二人の大きな一歩③
ひらひらと手のひらを振って答えると、後ろから否定されてビックリした。いつの間にか一稀が帰ってきたらしい。嘘をついた覚えなどないため、ついつい目を眇めてしまう。しかし、こちらを見る一稀が引く気配はなかった。
「ちょっと庇ってるでしょ」
どうやら一日中一緒にいたことで、よく見ていたらしい。図星を指されるのは旗色が悪かった。
「一応。気にしてるだけだよ」
「痛くないの?」
「平気だよ」
どうやら、一応の気遣いが一稀の心配を助長していたらしい。とはいえ、はっきりと答えても完全に疑惑は拭えないようだ。やっぱり、一稀は気にしすぎな節が否めない。
「一稀は心配性だね」
「……私を助けてくれて怪我させちゃったから気にしてるの」
「そうだったの?」
「俺が助けたかっただけだから、それでいいって言っただろ」
他に言いようもない。繰り返して説得力がないとしても、本心である以上繰り返さざるを得なかった。一稀は不満げな顔をして、俺の隣の席につく。いつもよりも遠いと感じる自分は、かなり毒されているらしい。
「佐竹くん、言うなぁ」
「茶化さないでよ、茅羽」
「でも、助けたかったなんて言われて嬉しくないわけじゃないでしょ?」
「それは、まぁ……」
友人の発言には敵わないようだ。ぼそぼそと勢いを緩める一稀は、おとなしい女の子のようだった。
「だったら、素直に喜んでおきなよ。お礼は言ったの?」
「当たり前でしょ。私、そんなに人でなしかな?」
「ちょっと素直じゃないときあるでしょ?」
「そんなことないもん」
どうやら、一稀は山津さんに頭が上がらないらしい。外側から見ると、山津さんが一稀にくっついているように見えるが、実際は違うようだ。
思えば、一稀は別に強気な女の子ではない。こっちの態度を気にしまくって、へこんでいたりする。意外でもなんでもない。恐らく、一稀の本質はこっちなのだろう。少しずつ、思っていたことが固まっていく。
一稀という輪郭を捉えていくたびに、気にかかる気持ちに拍車がかかった。
「あるよ。だから、佐竹くん、気になることがあったらちゃんと話したほうがいいよ」
「……アドバイス、どうも」
それはひどく単純で、けれど確実に良い方向へ導かれるアドバイスだった。あまりにも当然のことで、だからこそ改めることは難しい。塩梅があるものだ。
俺はそれを素直に受け入れて、ちらと一稀を見る。一稀は困ったような顔をしていた。
「二人で話す場所ってないの?」
そこには腰を据えて、という文言が隠されているのだろう。今だって二人ではあったけれど、いつ誰がやってくるとも限らなかった。実際に、山津さんを受け入れた会話になっている。俺と一稀は顔を合わせて、首を左右に振るしかない。
「どっちかの家に行ったりは?」
「いや、それは……」
「一稀は人目をかなり気にするから、ひとけのない場所に連れ込んであげるといいよ」
「言い方がひどいぞ、山津さん」
「いいじゃん?」
「友人のことだぞ」
「二人が仲良くして同意があるなら、何の問題もないし、一稀だって嫌じゃないでしょ?」
「ちょっと!?」
ぶわりと深い紅が広がる。一稀は叫んだ後に、失敗したとばかりに頬を押さえた。赤く染まった失態を隠そうと躍起になる姿に、胸がぎゅっと掴まれる。
「まぁまぁ。そういうのは置いておいて、二人で話すのは大事でしょ? 二人とも気にしてることがあるみたいだから、ゆっくりしなよ。じゃ、私はもう行くね。これ、借りてたノート。ありがとう、一稀」
山津さんは俺たちの返答を一切聞かずに、一稀のノートを机に置くとさっさと教室を出て行った。人が一人去って行っただけ。それだというのに、一瞬で教室が静まり返る。しんと沈黙が音になりそうだった。
ちらりと一稀に目を向けると、向こうも同じようにチラ見をしていて、視線が交わる。ついさっきまで顔を見合わせていたというのに、突然どうしたらいいのか分からなくなってまごついた。
山津さんの話は極めて当たり前で有益ではあったが、いかんせん言いざまがよくない。昨日、霧散させたはずの議題が、またぞろ舞い戻ってきてしまったような気がした。
「……帰るか」
「話さなくていいの?」
「話してくれるのか?」
「別に隠してることはないけど?」
「気にしてることはあるだろ?」
「……時間、ある?」
「……家、来るか?」
口にした瞬間、口内の水分が干上がる。顔を見てなんていられなくて、前を向いたままになってしまった。
一稀の視線がじっとりと身体の側面に注がれているのが分かる。とんでもないことを口走っているのは分かっているから、俺はそのまま一稀の返事を待つことしかしなかった。それは、数十秒でしかなかっただろう。しかし、その数十秒はじりじりと身を焦がした。
「何もしない?」
「話を、するんだろ?」
「……聞かれたくないことしかないもんね」
「ああ。だから」
二度目を言う勇気はなくて、飲み込んだ。その行間は、届いていることだろう。一稀が深く呼吸を整える呼吸音が、耳朶をくすぐった。
「帰りは駅まで送ってくれる?」
「……遅くなるもんな」
「早く出なくちゃね」
行く、と明確な返事はなかった。けれど、より具体的な会話は返事となっている。まどろっこしく思えるものなのかもしれない。けれど、俺には、ちょうどよかった。はっきりと告げられるよりも、どぎまぎせずに済む。
そして、一稀の言葉に返事をするように立ち上がると、一稀もそれに続いた。そのまま帰路に就く。
一稀には、普段と逆方向の通学路だ。きょろきょろと様子を見ながら、数歩後ろをくっついてくる。ここのところ、横並びであることが自然であったものだから、変な心地がした。不思議なものだ。慣れとは恐ろしい。一稀と横にいることが自然に思えるなんて、今までの俺なら考えられない。
俺は平々凡々とした男だ。突出した特技も成績も運動神経もない。面白味なんてないものだから、釣り合いについて言及される。それに不満を抱くこともないほど、普遍的だと自覚していた。
そんなやつが、カーストトップの美少女と並んでいて、自然に感じる。まさか、そんな日がくるとは思っていなかった。彼氏役を担うと決めていたが。それでも不思議な気持ちはこんこんと湧き続ける。
「こっち」
曲がるから、というよりは、無言の居心地の悪さをどうにかしたかった。一稀は言葉に従うように、俺の後ろをついて曲がってくる。結局、沈黙は変わらず、訳もなく生唾を何度も飲み込んでいた。
一稀がどんな顔をしているのか。微妙に後ろにくっつかれているので、窺うことができない。仮に隣にいたとしても、窺うことができたかは怪しいが。とにかく落ち着かない。それは、この先のことに対する緊張感だろう。
部屋に女子を入れた経験がないわけじゃない。もっと幼いころは、京夏が無邪気に入ってきていた。好きな子だ。そのときだって緊張はしていたけれど、物心ついたころからなので、それなりに慣れはあった。
それに、どんなに言っても幼なじみだ。兄ちゃんも合わせて家の中をうろうろしているのに違和感はなくて、改めて緊張することは少なかった。むしろ、何も感じられない自然体の京夏に肩を落としていたくらいだ。
中学になれば、兄ちゃんのことを熱烈に意識して、もう俺の部屋に入ってくるようなこともなくなった。だから、女子を部屋に入れるのは久しぶりだ。
その久しぶりの緊張感だと自分に言い聞かせて、男女の念ではないと誤魔化そうとしてみる。だが、何の役にも立っていなかった。
早足になりそうになるのを抑えて、意識してゆっくりと歩く。自分のいつもの歩調かどうかはさっぱり分からなかったが、一稀が何も言わないのでそのまま進んだ。
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