偽りの提案②
「佐竹くん?」
用事があるわけでもないが、家に帰りたくなくて放課後の教室に残っていた。
京夏の家はうちの隣で、毎日のようにうちを訪ねてきては、おうちデートをしている。何が悲しくてそんな場面に長い時間同席していなければならないのか。
兄ちゃんと京夏はいつもリビングにいた。部屋にこもればいいだろう、とは言えない。俺と兄ちゃんの部屋は隣同士だ。隣の部屋で何かが行われているかもしれない。そんな妄想を逞しくできる状態で、穏やかに過ごせる気はしなかった。だから、リビングにいてくれるのはありがたい。
母さんが夕飯の準備をしていることもあるから二人きりということもなく、いわゆるいい雰囲気になったとしてもストッパーがかかるだろう。だから、結果として、リビングは間違っていない。兄ちゃんの京夏へ対する誠実さでもある。
しかし、俺にとっては、何をとっても喜ばしくない。できる限り……両親に心配をかけない程度には、家に帰るのを先延ばしにしたかった。
時間を潰すために、放課後はすべての動作が遅くなる。俺はのんびりと鞄に教科書や筆記用具をつめて、頬杖をついていた。
そこに現れた神々しい姿に、目を瞬く。
教室の扉に佇んでいたのは、野上さんだ。昼休みに話したときはすぐに分からなかったが、今はもう姿と名前が合致する。むしろ、あのときすぐに合致しなかったことのほうがおかしい。そう思えるほどに、野上さんの存在感は一級品だった。
俺はその子に名前を呼ばれた衝撃で、目を瞬くことしかできない。席に着いて呆けている俺のほうへ、野上さんが歩いてくる。机の前に立たれて、俺はようやく自我を取り戻した。
「え、あ、どうしたの?」
「佐竹くんこそ、こんな時間まで教室に残って何やってるの?」
とても自然に話しかけられる。さすが、カーストトップ、というのはある種、偏見かもしれない。俺は頭を整理しながら、緩く目を伏せた。
「特に意味はないんだ」
ぼそぼそと呟いてしまったのは、事情が女々しいかもしれないという自意識からだ。野上さんが事情を知るわけもないとはいえ、どうしたって意識はしてしまう。
好きだった子が恋人とイチャイチャしているのを見たくないから。とは、口外して回りたいものではない。
「ふ〜ん」
野上さんは興味をなくしたのだろう。熱意のない相槌にほっとした。
いくら彼女が欲しくても、野上さんにアタックをかけるほど無謀ではない。こうして対面すれば、その格の違いを痛切に感じる。やっぱり、言葉は悪いが観賞用だ。
このまま去ってくれるだろう。俺はそう油断していた。しかし、野上さんが去っていく気配がない。
机の縁から見えるスカートの裾が、揺れ動いている。派手さにたじろいで目を逸らしていたが、この視線の高さはまずいかもしれないと顔を上げた。
野上さんはまだそこにいて、髪の毛先を指に巻きながら俺を見下ろしていた。どこか高飛車にも見える態度が似合う。やはり、カーストが違うものだと切実に感じた。
「……野上さんこそ、どうしたの?」
一度尋ねて流された問いを、もう一度零す。しつこいかとも思ったが、見つめ合っている気まずさに比べれば、どうということもなかった。
「告白されてたの」
さらっと零されたモテの規格外には驚く。まだ高校が始まって一週間やそこらだ。この短期間で告白されているのだから、モテる以外にないだろう。外見で想像できるものではあるが、どうやら想像以上であるらしい。
しかし、そんなことを報告されても困る。苦笑を浮かべてしまった。野上さんまでも苦笑いになる。
「言われても困るよね。私も困ってる」
「好みのタイプじゃなかったの?」
こんなに滑らかに会話を続けられる相手でないような気がしていた。しかし、無言でいるわけにもいかない。そんなものは、気まずいばかりだ。
「ていうか、まだ一週間でしょ? 私のどこか好きなのか、まったく分かんないし」
尖らせた唇は、グロスでも塗っているのだろうか。つやつやと潤っていて、直視していいものか悩む。
「見た目でしょ? 結局」
その眉間の皺の深さに、嫌煙ぶりが透けて見えていた。
見た目で好意を寄せる。そうした好意を否定はしないが、その無邪気さをぶつけられたほうはたまったもんじゃないだろう。相変わらず、そっちの想像力は不足していた。それでも、眼前に浮かべられる表情から受け取れるものはある。
野上さんは不服極まりない顔で、前の席の椅子を引いて腰を下ろした。横向きに腰掛けて組まれた太腿の白さが眩しい。まさかこんな込み入った状況になると思わずに、混迷を隠せなかった。
「そう思わない?」
「……自覚あるんだ?」
ナルシシズムを責めようとしたわけじゃない。ただ、明瞭と口にする堂々とした態度には慄いた。野上さんは、度外れて不満のある顔つきになっていく。
「だって、しょうがないじゃん。視線、うるさいし」
手のひらで、髪の毛をなびかせた。その麗しい仕草が目を惹くのは間違いない。そりゃ、放っておかないな、と納得するしかなかった。
野上さんはそんな俺の心情が分かっているのか。したり顔を浮かべた。
「でしょ? 私だって、好きでモテてるわけじゃないんだけど」
かなり傲慢にも取れる言い分だ。だが、それすら納得するしかない。そのくらい圧倒的なオーラがあった。
「大変だね」
他に言いようもない。薄っぺらな発言だっただろう。もう少しマシな共感をしてあげられればよかったのかもしれないが、俺には未知数の悩みだ。どうしようもなかった。
けれど、野上さんは気にした様子もない。肩を竦めて、飄然と受け止めた。
「そう。大変なの」
「綺麗だもんな」
「佐竹くんもそういうこと言うんだ?」
「単純な感想だよ。だから、どうこうってことはない」
むしろ、それは望まない。崇原と話したことが、頭に甦っていた。これだけモテるのであれば、しがらみも多いだろう。今となれば、察するにあまりあった。
「本当に?」
その魅力を見せつけるかのように、下から顔を覗かれる。
シャンプーの香りと、野上さん本人の香りが鼻先をくすぐった。女の子の香りとでも言うのだろうか。その魅力には抗いがたいものがあった。それでも、心が入れ替わるわけではない。
俺は苦笑を浮かべて、顎を引いた。
「それはいいね」
「いいの?」
「気楽だもん」
そうして、野上さんはにこりと笑う。
不機嫌な面ばかりを見ていたものだから、ギャップとなってより華々しく写った。見た目でちゃっかり感覚を揺らしているのだから、気楽な相手で居続けられるのかは甚だ疑問だ。
「気にしないでくれるってのはありがたいの」
俺が答えないからか。野上さんは、言葉を重ねる。
「なら、よかった?」
何がいいのか分からない。ただ、受け答えをしないのは申し訳なく、適当な相槌になった。適当ならしないほうがよかったのではないか。そう思えるほどに、杜撰なものだ。自覚もあったものだから、語尾が上がってしまって、ほとほと杜撰であった。
「そう。よかったの」
緩やかに頷く野上さんは、リラックスしているようだ。俺のほうは、どうしてこんなふうに語り合うことになったのか、という疑問が膨れ上がっている。
「あ」
そんな疑問の中に、ぽんっと声が投げ込まれて、改めて野上さんを見つめた。とびきりの美少女を常時見つめていられる果敢さは、俺にはない。
彼女が欲しいと願っているばかりで、肝心の慣れなんてものとはほど遠いのだ。そんな初心者に、野上さんは障壁が高い。
ただでさえそんな状態であるというのに、改めて顔を合わせた野上さんは目を弓なりに細めて、唇を薄く引き伸ばしていた。艶やかな表情に、心臓が跳ね返って固まる。
一体、なんだと言うのか。何がきっかけでそんな表情をしたのか。まったく想像ができない。
「な、なに……?」
背を反らして、野上さんから距離を置いてしまったのも、仕方がないだろう。理解不能なものから逃げようとするのは、防衛本能として間違っていないはずだ。
野上さんは、そんな俺の衝撃などまるで解していないらしい。離れた分だけ、ぐいっと前傾姿勢で距離を縮めてくる。その思わせぶりな笑顔は、薄まるどころか深まるばかり。一度硬直した心臓が、ぶち壊れたように鼓動を叩き鳴らした。
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