偽りの噂②
それがよくなかったのだろうな、と眼前の男子三人を見つめる。
階段ですれ違いざまに、お前、と嫌な声のかけられ方をされた。いや、もしかすると声をかけるつもりはなかったのかもしれない。ぽろっと零れたものを耳にして、足を止めてしまったのが悪手だったのだろう。
すれ違ったまま、階段の中段辺りで対峙する羽目に陥ってしまった。
「一稀ちゃんの彼氏だろ?」
「昼間、あーんしあってたってヤツ?」
「そうそう。一稀ちゃんの手作り弁当をもらった、幸福の塊の男」
口々に寄越される真実に、微苦笑が零れる。何も間違っていないものだから、反駁のしようもないし、会話が三人で完結してしまっていた。
「そのわりには冴えないよな」
「言ってやるなよ」
嘲笑されて、頬を引きつらせた。こうした場面に嵌められたことなど、過去に一度もない。一稀に何をされるよりも、どうしたらいいのか分からなかった。
「何か言い返そうとかないのか?」
「そう言われても」
三人で会話が成り立っている。ただでさえ難解であるのに、自分へ投げられもしない会話に反応を示すのは格段に難しい。
「自分が一稀ちゃんに釣り合ってると思ってるのか?」
「一稀は気にしていない」
盾に取るのはどうなんだと思った。
だが、こいつらが信じるのは一稀のほうだろう。そこにある好意が本気なのか。憧れなのか。俺が気に食わないだけなのかは不明だが。何にしても、何を言ったとしても、俺の意見が通るとは思わなかった。
「男として悔しいとか、そういうのはないわけ?」
「一稀ちゃんの名前を出しとけばどうにかなると思ってんのか?」
一稀ありきの絡みに対して名前を出すのを禁じてくるのは、豪快な理論だ。
三つ並んだ茶色い頭たちは、同じようなことを零す。没個性、と浮かぶ言葉は、斜めに見ているなと自省を抱かせた。
よそごとを考える余裕があるのではなく、それほど目の前の生徒に関心が持てなかったのだ。想像だけしかできていなかったが、現実に被ることになっても、いまいち実感は追いつかない。それは、相手が一稀と釣り合うような図抜けたイケメンな男子とかではないからだろうか。
なかなかひどい心情だと苦笑いが零れた。
「何を笑ってんだよ」
「俺たちなんか取るに足りないと思ってんだろ? 一稀ちゃんに釣られて自分も人気ものになったと勘違いでもしたのか」
「そんなこと思うわけないだろ。一稀みたいになれるわけがない」
釣り合いを考えれば、この言葉は失敗だったかもしれない。その感情もあったが、抑制よりも先に本心が零れた。
男たちはそんなことを口にする男は、やはり彼氏として不適格だとでも思ったのか。顔つきが厳しくなる。ぴりっとした緊張感が広がっていった。
空気を感じると身動きは取りづらく、先手を取れるとも思えない。それは向こうが何をしてくるか分からないという不安が強いからだ。そうして固着した事態に緊迫感は増して、会話はなくなっていった。
向こうもその調子になられてしまうと、行き先のない睨めっこが始まる。そんなものに興じるつもりはてんでないというのに、二進も三進もいかない状態だ。向こうの求めているものが分からないのだから、本当に手がなかった。どれほどの時間が経過したか分からない。
そこに投じられたのは、
「一稀、早く行こう」
と上段から聞こえてきた声だった。
ただ、それだけだ。だが、男たちは一稀にこの状態を知られたくはないらしい。
そりゃ、そうだろう。一応、彼氏だ。一稀が想っているものに絡んでいるところは見せたくないだろう。そうした思考が備わっているだけマシだと思うところ、俺もかなりズレているのかもしれない。男たちはどたばたと階段を駆け下りていってしまった。
ほっと息を吐いたところで、上段から降りてきたのは一稀の友達だ。
隣のクラスの
その山津さんが降りてきたが、それ以降一稀が現れる気配がない。疑問が胸に迫るより前に、山津さんがほのかな笑みを浮かべた。
「あの人たち、行った?」
それだけで、山津さんが何をしてくれたのを察す。意外な気持ちが膨らんだのは、山津さんがおとなしい子だからか。それとも、自分を助けてくれる人がいるとまったく予期していなかったからか。半々だった。
「……助かったよ。ありがとう、山津さん」
「ううん。一稀の彼氏だもん」
「認めてくれてるの?」
それが出たのは、肯定的な声をそう聞かないからだ。自分で思うよりダメージをためていたのかもしれない。
嵩原は妥協的に受け止めてくれているが、あれは異質だと理解している。周囲に否定をし続けられれば、自然に思考がそちらへ転がりそうになるものらしい。新たな発見だった。
「認めるも認めないもないと思うけど……でも、一稀が佐竹くんと一緒にいるんだから、それがすべてじゃない?」
きょとんとした顔で、フラットに零される。変に気遣いのない口調に、気が楽になった。
「そうか」
「佐竹くんは想ってないの?」
「そんなことないよ」
恋心があるといえば嘘だ。だが、否定だけであれば真偽は定かではなくなる。
そういう計算をしてしまったのは悪いが、一稀の友人に下手なことは言い募れない。後々に影響を残すのは本意ではなかった。一稀とこの偽装の終わりをいつにするのか決めるべきかもしれない。それを考慮した行動もあるはずだ。
「だったら、堂々としてればいいよ。一稀も気にしてないし」
「気にしてないかな?」
一稀と噂の悪意に対して相談したことがない。漠然と釣り合いについては話したが、それで俺が貶められていることについて審議はしていなかった。
だから、一稀がどう思っているのかは知らない。偽装が明らかになるのが困る。そうした実利の面を優先してきた。気持ちの面での寄り添いがないことに、今更気付く。
俺だって、それに頓着してこなかった。偽装という部分にこだわっていたことは間違いない。だから、本心についての持ち合わせには自信がなかった。
山津さんは引き続き、気さくな態度でいる。
「う~ん? 佐竹くんが貶められているっていうなら、それは気にしてると思う。でも、釣り合ってないとかそんなことは思ってないと思うよ。昼間、そんな話してなかった?」
そういえば、と振り返った。山津さんは、どうやら教室にいたらしい。
もちろん、偽装としてもたらされたものだと、すべてをスルーしくさっているわけじゃない。だが、その場を乗り越えることに意識が向いてしまっていた。
一稀は人をからかうこともあれば、誇張した物言いをすることもあるが、完全なる嘘でおだてたり媚びたりはしない。だから、気持ちが釣り合っているというのも嘘ではないのだ。
俺たちは、釣り合っている。共犯であるのだから。そういうことだろう。俺はそう解釈していた。
山津さんの目を介すと、何かが違って見えるのだろうか。
「それとも、佐竹くんは一稀の気持ちを疑ってる?」
「まさか。一稀を疑うなんてないよ」
本気かどうかを探ることは多い。ただ、それは偽装という前提があるからこそのもので、決して一稀を信用していないわけではなかった。でなければ、偽装関係など簡単には結べない。
すべてを預けられるというには、付き合いは短い。だが、一点。自分たちの関係においては、一稀は信用に足る。
「じゃあ、大丈夫だよ」
ふわりと笑う山津さんは、性善説に彩られている気がした。しかし、それくらい太平楽であるほうが、俺にはちょうどいい。
「そっか。山津さんが言うなら、そうなんだろ」
「何で?」
山津さんは、俺の発言に謎を抱いているようだ。何をそんなに疑われることがあるのか。俺のほうが、首を傾げてしまいそうになる。
「だって、山津さんは一稀のことよく分かってるでしょ?」
「そうだけど……」
「だから、俺以上に一稀のことが分かってるだろうし、山津さんが言うならそうなんだろうと思って」
山津さんは、やっぱり不思議なようでぱちぱちと瞬きを繰り返した。変なことを言っているつもりはないのだが……。
思えば、高校に入って一稀以外の女子ときちんと会話をしたのは初めてにも等しい。玄関先での京夏とのそれは、カウントに含むつもりはなかった。紛れもなく、ずっと女子として意識してきた存在だが、同時に幼なじみである。ただの同級生というには、種類が違った。
山津さんとの会話に戸惑いは強い。不思議そうにしている彼女に、それ以上何を言えばいいのかも分からない。困惑の空気が広まっていく。どうしようという焦りがから回るばかりだ。
そこにひょこっと顔を出した一稀は、まるで救いの女神のようだった。
「茅羽、いた。あれ? 薫?」
「おう」
「何? 二人でどうしたの?」
怪訝そうに上階から覗き込んでいた一稀が、とことこと駆け下りてくる。困惑の空気が一気に流れて散逸していくようだ。本当にありがた過ぎて、場が場なら拝んでしまっていたかもしれない。
「偶然行き会っただけだよ」
「話すことある?」
「一稀、嫉妬?」
「もう! からかわないでよ、茅羽」
「だって、そんなに気にすることないじゃない?」
「……でも、二人が話してるの初めて見るもん」
不貞腐れてこちらを見る視線に、苦笑を浮かべる。
この目は、どちらかといえば不安だ。偽装のことについて何か問題はなかった。自分の友人と何を話していたのか。
嫉妬と言えばカップルとして聞こえがいいが、実際はそんなものだ。そこに独占欲は見当たらない。
「一稀の話をしてたんだよ」
「え、何。何か言ったの? 薫」
ぎゅっと細まった目力に怯みそうになる。何も不利になるようなことはひとつもないというのに、言い渋ってしまいそうになってしまった。
「信じてるって話」
「私を?」
「そう。彼氏としてちゃんと気持ちはあるのか、って聞いたの」
「茅羽、何言ってんの!?」
ぎょっとした顔を向けられた山津さんは、けろっとした顔で笑っている。
「だって、聞いてみたかったから」
何の気負いもない。
山津さんは、一稀と比べると静かな子だ。一稀の暴力的なまでのきらびやかさに慄いてしまうようなタイプに見える。友人であるのだから、そんなことはないのだろうけれど。けれど、こうして見ると、なかなか肝が据わっていると感じた。
「だからって……」
「佐竹くんは想ってるんだって」
「山津さん!」
まさか目の前で報告されるとは思わず、声が出る。一稀から意外とでも言うような視線が突き刺さってきた。
そりゃ、そうだろう。想っているというと語弊がある。
正式には、同じように思っている、だ。偽装相手として理想的でちょうどいい。そう思っているというだけのこと。山津の言い方では、違うように響いた。一稀が意外性のある顔もするのも頷ける。
「……恥ずかしいこと言って回らないでよ」
「俺だって、聞かれなきゃ答えないよ。一稀の友達だから、誤魔化すのも悪いかと思って」
「もう。変なとこ律儀なんだから」
照れくささを隠すかのように、二の腕を拳で押された。殴るのと大差ない動きではあるが、可愛さが上回る。仕草ひとつひとつがさまになるものだ。
「悪かったか?」
「私も聞いたことないのに、ズルいよ」
「やっぱり、妬いてんじゃん」
「うっさい」
ぐりぐりと押していた拳が開かれて、ぱちんと引っ叩かれた。襲撃ではあるが、痛みは薄い。やはり、可愛いものだ。
その感性は、俺一人のものではなかったらしい。クスクスと笑い声を上げた山津さんを、一稀が睨みつける。
「可愛いよ、一稀」
そうして、何の躊躇もなく、山津さんが一稀の横腹から抱きついた。軽い抱擁を受け止めた一稀は、それでも感情としては納得していないらしい。不満そうな顔をしていた。
可愛いのだから、可愛いと認めればいいのに。というか、自分のルックスに自覚があると思っていたのだが、言動については話が別らしい。その言動がもっとも素晴らしく愛らしいというのに。……これはさすがに偽装彼氏の分際で伝える意気地はないので、伝えたことはないが。
しかし、山津さんは容赦がない。意外と主導権を握るタイプだったようだ。
「佐竹くんもそう思うよね?」
問いと一緒に向けられた視線は二つ。一稀も俺がどんな返答をするのかと興味の視線を向けていたが、それよりも山津さんの視線に込められた期待が重い。
そうでなくても、聞かれた時点で俺に逃げ場はなかった。彼氏として、模範的な回答をしなければならない。偽装であるのだから、どうしたってその考えは拭えなかった。
「まぁ」
それでも、甘ったるいことを口にできなかったのは、本心でもあるからだろう。一稀が可愛いのは、純然たる事実だ。
山津さんは、からかいを隠せない表情になる。一稀はあやふやな笑みを浮かべた。嘘だとも思っていないだろうが、どこまで本心かも見極められないのだろう。俺からも心当たりがあるので、一稀の表情の理由はよく分かった。
「ラブラブだなぁ、二人とも」
「やめてよ、もう」
「勘弁してくれ」
ここまでの純度でからかわれることなんて、ほとんどない。嵩原のそれは、冗談紛いのやっかみも混ざっている。山津さん以外にしてくる人はいなかった。
広く薄く噂は広がっているが、深く繋がっているものはいない。下手に深く関わってボロが出ても困るのでそれは構わなかったが、こうしてからかわれる免疫もつけておかないと困る。気付いたことは良いが、今はどうにもならない。
俺と一稀は、ただただ困って顔を見合わせることしかできずに、その場をやり過ごした。
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