偽りの提案③

「私に興味ないんだよね?」

「ゼロってわけじゃないけど……」

「そうなの?」


 途端に、眉を顰められた。至近距離で歪む美形の迫力には、頬が引きつりそうになる。だが、気圧されて黙っているわけにもいかない。教室には二人きりだ。他の誰かが助けに来てくれる見込みもない。


「人として付き合いに興味がないと言い切っちゃうのはどうなの? 失礼だろ?」

「ああ、そういうことね」


 野上さんは、一瞬で表情を緩める。ころころと表情が変わるものだ。端整なわりに、お高く止まっているわけではないらしい。どうしても、高嶺の花のイメージが強過ぎる。表情豊かというだけでお茶目さを覚えるほどには、印象がブレる人だ。


「それは優しいね」

「そうか?」

「当たり前にそう言えるのは、十分優しいと思うけど? それで、そんな優しくて私に必要以上に興味のない佐竹くんにお願いがあるんだけど」

「何?」


 にこにことした笑みで言葉を紡ぐ。

 淀みない問いかけに、俺は簡素にしか答えられなかった。嫌な予感がしているのとも違う。そんなものを感じる以前に、野上さんのペースについていけていなかった。


「私と付き合ってみるってのはどう?」


 桜色の唇から、予想外に甘い内容が飛び出す。凛と響く声が、鼓膜を揺さぶって余韻を残した。まったく反応ができない。しばらくそうして言葉を検めようとしたが、飲み込めることはなく脳内を上滑りする。


「……は?」


 おかげで、時間をかけたくせに出力は何とも情けなかった。

 野上さんはその軟弱な返事を聞いても、にんまりとした笑みを消すことはない。そして、明朗な調子で舌を回した。


「私に興味ないのなら、ちょうどいいでしょ?」

「……意味が分からんのだが」


 興味がないものに告げる言葉ではないこともだが、ちょうどいい発言も意味が掴めない。

 元より、野上さんのペースに置いてけぼりを食らっていたのだ。思考回路はちっとも追いつかない。鈍い脳みそを馬鹿にされないのはマシだが、からかいでなければ余計に何を考えているのか分からなくなる。


「告白されるの面倒だし、男子に絡まれたくないの。だから、彼氏を作ったらマシになるかなぁと思ってたんだけど、私に興味があるって人にそんなの頼むわけにはいかないじゃん? 面倒臭さが増すだけだし、さすがに後ろめたいしさ。でも、私に興味がないってことなら、そういうしがらみはないでしょ? だから、ちょうどいいかなぁって」


 つらつらと語られる言葉は、宇宙語と評するほど理解不能のものではなかった。野上さんにも理屈があってのことだ、と理解はできる。

 だが、その中身に納得できるわけではない。俺にはない発想過ぎて飲み込みきれなかった。

 返事のできない俺を、野上さんは真っ直ぐに見つめてくる。純粋無垢な輝きは、じりじりとこちらに迫り来るようだった。


「ダメかな?」


 ちっとも答えないものだから、痺れを切らしたのだろうか。野上さんがダメ押しのように尋ねてくる。


「いや、ダメっつーか……それ、俺でいいの?」


 関わりがないもののほうが、都合がいいのは分かる。

 だが、野上さんは俺のことをまったく知らないはずだ。いくら偽装としたところで、性格を知らないものを彼氏役にするリスクは計り知れない。面倒な相手を引き寄せないための手段であるのならば、尚のこと慎重を期すべきだろう。無鉄砲な提案としか思えなかった。


「だって、興味ないんだよね?」

「だからって、危ない思考の持ち主かどうかも分からないだろ?」

「それを言い出すんだから、信用できると思うけど?」

「それすら企みの可能性だってある」

「まぁ、それはそうだけど、さすがにそこまで疑ってたらキリがないし、自分の都合のいいようにするんだから、それくらいは仕方がないかなって。見る目がないのは私ってことで」


 潔い物言いに、苦笑する。そこまで言われてしまうと、そこから切り崩すことは難しい。


「ていうか、自分が嫌だからって理由じゃないってことは、見込みあるの?」


 そう言って笑う野上さんは、少しだけ悪い顔になる。ここまで様子を見ていたとばかりの態度に臍を噛んだ。

 やられた。

 そして、その悔しさすらも、野上さんには筒抜けだったのだろう。悪い顔が更に深くなった。邪悪などと言うつもりはない。元の造形がいいため、蠱惑的ですらある。やっぱり俺は、野上さんのペースに巻き込まれていた。


「彼女いないんでしょ?」

「何でそれを?」

「今日、話してたって友達に聞いたから」


 思い当たりは、昼間の崇原との会話以外にない。

 もしあれをそのまま報告されていたとすると、野上さんを観賞用と言ったことすらも伝わっている可能性すらある。悪意を持っていたわけではないので、聞かれて困るものではない。だが、本人がいないところで会話の俎上に上げていた気まずさのようなものはある。

 苦い顔になった俺に、野上さんは相変わらずのしたり顔だ。


「だから、やっぱりちょうどいいかと思って?」

「いや、待ってくれ。そりゃ、彼女は欲しいけど」

「だったら、棚からぼたもちじゃない? 飛んで火に入る夏の虫?」


 ぼたもちや夏の虫なんて言葉では足りない価値が飛び込んできている。それにしても、余計なことを言った。乱されたペースが戻ってくることがない。


「とにかく、お互い恋人が欲しいわけでしょ? 佐竹くんに本命ができたら、そのときは遺漏なく別れるっていう条件なら、何の不都合もなくない? 佐竹くんには彼女ができるし、私だって彼氏ができたことで変なのに絡まれる時間が減れば万々歳だし」

「楽観視ってもんじゃないか? こんなのが彼氏になったところで、モテなくなるとは思わないけど」

「断る明確な口実があるだけで防げることもあるの」


 こんなの、が否定されない辺りに、心臓が固まった。だが、下手に肯定されないほうがリアリティのある場合もある。

 野上さんには、喫緊のことなのだろう。俺には楽観視にしか思えないけれど。そもそも想像力が欠如している物事だ。そこに食い下がれるほどの意見は出てこなかった。

 それを肯定と受け取ったわけでもあるまい。野上さんはにこりと笑う。さまざまな笑みを切り替えるその手腕に、俺は翻弄されきっていた。


「私は結構本気で誘ってるから、考えてみてよ。いい返事、期待してる」


 ばちんと瞬かれたウインクに、心臓が撃ち抜かれる。あまりにも絵になっていて、俺には打つ術がない。そうこうしているうちに、野上さんは何の後腐れもなく、来たときと同じような軽やかさで席を離れていく。


「じゃあね」


 ひらりと手のひらを振ると、軽快な歩調であっという間に立ち去った。

 台風のように俺の心を掻き乱していった野上さんの痕跡が、じくじくと心を蝕む。未だに何が起こったのか合点がいかず、心臓がバグっていた。それはときめきとは違う。驚きがいつまでも去っていかないと言ったほうが正しい。

 驚天動地の最中。しかし、何も俺は交際することになりそうな気配に慄いていたわけではなかった。崇原と話したときに考えたことに変化はない。こうしてそばに寄られたからこそ、それは切実な感情になったよう気がする。

 やっぱり観賞用だよな、と心臓の竦み具合で切々と思い知った。

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