歩み寄りの数歩②
そうして、廊下へ出て歩き出すが、いかんせん違和感がすごい。ルックスのこともある。加えて、交流のなかった相手だ。会話がない。弾む弾まない以前に、共通の話題すらてんで見つからないのだ。沈黙が耳に痛かった。
一瞥するが、一稀は前方を見据えていて何を考えているのか分からない。気まずくはないのだろうか。疑問が膨れ上がるが、それを口にするのもはばかられる。沈黙をどうにかしたい気持ちはあれど、口が開けなくて困った。
一稀がそのままであるから、尚のこと変にから回っていることを悟られたくない。見栄というよりは、混乱のほうが強かった。
一稀はどうして、こうもナチュラルな態度でいられるのだろうか。異性として意識しているのとは違うが、意識を持たずにいることも難しい。少なくとも、彼女役ではあるのだ。無関心というわけにはいかない。
「薫?」
そんなことを考えていたものだから、無礼にも目を向けていたようだ。こちらを見上げてきた一稀が、怪訝に首を傾げる。苦味が迸った。
「なんでもない」
「えー? 変なの。緊張してる?」
くつくつと喉を鳴らして笑う。一稀はやっぱりナチュラルで、俺とは精神力が違うようだ。余裕綽々な態度に、苦味が増す。
「というか、何を話したらいいのか分かんないなと思って」
俺に工作は向かない。身の丈に合わない抵抗をしたところで、成果は得られないだろう。これといった対策も思いつかなかったために、考えていたことをそのまま投げつけた。
一稀はふっと口の端から息を抜く。
「別にそんなに気を遣わなくていいけど」
「こっちが気持ち悪いんだよ。それに、恋人っぽくするためなんだろ? さすがに無言はまずくないか?」
「うーん? 確かにいくら付き合っているっていっても説得力はないかも?」
顎の辺りに人差し指を押し付けて、首を傾ける。コミカルな仕草のくせに、一稀にはよく似合っていた。
「せめて会話くらいは、な」
「そうは言ってもねぇ……薫って趣味何?」
何とも根本的な問いだろう。まるでお見合いだ。
「強いて言うなら読書とか?」
「曖昧だなぁ」
「でも、そんなに熱心に読んでるわけじゃないから」
「好きならそれでいいじゃん? 私もファッションとか興味あるし、好きだけど、別に詳しいわけでもないし、オシャレなわけでもないし」
けろっとした顔で言う一稀を、まじまじと見てしまう。
制服だ。オシャレっぷりが目立っているわけではない。だが、ピアスにしろ、首元に覗いているネックレスの鎖にしろ、手首を飾っているブレスレットにしろ、随所にその片鱗は見受けられる。
俺にオシャレ度の判別はできないが。それでも、オシャレに気を回していることくらいは分かるし、ひとつひとつのセンスがいいことも分かる。少なくとも、一稀にはよく似合っていた。身嗜みだって整っている。
「……オシャレなんじゃないの?」
「薫にそう見えてればいいかな?」
笑みには、からかうかのような含みが滲んでいる。俺はたじたじになるしかない。最初っからすべて、一稀のペースだ。
「俺の価値が合ってるか分かんないぞ」
「彼氏にオシャレだって思ってもらってるなら、文句はないでしょ」
むんっと胸を張って告げる。厚手に分類されるだろうブレザーの上からでも、その豊満さが目に飛び込んできた。文句も何も、むしろ手に余る魅力だ。
「……そういうもんか」
くだらないことを考えていたことが透けぬように、一際声を落として相槌を打つ。一稀は緩やかな笑みを浮かべたままだ。そして、何を思ったのか。そのままの顔つきで、爆弾を放って寄越す。
「薫って彼女いたことあるの?」
思わず足を止めそうになってしまって、気合いで一歩を踏み出した。歩調が乱れて、一歩が大きくなる。
一稀はととんと早足でそばに並んだままだ。その合わせ技に、俺の動揺すらも掴まれているような気がして落ち着かない。
どうしても苦さから逃れることはできずに、中途半端な笑みを浮かべてしまった。それは回答をしてしまったようなものだ。勘のいい一稀には、経験のなさを悟られてしまっただろう。
「……一稀は?」
どうしようもなくなった俺は、せめてもの反抗に返した。勢いもなければ声量もない。一稀にしてみればただの会話で、反抗にもなっていなかっただろう。
それが証拠に、一稀は何の感慨もなく回答を寄越した。
「一度だけね。押し負けてだから、そんなにいいものじゃないけど」
「……今回もそんなにいいものじゃないと思うけど、いいのか?」
「私から言い出したんだけど? それに、薫はそれほど悪い子じゃないと思うけど」
「まだ三日だろ?」
「まぁ、そうなんだけど」
こればっかりは、お互いに苦笑いが零れる。
いいものかどうか、なんて判断がつくような材料はひとつもない。何しろ俺たちは、勢いだけでこの交際に踏み切っているのだ。どこがいいとすら口にしようがない。かろうじて言うのであれば、興味が薄いというところが都合がいいということだけだろう。それは恋人としてどうなのか、という部分だ。
苦笑いから逃げることはできそうもなかった。
「ねぇ、薫?」
「何?」
切り替えるように呼ばれて、すぐさまそこに乗っかる。
そうでなければ、会話が行き詰まってしまうような気がしていた。思えば、京夏以外の女子と長く会話した記憶があまりない。たとえ相手が一稀でなくとも、会話に乗る方向でしか女子と会話をできる気がしなかった。
「薫はどこまで平気?」
「どこまでって……」
漠然とした問いかけに、対応しきれずに今度こそ足が止まる。同じように止まった一稀が半身を捩るように、こちらを振り返った。
ぐるっと回った思考が、間を置いて恋人としてのステージの話をしているのかと辿り着く。だが、辿り着いたところで、何をどう答えていいものか分からなかった。大体、一稀の想定するどこまでが、どこまでなのか。そのことが引っかかって、下手なことを口にできない。
「……手、繋ぐ?」
そうして、手のひらを目の前で振られる。白くて細い指。爪が陽に照らされて艶めいている。トップコート? を塗っているのだろうか。目の前をチラつく光を追う猫のように、その手を見つめてしまった。
「どこまでを想定して、その提案なの?」
向こうばかりに質問を任せていると分が悪い。どこまで、という不透明な範疇を探るために切り返す。
一稀は少し考えるように目を細めて、自分の手を見つめてぐーぱーと開いたり閉じたりした。意図は読めないので、仕草を見つめてしまう。あまり凝視するのも悪いだろうと思いこそすれ、分からないものは観察してしまうものだ。
その視線に気がついたのか。一稀もこちらへ視線を寄越す。見つめ合う、というよりは、どこか探り合っているような気配が漂っていた。
「ひとまずは、どこまでいけるかって考えつつやれることをやってみようかなっていう気軽な感じで提案してる。かな? 手を繋ぐことくらいなら、そこまでハードル高くないし。そんなに気にしなくていいかなって。それに、恋人っぽさをアピールするのにも、簡単な手段は他に思い浮かばなかったから。腕を組んでもいいけど。それだと胸が当たっちゃうと思うから、それはそれで、どうなのかと思ったりして、だから手を提案したんだけど、薫がひっつきたいって言うなら、もっと別の方向性も考えるけど」
最初はやけに滞りなく喋ることに感心していたが、腕を組んでもいいと言い始めた辺りから、早口なのは余裕がないからなのかもしれないと気がついた。
いつの間にか、かざしていた手のひらが落ちていて、無価値に指を絡めるように弄んでいる。いじいじとした態度でようやっと気がつくから、俺はダメなのかもしれない。
京夏に気がつかれなかったのはアピールが足りなかっただけだろうけれど。
「一稀」
だらだらと続いているさまざまなスキンシップの口上を止めるのに、他になんと声をかけたらいいのかも分からなかった。しかし、名前は適切だったらしい。一稀はぴたっと舌を止めて、指先に落としていた視線を俺のほうへと向けた。
「そんなに無理をしなくてもいい」
「無理じゃないの」
即応には、眉を顰めてしまう。すべからく疑っているわけではないが、ならばあの余裕のなさはなんだというのか。
「本当に無理はしてないよ。薫に触れるのが嫌だと思ってるわけじゃないから」
そう言いながら、一稀は一歩進んで俺の眼前へとやってくる。すぐに触れてしまいそうなほどの距離は、首が痛くはないのだろうか。その指先が、俺のブレザーの裾を緩く握った。肌ではない。だが、それは俺に触れられるという裏付けのようだった。
「ただ、私から言い出したことだけど、どうしたらいいのか分からないだけ」
少し不貞腐れたような。後ろめたいような。そんな態度で零す顔は俯いている。困惑が直に伝わる頭頂部を見下ろして、俺は小さく息を整えた。
困惑しているのはこちらも同じだし、そううまいことを言える気がしない。それでも一稀の案に乗った以上、一生懸命答えるくらいの根性は見せたかった。いつまでも受け身で居続けるわけにもいかない。
「無理して恋人っぽく振る舞わなくても、ゆっくりでいいんじゃないか。急ぐことはないだろ?」
何かに追い立てられているわけではない。一稀にしてみれば、男に絡まれることを回避したいのだから、効果はいち早く体感したいだろうが。けれど、だからって、急いで失敗してしまったら元も子もない。
俺たちの生活が始まったのは三日前だ。
恋人として不足しているも何も、友人としても不足している。呼び方を整えただけで、実際には何一つ進展していない。いつまでもぐだぐだしているわけにもいかないが、息せき切る理由は見当たらなかった。
「でも、早速疑われてるんだけど?」
「今までゼロだったからだろ? これからは一緒にいる時間を増やしていくだけでもいいんじゃないか」
「……そっか。そうだよね」
自由奔放なんだと断じていた。けれど、俺のブレザーを摘まんだ状態でこくんとしおらしく頷く姿は、可憐な少女に見える。
可憐に見えていなかったわけじゃない。一稀は普通にしていたって、可憐な少女だ。だが、壮麗で手に負えない。自分とは別次元の存在に見えていた一稀が、少し身近な存在に思えた。
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