偽りの噂③

「あれでいいんじゃない?」


 何か問題が出てきたら放課後に相談し合うようになっている。どちらかが言い出したわけではないが、二人きりになれるのはこの時間しかない。自然、偽装の相談ができる時間も限られる。

 その時間に、山津さんへの対応を一稀に漏らした。自分に仲の良い友達がいないものだから、反応の正解が見つからない。それを素直に零したのだ。しかし、一稀はけろっとした顔でそう言った。山津さんのことは気にしていないらしい。


「問題ないの?」

「茅羽はああいう子なの。恋バナ大好きで突っかかってくると思うけど、気にしなくていいから」

「バレない?」


 バレて困るのは俺よりも、一稀のはずだ。友人を騙していた、という点でも後ろ暗いこともあるだろう。その心配を口にすると、一稀はぱちくりと目を瞬いた。


「困るだろ」

「……やっぱり、薫は律儀だよね」


 山津さんへの対応のときに出てきた言葉だ。そこまで良質な発言をしているつもりはまったくない。今度は俺のほうがぱちくりと瞬きを繰り返す。


「だって、薫はバレたところで、そこまで大変なことはないでしょ?」

「……まぁ、それはそうだけど」


 俺のほうは、恐らくやっぱり彼氏ではなかったのだと納得されるだけで済むだろう。最悪でも、弄んだらしいよと噂が流れるくらいだ。痛いと言えば痛い。だが、今でも十分面倒な形になっているので、解放されることを思えば、不利なことはそうない。

 何よりも、京夏はこの交際のあれこれについて知らないのだ。ただただ破局したと伝えてしまえばそれでいい。それを思えば、明らかに一稀のほうが面倒であることは想像できた。


「なのに、バレないようにって気を遣ってくれるでしょ? ありがたいなぁと思って」

「せっかくちょうどいい子を見つけたんだからっていう打算があるかもしれないだろ」

「そんな打算が働くなら、もう少しいい子を見つける算段くらい立てられるんじゃない?」

「一稀以上の女子を見つけろっていうのは、なかなか難しい」

「私、そんないい女なつもりないけど? むしろ、偽装彼氏を持ちかけるって悪女じゃない?」

「俺にとっては、むしろいい点だったよ」

「……薫って変わってる」


 おかしそうに言われるのは、大変心外だ。それほど奇特な発想をしているつもりはない。

 そりゃ、本命だった子を忘れるために彼女を作ろうという心の運びは、褒められたものじゃないだろうけれど。けれど、実行に移すかどうかは別にして、やけになって考えることくらいは誰にだってあるはずだ。変わってる、なんて改めて口にされるようなことはない。その不服が表立っていたのだろう。

 一稀は


「ごめん」


 と手のひらを立てて、苦笑した。そして、続けざまに言葉を紡ぐ。


「いい人ってことだよ。私の変わった提案に付き合ってくれる変わった人って意味だから」

「変わってるか?」

「それに気付かない辺り特殊だと思うけど」

「嫌なことを回避したいってのは自然なことだと思うけど?」

「それで偽装彼氏を実際に作ろうとするのは、情緒がないでしょ」


 徹底的な言葉は、自分に厳しい。実行したわりに、反省することが多いようだ。

 俺としては、そこまで思い悩むような提案であったわけではない。悩まなかったといえば嘘だが、それは一稀に対して腰が引けるという部分が主だ。偽装という点について、深く悩んだ気はない。

 一稀のほうが、ここまで否定的であるとは思っていなかった。今までもその感じは節々にあったが、今ほど詳らかにされたことはない。苦い顔を隠すこともない一稀に、目を眇めてしまった。


「気にしなくて良いって何度も言っただろ? 俺だって一稀を利用してるんだから」

「そうだけど~」


 あれほどよかったと連呼していたのに、心の底から納得することはできていなかったらしい。唇を尖らせて、机に上半身をだらけさせた。うじうじとしたその頭を緩く撫でる。自分がこういう行為をできるようになれるとは。不思議な気持ちで、一稀の頭を見下ろしていた。


「何をそんなにこだわることがあんの? 別にバレたって害はないんだから、一稀が気にすることないじゃん」

「だから、その分負担を強いるのは悪いな~とか」

「じゃあ、幼なじみのこと忘れられるくらいいい思いをさせてくれよ」


 まさか、俺が自分の事情をあけすけに掲げて条件を出すとは思わなかったのだろう。一稀は机に頬を預けていた顔を持ち上げて、こちらを見上げてきた。


「何すればいい?」


 あんまり素直な問いかけであるから、胸がざわめく。

 どちらかが有利という関係ではない。共犯だ。だが、低い位置から何かしてくれると提案されると気持ちが蠢いた。美人が口にするには、考えたほうがいい。それくらいには、魅惑的に響いた。


「それを考えるのが俺のためになるってことで」


 逃げかもしれない。思い浮かばなかったために、一稀にそのまま投げた。

 一稀はむぅと唇を尖らせながら、首を捻っている。しばらくそうして固まっていたかと思うと、こちらへ向き直って、上半身を起こした。


「じゃあ、考えておく」

「やった。ありがと」

「エッチなことはダメだからね!」


 何を考えたのか。すぐさま付け足された条件に咳き込む。


「言ってねぇだろ!?」


 乱れたのは言葉遣いだけではなく、心音もだった。一稀のほうも、視線が泳いでいるから、思いついたことをぽろっと口にしてしまったのだろう。


「それはいいからな」

「間に合ってるってこと?」

「自分の首を絞めるな!」


 一稀は目を泳がせながらも、発言を取り下げようとしない。それを思いつかないほどには動揺しくさっているのだろう。

 思い至ることはできたが、だからってこっちも冷静とはほど遠い。なまじ、美人の女子にそれを提案されているのだ。どれだけ口で拒否したところで、脳内がそちらに駆け出そうとする。その手綱をしかと握り込んだ。


「そういうことはいいから、もっと楽しいことにしろ」

「……楽しくないの?」

「だから、墓穴を掘るのはやめろ。俺に何を言わせたいんだ」


 楽しいかどうかなんて知る由もない。交際経験のないやつに一体何を聞くんだ。


「そういうの、どこまでその気があるのかと思って」


 そういえば、手を繋ぐだと繋がないだの話になったときにも、そんなやり取りがあった。だが、あの場では真剣にそちら側へ流れることはなく、現状確認になったはずだ。あのとき回避したものに、回り回って直面していた。やはり、後回しにしていいことはないらしい。

 一稀だって、さすがに羞恥心があるのか。頬に刷ける紅が目に毒だった。


「握手しただろ」

「……だからさ、」

「一稀」


 挙動不審は続く。目の前でそうされると、冷静さが戻ってくるものだ。

 だから、と確かめるのに躍起になっている一稀は、いつの間にか自分の指を絡ませ遊びながら、腕をうねらせている。その動きが、名を呼ぶことでぴたっと止まった。


「本当に、あんまり気にするなよ。俺は一稀が嫌がることを求めるつもりはない」

「……私にぶん投げるの?」

「じゃあ、逆に聞くけど、一稀はどこまでなら俺に許せるんだよ」


 セクハラどころじゃない。いくら偽装といえど、その内容は必要ないはずだ。外向きにイチャつく要素を打ち出す気持ちはある。だが、そうした接触は内密なものだ。自分たちに偽る理由はない。自己暗示はしてもいいかもしれないが、そこに実体は伴わずともよいはずだ。


「……わ、わかんない」


 小さな子どもみたいに拙い返事が揺らいでいる。弱々しい。今まで見たことがないほどの虚弱な態度は、胸の奥底を素手で撫でられたようだった。どうしようもない庇護欲のようなものが湧き上がり、飲み込まれそうになる。

 一稀はそこまで過保護にしなければならない相手ではない。それでも、守るべき相手だという意識が広がった。


「そこは拒否すりゃいいんだよ」

「だって、」

「一稀が嫌なことはしないって言ってるだろ。手は出さない」

「……腕組むくらいならいいよ?」

「一稀が求めてくれたらな」

「任せないでよ」

「人前で必要と思えば触れればいいだろ」

「薫もだよ」

「……後からセクハラって言うのはナシだからな」

「どこ触るつもりなの?」

「危ない橋を渡るつもりはまったくない」


 だらだらと話しているうちに、一稀も平常心を取り戻したらしい。完全ではないかもしれないが、会話の滑らかさはいつも通りに戻った。

 頭の中でどこまでを想像しているのかを探ろうとしそうになる心には目を瞑る。


「だったら、これからはスキンシップも多少は可ね」

「……分かった」

「間が疑わしいんだけど?」


 つんと小首を傾げる。元通りになった一稀に、ふっと笑みが零れた。切り替えが見事で、笑うしかない。


「一稀って、スケベなの?」

「スケベ……って!」

「じゃあ、痴女?」

「ひどい! 薫のほうこそ、何考えてるわけ? 変態」


 お互いに罵倒を繰り出して、いつもの戯れに戻ることに思うところはある。だが、こうでもしなければ、妙に下世話な方向へ流れかねない。

 いい雰囲気というのもはばかる。はばかるが、そんな雰囲気になったところで、俺にはなすすべがない。自分が理性を手放して、あるがままに振る舞えるなんてのは夢物語もいいところだ。この場合は、理性を保てることは褒められるべきことだろうが。

 何にしても、雰囲気がそちら側へ流れたとしても、俺のキャパシティでは受け止めきれない。払拭できてよかった。


「一稀に言われたくないけど」

「もう! 帰るよ」


 ふんっとむくれたように言いつけて、一稀が立ち上がる。

 変態を押し付けられたことに言いたいことはあるが、身動ぎで滞留していた空気が流れたことはありがたかった。どうしたって拭いきれない。下世話な残滓のようなものが流れていって、呼吸がしやすくなった。


「待てよ」


 駅側へと別れるまでの数分だけだが、ともに帰るのが日常になりかけている。一週間の成果というのは、なかなか強く出るものらしい。それを実行に移すために、一稀の後を慌てて追った。

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