第一章
偽りの提案①
一年二組は、至って普通のクラスだった。それは、想像していたカーストが存在するような、生きづらいクラスではなかったということだ。
その普通は、拍子抜けでもあった。俺は緊張に溺れることもなく、クラスメイトの輪に迎え入れられている。
コミュニケーション能力が高そうな男子に引き込まれて、連絡先を交換した。それは、その場にいた多くの生徒と一緒くたで、正確に誰と交換したのか。顔と名前が一致していない中の、嵐のような時間だった。
だから、俺は正体不明のクラスメイトとも連絡先を交換している。判明しないものがいるのは、すぐに複数人のグループチャットが作られてしまったからだ。複数人と交錯するようにメッセージを飛ばし合う。そんな中に組み込まれてしまい、誰とも明確でないうちにグループに所属してしまった。
クラスの半分はいる大きなグループで、カーストで区別もされていない。俺はそのチャットに参加していた。
流れであっただろう。自主選択はしていなかった。ただ、俺だって無意味に飛び込んだわけではない。クラスの半数で作られたグループには、当然女子も含まれている。
彼女を作る。
そんな目標を掲げた俺には、そのグループは出会いの場として、実に都合が良かった。どんな子がいるかも分かっていなくて、都合がいいも何もないかもしれない。だが、どんな子なのか分からなくても、繋がっていることは大事だ。当人でなくても、別の誰かに繋がれるかもしれない。
友好の幅を広げれば、それだけ可能性が広がる。想い人を逃してしまった反省は、次に活かすべきだ。俺はもう初動に遅れて、可能性をむざむざ潰したくはない。そして、ひとつにすがることなく、候補に至る道筋はいくつも準備しておくのだ。打算的過ぎるかもしれない。
しかし、俺は彼女を作りたかった。
家に帰るたび、遊びに……おうちデートと呼ぶのかもしれない。デートしている京夏と兄ちゃんに沈痛な心地にさせられるのはもう終わりだ。いつまでも傷付いていたくはない。そのためには、京夏への未練を断ち切らなければならなかった。
だから、彼女を作る。
不純な動機かもしれない。そう考える冷静さはあった。ただ、考えているだけで止まれるのならば、苦労はしない。
突き進むと決めた道を戻りたくはなかった。それに、どれだけ心中に思惑があったとしても、表面的には友人関係を持とうとしているだけだ。責められることではない。俺はそこにあぐらをかいて、グループメンバーとして名を連ねていた。
だからといって、教室でも多くの生徒と会話を重ねているのかと言われると、それは別問題だった。半数がいるのだ。常に全員が仲良くしているなんてことはない。俺はその中の一人。
と言っても、いつもともにいなければ気が済まない間柄ということではない。俺も崇原も、友人といることにそれほど執着するタイプではなかった。その適度な距離感が心地良い。
そこに飲まれて、結局広い交友はグルチャ内に留まっている。チャットでの名義と本名と人物像。大多数はあやふやなままであった。チャットを虚構というつもりはないが、現実とネットでは、身の振り方がズレてしまっている。
どれだけ腹を決めていても、行動が伴わないこともある。自分がそうだったのだと、今になって実感していた。
彼女を作る。
その覚悟は変わっていないし、一刻も早くカップルに幻滅する日々から抜け出したい。それは切なる願いだ。だが、多くの連絡先を手に入れても、その後どう動いていいのかは分からなかった。
「彼女はいないのか?」
崇原との雑談が恋愛話に到達するのに、そう長くはかからなかった。
昼休み。教室で惣菜パンをくわえながら、崇原が切り出す。突飛と言えばそれまでだが、雑談とは往々にして文脈がはっきりしないものだ。
「崇原は?」
「質問を質問で返すなよ」
「察してくれ」
崇原との関係が緩く結びついているのは、こうした含みのある会話ができるというのもあるのかもしれない。
「聞くんじゃなかった」
「面白い話が俺から出てくるなんて、本気で思ってたのか?」
「高校生らしいかな、と」
「雰囲気かよ」
崇原がそんなものを意識するとは知らなかった。俺は苦笑でカツサンドを頬張る。崇原はホットドッグのウインナーをくわえていた。
「興味ゼロ?」
「そんなことないよ。彼女は欲しい」
常に考えているものだから、ぽろりと零れる。
本音か、と言われると怪しい。それは純粋な願いではなく、京夏たちを見ていられないから。そんな邪念が大量に含まれている。だが、どちらにしても願っていることには変わりがない。
「いい人、いねぇの?」
その目が、ぐるりと教室を見渡した。気になっている子、くらいのニュアンスだろうか。崇原に倣って、視線を動かす。
だが、まだ一週間しか経っていない教室で、誰がいいなどという心理は育まれていなかった。
俺に理想像や想い人などがいなければ、事情は違ったのかもしれない。だが、俺のいい人は、限りなく京夏だ。たとえ、もう叶わないと分かっていても、好みでなくなるわけもない。それは、諦められないと言うのとも別に、好みの根幹に関わる話だった。
残念ながら、俺が好きになったのは京夏一人だけだ。だから、好みの平均値なんてものはない。いい人がイコールで結ばれてしまっている。大変に困った傾向だった。
「崇原は?」
「いないなら、別にそれでいいだろ。気が多くないのは、謙遜することじゃないし」
「そういうわけじゃないけど……」
「誰も目に入らねぇの? 野上さんなんかは?」
「野上……?」
咄嗟に顔と名前が一致しない。思わず、周囲を見渡すように視線を動かしてしまった。崇原は、それに応えるように目を巡らす。
「今はいないな。食堂かも。美人だよ、
「ああ」
そこまで言われれば、思い出そうとしなくたって思い出せた。
キャラメル色のセミロングを巻いていて、猫目でぱっちりとした瞳が輝き、すらりとした体躯に、ボリューム満点の胸囲。キラキラとした、いかにもカースト上位って感じの美少女だ。
いくらクラスにカーストがないと言っても、自分たちとは位が違うと思わざるを得ない人物だった。
一稀と呼ばれていることのほうが多くて、変化があったとしてもそこに敬称がつく。野上、と言われてピンとこなくても仕方がなかった。
「グループにもいるじゃん」
言いながら、崇原がスマホを操作する。映し出されたのは、見慣れたメッセージアプリの画面だ。グループの中から、黒猫のぬいぐるみのアイコンを示す。名前はイツキになっていた。これだけだと、性別不詳だ。
「これだけじゃ判別できないって」
「野上さんですら印象にないって、どんな好みなんだ?」
「合致してなかったってだけだよ。ていうか、崇原、野上さん好みなの?」
「好みってか……目が喜ぶって感じ?」
「それは、観賞用じゃん」
「言い方、やめろ」
苦笑いを浮かべはしたが、否定はしなかった。リアルに彼女にしたいと思うには、高嶺の花だろう。観賞用と言葉は悪いが、あくまで眺めるだけでいい。そういう女子だった。
「でも、まぁ、野上さんと付き合うとか、苦労しかなさそうだよな」
「苦労?」
「普通に気後れしそうだし、男どものやっかみがすごそうだろ」
「そんなもんか?」
恋愛経験はないも同然だ。
京夏を想っていただけでしかない。能動的にアピールを試みたこともないし、いい雰囲気になったことだって一度もない。熱烈に恋愛しているものと近しい間柄だったが、相談相手になったこともない。
ないない尽くしの俺に、やっかみだなんだという想像力は欠如していた。どうしても曖昧な反応になってしまう。
それよりも、崇原はそういうものを想像できるほどに恋愛経験があるのだろうかという邪推のほうが捗った。
「言葉は悪いけど、観賞用は言い得て妙だよ。俺は勘弁。だったら、野上さんといつも一緒にいる隣のクラスのすらっとしたお淑やかな子のほうが、穏やかな関係を築けそうでいいよ」
「なるほど」
想像力はまるで働かないが、それは納得の考えに思える。
俺も、野上さんのような厄介そうな彼女を作らないように気をつけよう。どうせなら穏やかな子とイチャイチャするほうが、俺の願望に合っているはずだ。
まぁ、そもそもあんな美少女とお知り合いになるチャンスが訪れるとも思えない。俺には関係がない話だろう。
そうして、野上さんのことは崇原との雑談に埋もれた。
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