなくて、ますます視線を戻せなくなった。


「薫!」


 しかし、感激したように呼ばれて両手を取られてしまえば、どうしたって意識を向けないわけにはいかない。興奮に頬を上気させた顔は、愛らしくて胸がぎゅっと締め付けられた。


「ありがとう。やっぱり薫っていい人だね」


 こんな些細なことではしゃぐ子だとは思いもしていない。不敵な態度を取っていることが多かったものだから、意外性もあった。

 すっかり気圧されている俺を前に、一稀は心底嬉しそうな顔をしている。くすぐったさに、身を捩ってしまいそうだった。


「本当に大切にできるかは分からないから、まだそんなに感謝しないでくれ」


 何とも頼りない返しだろう。あくまでも言葉だけだと宣言しているのだから。それでも、一稀のテンションを下げることはできなかったらしい。


「十分だよ。嬉しいもん」


 ここまで感激されてしまうと、もう俺の手には負えなかった。眉を下げるしかない。それだけ困惑を露わにすれば、さすがの一稀も我に返ったようだ。はっとして、手を引いてくれる。自由になった手のひらが宙ぶらりんになった。


「ご、ごめん」


 自分でも、そんなにテンションを上げるつもりはなかったのか。我に返った一稀は前髪を弄って整えるように気ぜわしく動きながら、ぽつんと零した。

 冷静になってからの仕草と心運びがあからさまで、ふっと圧力が消える。緩急が笑いになって零れてしまった。その変貌に、一稀の不審な目が向けられる。俺は慌てて口元を覆ったが、笑いをすべて飲み込むことはできなかった。


「ごめん」


 ひとまず、からかっているわけでも、煽っているわけでもないのを示そうとする。だが、それを含むには、謝罪ひとつでは不足だったらしい。一稀の不審が消えることはなかった。不快感は見えないから、俺はまだ冷静でいられたのだろう。


「一稀がそんなにはしゃぐ子だと思わなかったんだよ。あと、我に返る気持ちはよく分かるなと思って」

「だって、彼氏役やってくれない? なんていい女じゃなきゃ提案しちゃダメなんじゃないかなと思って?」

「作らなくていいよ。自然なほうが気楽だから」

「……そうかな?」


 前髪を弄りながら、上目に窺ってくる。その柔らかな問いかけは、ダメ? と首を傾げてきたときのものによく似ていた。


「一稀だってそっちのほうが気楽だろ?」


 俺は難しいことは言ってない。だというのに、一稀の顔色は曇った。意思疎通はまだまだ通りが良くない。


「なんか、強気っていうか、ハキハキしてる? 不敵? そういうのがキャラにあってるみたい」

「キャラにあってるみたい?」

「見た目? なんか勝手なイメージつくよね」


 ふぅっとため息を吐かれて、なんとなく言いたいことを理解する。辟易する姿は、モテて困ることを吐露していたときと同じだ。つまり、見た目だけで判断されるということだろう。

 確かに、俺もカースト上位とはそんなものなんだなと思っていた気がする。唐突に偽装を言い出せるような、そんな性格なのだと。

 けれど、大切にするという言葉ひとつでキラキラ喜んで飛びついてくる。ちょっと幼いような仕草が一稀の本質だとすると、偽装の発案だって勇気を振り絞ったのではあるまいか。考えてもみなかったことが浮かび上がった。

 俺だって、一稀を見た目で判断していたのだ。それは、面倒な男たちとそう変わらない。そう思うと、一稀の姿が綺麗から可愛いに変容して見えるものだから、それはそれでげんきんではあるのだろう。

 苦笑いになりそうなのを飲み込んで、一稀を真っ直ぐに見つめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る