晴れ咲く京

このしろ

第1話 晴れ咲くしゃぶしゃぶ

 大学生として、風情ある京都の街に住み始めて三年。ベッドメイクの清掃アルバイトを始めて一年。そして、記念すべき成人式を終えてから二年半。そんな晴れ晴れした彼女のとある日の夜。空きっぱなしにしている窓からは輝かしい夏の第三角形が顔をのぞかせ、生ぬるい風がカーテンを揺らしている。

「っしゃ……! そうだよっ、そこだ、今だ! ぶち〇せ、オラッ!」

 長い黒髪を床まで垂らし、必死の形相で彼女はPCモニターに向かって叫び散らす。

 兄のお古としてもらったTシャツはサイズが合わずダボダボで、色白の谷間が見えたり隠れたりしていた。

「は? そこはアイテム使えよ。これだから素人相手は……」

 六畳間の部屋には、無造作に周辺装置が置かれ、泣き叫ぶような駆動音が熱とともに部屋に充満する。

 しかしゲーミング用のヘッドマイクを付けた彼女の耳には、

「っしゃあああっー! これで五十連勝! さっすが私、やればできる子!」

 そんな機械たちの叫びなんて届くはずもなかった。

「バフキャラ? いや、私に守備とか似合わないし。なに命令してるわけ? やっぱ攻めだろ! 攻め攻め!」

 最早四十度近くあるだろうか。

 換気をしているのにも関わらず、熱気に満ち溢れた部屋で、彼女は血色の良い頬から汗を垂らす。

 短パンからは白い太ももが露になり、体が動くたびにふわっと漆黒のロングヘアが揺れる。

 引っ込むところは引っ込んでいる華奢な体格で、傍から見れば、それはそれは大層な美女がいたもんだと、性別問わず彼女に見とれてしまう人がいるかもしれない……が、世の中そんなに甘くない。

「うっわ、負けたし! なに? なんで私が攻撃に入ると負けるわけ? 意味わかんないんだけど! あーあ、つまんな……って、ポテチも無くなってるじゃん! さいあく……」

 ゲームに負け、つまみ食いしていたポテチが無くなり、「はあ」とため息をつく。

 東海道京(とうかいどうみやこ)。

 それが彼女の名前だ。大学生になり、遥々遠い田舎からやってきて一人暮らしをしている京だが、見てのとおり、荒い女である。東海道なんていう強そうな名前も相まってか、私生活で彼女に関わろうとした人はあまりいない。

「うっ……」

 ゲームが一息つきコンビニにおやつでも買いに行こうと立ち上がったところで、京の視界がぐらっと揺れた。地震かと思ったが違う。単純に日頃続いた徹夜が祟り始めたのだ。

「うぅぅ……ポテチ~、コンソメパンチ~。私のコンソメパンチ~」

 哀れな寝言を言いながら扉に手を伸ばそうとするも、京はそのままベッドに倒れた。

 さっきまで騒がしかった部屋は、一気に静かになる。

 くぅくぅと寝息を立てる彼女はどんな夢を見ているのだろうか。

 人には言えないが、羊と戯れたり、空想上の彼氏と一緒に遊園地へデートしに行く夢を見たりと、行動とは裏腹なメルヘンな思想を持つ京。

 これは、そんなちょっぴりおかしな大学生の日常である。


 京も京とて、しっかり大学に行く。例え高熱を出そうが嫌いな授業があろうが出席は欠かさない。そう、だからこの日も眠い目をこすりながら、トーストをもぐもぐする。朝食が済んだら私服を着て、鞄を持ち、笑顔で家を飛び出る。

「あっっつ、うっざ」

とはいかず、飛び出たのは京と同時に愚痴だった。大学入学と同時にお気に入りの靴が破れ、それ以来ずっと高校時代のローファーを履いていた。その上は私服なので、ファッションに無頓着どころか新しい流行を生みだしそうな格好で、京はなんとか大学に向けて歩き出した。

 徒歩十分で大学に着く。大学に近づくほど生徒の数が増え、次第に京へ向けられる視線も増えた。京の破天荒な性格を知らない人からすれば、京はかなりの美人に映るだろう。しかし京自身もそんな状況には慣れ切っており、同時に生まれ持った美貌に悪態をつくわけでもなく、適当に「ちっ」と舌打ちをしておく。京も京とて女性。ジロジロみられるのは気分がよくない。

「おはよー。お、今日のみゃーこちゃんはいつもより気分がいいね」

 授業のある教室に入ると、近くで間延びした声が聞こえた。普段から物騒面の筈だが、目の前の子はまるで自分のペットの様子を見るように京の表情から気分を読み取った。

「べつに気分良くないけど」

「またまた~。照れないでいいんだよ」

「照れてないし」

 ニマッと口角を上げる女性の隣に、目を合わせないように座った。

 桜舞子(さくらまいこ)。

 京が所属する工学部において唯一の同姓で、友達である。丸眼鏡に童顔と、めんこい雰囲気があるが、京をからかう節があるので、たまに一緒にいて居たたまれなくなる時がある。

「みゃーこちゃん、今日はちゃんと課題やった?」

「あ」

「あー、その顔はやってないな」

「や、やったし……」

「じゃあ舞子お姉さんに証拠を見せなさい」

「なんでよ」

「どうせ徹夜でゲームやってたんでしょ」

「うっ……」

 図星の答えに思わず怯んでしまった。それに同い年の筈なのになぜ舞子お姉さんなのだろうか。

「童顔のくせして生意気」

「なんか言った?」

「いえ、何も」

 結局隣の舞子お姉さんに見張られながら、京は渋々PCを開いて溜まっていた課題を始めたのだった。


 積分、微分、積分、微分、フーリエ変換。京の工学部生活は数学に溢れている……と、学者のようにかっこつけたことを考えながらも、もともと京自身勉強が得意ではない。

 だからというのはおかしいかもしれないが、授業中も教授の話を聞くふりをしながら大概は夕飯のことを考えてよだれを垂らしている。

「豚肉が食べたい」

「豚肉?」

 舞子が隣で首を傾げ、ハッと講義中であることに気づく。幸いにも周りに独り言は聞かれていなかったようだ。

「豚肉が食べたいの?」

 しかし舞子には聞かれていたようで、京は顔を赤くする。

「今日、バイトないし良かったらお肉買って一緒に食べる?」

「べ……」

「べ?」

「べつに、お肉が食べたいとは一言も……」

「ふーん、じゃあ私一人で食べちゃおうかな」

「ふぁっ⁉」

 思わずロケットのように飛び上がってしまった京。周りの視線が京に注がれる。注目されるのはなんとなく慣れているが、これは例外だ。飛び上がったと思いきや、次はモグラのように下に引っ込んだ。そんな京の様子を見て舞子もクスクスと笑いをこらえきれていなかった。

「二人で割り勘すれば安く済むよ?」

 何事も無かったかのように講義が再会されたところで舞子が京に耳打ちする。「うう……」と京もしどろもどろ。しかし、

「よ、よろしくお願いします」

 貧乏学生として、お肉が食べれるという絶好のチャンスを逃すことはできず、ニヤニヤする舞子の前に敬語でひれ伏すしかなかった。


 目の前にぐつぐつと音を鳴らす鍋を見たのはいつぶりだろうか。

 今夜も今夜とて、熱気が部屋に充満する京の部屋。

しかし、ゴミ箱のお酒の空き缶を見つけられ、舞子にほどよいお叱りを受けたことを除いては、今の京からしてこの熱気は悪い気はしなかった。

「あんだけ飲み過ぎるなって言ったのに」

「いいでしょべつに。大人なんだからお酒くらい勝手に飲もうが私の自由じゃん」

「大人だったら学校の課題くらい余裕持って提出しましょう」

「……さーせん」

「白菜いい感じになったよ」

「えー、お肉食べたいんだけど」

「好き嫌いしないの」

 頭に軽くチョップをされ、渋々京のお皿に野菜が乗っていく。

豚肉を食べたいと言っただけなのに、いつのまにか目の前には豪華なしゃぶしゃぶが出来上がっていた。買い物をしたり、だべりながら調理をしていたおかげで夜も遅い。

 夏の第三角形は今日も綺麗に見えていた。

「みゃーこちゃん、昔から酔ったら手に着かなくなるんだからさぁ。どうせ昨日も夜遅くに一人でゲームしながら叫んでたんでしょ」

「記憶にない」

「それ、酔っぱらいの常套句だから」

 ゆっくりと豚肉をお湯に浸していく舞子の表情は湯気で眼鏡が曇り始めていて上手く見えないが、童顔であるものの綺麗な顔をしていた。一回冗談混じりで「舞子は彼氏とかいるの?」と聞いたらなぜか切れ気味で「いないから」と返された。興味半分で聞いただけなのにと、根では思慮深い京は心の中で反省する。

「こんな生活が続いてもう三年経つんだね」

 不意に舞子が呟く。

「同居してるカップルみたいなこと言わないでくれる?」

 目を細める京。しかし一年の頃、初めての一人暮らしで生活習慣が乱れ切っていた京は、舞子のおかげで安定した暮らしが得られるようになった……と言っても過言ではない。夜中に罵声を響かせながらゲームをしている彼女の生活が安定しているかと言われると微妙かもしれないが、少なくとも昔よりは良くなったであろう。こうやってしゃぶしゃぶを窘められるようになるほどには……。

「そういえば京は就職先決まったの?」

「決まった」

「どこ?」

「ニート」

「そんな会社あったかな?」

「冗談を真に受けないでよ」

 ニートというのは京の理想形だが、ちゃんと就職先は決まっている。ちょうど一週間前に面接した会社から夜な夜な電話がかかってきて内定を告げられた時は飛び起きたものだが、決して人に告白できるような上流会社ではないのと、言ったところで何も起こらないからだ。口いっぱいにしゃぶしゃぶの幸せな味が染みわたっているというのに、邪念は介入させたくなかった。

 誤解してほしくないのは、内定先が決して怪しい会社ではないということだけ。

「舞子は就職先決まったの?」

 これ以上の詮索はされたくないので適当に話を逸らす。

「高校の先生だよ」

「へー、安定した生活できそう」

「どうだろうね」

 苦笑いしながらポン酢に肉を浸らせる舞子。

 真面目な舞子が先生になると言ったところで長年の付き合いをしている京からすれば驚くことはない。

 公務員になって衣食住に困らない生活を送るのは羨ましい。

「じゃあ、私がニートになったら舞子のもとで永久就職させてよ」

 安定した生活。そんな考えが頭をよぎったせいだろうか、それとも久しぶりにおいしいものを食べているせいか、頭の回っていない京はふとそんなことを口に出した。

 数秒経ってから我に返り、しまったと思う。

 働かざる者食うべからず。

 少なくとも真面目な子の前で言う発言ではなかった。

 今だけはしゃぶしゃぶの余韻に浸っていたかったのに、また頭にチョップでも飛んで来たら、たまったものじゃない。

 動揺が悟られないように、空っぽの口を咀嚼しながら、ゆっくりと舞子の顔を覗く。

 するとゆでだこのように顔を赤くしながら俯く彼女の姿が目に飛び込んだ。

 熱気のせいだろうか。いや、違う。確実に怒っている。

 後悔と謝罪の二文字が頭に思い浮かんだ。

 京の箸から白菜が自由落下する。白菜がテーブルに落ちるまでの速度を空気抵抗を加味して計算しなきゃ……と、冷や汗をかき、小難しい計算をしながら現実逃避をしようとしたところで時すでに遅し。

 謝ろう。

くだらないことで散々お世話になった舞子とは疎遠になりたくない。

 それにこんなところで絶縁状態になったら一生美味しいしゃぶしゃぶが食べれなくなる可能性があった。

「え、えーと、その、変な事言ってご、ごめ……」

「別にみゃーこちゃんとなら………一緒に生活しても、い、いいよ?」

「ん?」

 頭を下げた所で、予想外の言葉が飛んできた。一瞬、テレビかラジオの音声かと思ったが、電源はついていない。それに京のことをみゃーこちゃんと呼ぶのは舞子だけで……。

「!」

 訳がわからず顔を上げると、真っ赤になりながら口元を押さえた舞子がいた。

「ご、ごめん、何言ってるんだろ私、ちょ、ちょっと顔あらっへくる」

 盛大に噛んでくることもお構いなく、一目散に舞子は洗面台へと向かった。

 京の頭からはさっきの言葉がリピートされていた。

「一緒に暮らす……」

 一人、鍋と向かい合っているこの状況に理解が追い付かず呟く。

まるで落としてしまった白菜に頭を下げたのかと思わせられるくらい、部屋からは賑やかな雰囲気が消えていた。

「そしたら、毎日しゃぶしゃぶ食べれるかも」

 しかし、走り去っていった舞子とは対照的に、能天気な京はその場で、思わずニマッとしてしまう。

 美味しいものが毎日食べれる。

 料理の上手な奥さんを持った旦那ってこんな気持ちなのかな……と、旦那でも既婚者でもない京は勝手な妄想を広げる。

 夜な夜なポテチから夜な夜なしゃぶしゃぶになるのは革命かもしれない。

 数分後、戻ってきた舞子の顔はまだ赤かった。何に赤くなっているのかわからず、「夜な夜なしゃぶしゃぶ」で上機嫌になった京は、舞子に「またしゃぶしゃぶ作ってよ」と言うと、まるで我慢の限界が訪れたように舞子は冷蔵庫から、京が楽しみにとっておいた日本酒を取り出し、勢いよくテーブルに置いた。

 怒っているのか慌てているのか見当がつかない。どっちかというと前者なような気がするが……。

「みゃーこちゃん、今日はたくさん飲むわよ!」

「え、なんで?」

「なんでもよ!」

「しゃぶしゃぶがまだ残ってるけど……」

「そんなの明日食べればいいでしょ! ほらっ!」

「うわっ!」

 腕を引っ張られ、ゲーミングモニターの前で胡坐をかき、どぼどぼとコップに日本酒が注がれる。

「舞子、お酒とか飲まない人じゃなかったっけ」

「今日はいいの! これでさっきの台詞は忘れてもらうわ」

「私は舞子のしゃぶしゃぶ毎日食べたいだけどなんだけど」

「えっ⁉ そ、それって、つまり……ぷ、プロポ……えぇっ⁉」

 舞子が錯乱している理由など知らず、京はお酒を一口。

しゃぶしゃぶが食べたいと言っただけなのに何をジタバタしているのだろうか。

 しかし、舞子本人からお酒を勧めてくることなんて、無に等しいので、断る理由も無く、その日は朝が来るまで飲み明かした。

 結局、慌てている理由を察することもできず、楽しそうにゲームをする舞子の横顔を眺めながら、京はこんな日も悪くないと思いつつ酔いつぶれてしまう。

「っしゃ……! そうだよっ、そこだ、今だ! ぶち〇せ、オラッ!」

 長い黒髪を床まで垂らし、必死の形相で京はPCモニターに向かって叫び散らした。

 兄のお古としてもらったTシャツは今日もサイズが合わずダボダボで、肌白の谷間が見えたり隠れたりしている。

 すると今度は我を忘れた舞子が、

「は? そこはアイテム使えよ。これだから素人相手は……」

 六畳間の部屋には、無造作に周辺装置が置かれ、泣き叫ぶような駆動音が熱とともに部屋に充満する。

 しかしゲーミング用のヘッドマイクを付けた彼女たちの耳には、

「「っしゃあああっー! これで五十連勝! さっすが私たち、やればできる子!」」

 そんな機械たちの叫びなんて届くはずもなかった。

 最早四十度近くあるだろうか。

 換気をしているのにも関わらず、熱気に満ち溢れた部屋で、彼女達は血色の良い頬から汗を垂らす。

 引っ込むところは引っ込んでいる華奢な体格で、傍から見れば、それはそれは大層な美女たちがいたもんだと、性別問わず京と舞子に見とれてしまう人がいるかもしれない……が、世の中そんなに甘くない。

 しゃぶしゃぶで湧き上がってしまった京と、複雑な感情が交差する舞子。

 至って普通の女子大生たちの夜は想像以上に騒がしい。

 すると、カーテンから秋を思わせる涼しい風が舞い込み、京はふと隣を見る。

 久しぶりに輝いていた友人の笑顔は、夏の第三角形のように輝いて見えた。

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