第5話

 自分がまとめた計画全体の素晴らしさを思うと、萌依は歓喜のあまり飛び跳ねたくなった。背後にいる航大の励ましが、萌依の喜びをさらに高めた。今すぐこの案を会議にかけ、承諾をもらい、次にデモンストレーションで、橇を京都の街中に走らせたい心境だった。

 事業計画が決まった後も、サンタ・クロース・カンパニーの社長に萌依を推すのに反発が続いた。会長派の経営陣だけではなく、株主の中にも同族経営を危惧し、有能な青野常務を支持する勢力が存在していた。

 冬村と南郷は、お互いの目を見交わした。二人にとっては、サンタ宅配便事業はなくてはならないものになっていた。鷹司産業から、サンタ・クロース・カンパニーに出向してからは、それがすべてと言っても良かった。彼らは社長の萌依の指示に忠実に従いつつも、意見は遠慮なく伝えていた。

 ベテランの冬村は、計数感覚が優れており、本来なら鷹司産業が手放したくないほどの人物と考えられていた。だが、鷹司産業の数千人の社員や役員の中でも、航大がもっとも信頼して来た人物なので、萌依はこの男にサンタ・クロース・カンパニーの事業を手伝ってもらえるように頼んでいた。

 冬村はハンサムでもなく、弁舌巧みでもなかったが、慎重かつ用意周到で有能さが滲み出ていた。萌依には、冬村をメンバーに加えた陣容で臨めば、事業の成功を確実なものにできると思えた。

 通常の宅配便は一年を通じて配達されるが、サンタ宅配便はクリスマス企画なので期間限定になる。企業がクリスマスの僅かな日数だけ、稼働しても収益の高い事業になるとは、鷹司産業の誰もが思わなかった。

「我儘なお姫様やなあ」冬村はため息をついた。

「来年からは、新企画を立てて、イベント企画会社にするつもり」

「何か、あてがありますのか」

「人材のスカウトから、やるつもりなんよ」

「スカウト会社を使いますのか?」

「それも、一つの手段やけどね。冬村さんは、誰か知り合いはおらへん?」

「調べておきますわ。そやけど、南郷さんは顔が広いさかい……、なあ、南郷部長は、どないですやろか」

「私も、探しておきますわ」

 二人は首を傾げながらも、協力を約束した。

 萌依が社長室を出て、ふとした思い付きで社員のデスクを借りて調べ物をしていると、美津江がやってきて、萌依の手元を無遠慮に覗き込んだ。

「えらい熱心ですわね。さすがに、社長ですわ。儲からない仕事でも、放っておけないのね」

 毒を含んだ美津江の言い草は、聞くに堪えない気がしていた。

 萌依は、サンタ・クロース・カンパニーの実務以外には関わっていなかった。美津江の言葉は、呆れるほど嫌みに響いた。

「あなたねえ、褒め殺しのつもりやの?」

「滅相もないです。私は、萌依社長の奉仕の精神を称賛したいだけなのですわ」

 萌依は表情から、相手の思考を読み取ろうと感覚を研ぎ澄ませた。好意的な意図が読み取れず、無視するわけにもいかないので、やるせない気分にさせられた。

 美津江がその場を立ち去ると、萌依は気分を変化させるため、映画に出てくる有能なビジネスマンのように、マーケティング・データや、コンピューター・ソフトを使って的確に状況を分析し、陣頭指揮に立つ自分を想像してみた。

       ※

 萌依は周囲の反発が強すぎる上に、自分が社長に就任するのに躊躇するだけではなく、サンタ宅配便を稼働させるのにも、不安と疑問を強く感じていた。自己不信を払底する効果的な手段は、塞ぎ込むのではなく、目先を変えて考える心構えにあると萌依は信じていた。

「ずいぶん詳しいなあ。どないして、知ったのや、そんな話を……」

「資料室で南郷さんたちに、資料収集と検証に協力してもらったうえで、インターネットで調べて、図書館でも本を借りてまとめました。それが、これなのです」

 非常に分かりやすく、参考になる資料だった。萌依は、自信満々に資料リストを示した。

「えらい、イージーな調べ方やな。情報は足で集めなあかん」

力哉は、口を開くと「足で稼げ」「額に汗して、なんぼの商売や」「ラクして儲けるのは、ビジネスとは言わんぞ」と喧しいほどに叱声を飛ばした。

 萌依には、デスクトップで確認できるものをアウトプットしファイルにするのは、面倒で意味のない行為に思えた。それに「足を使え」と命じるのも非効率に感じられた。

 萌依はデスクトップを開くと、集めた資料をパラパラとめくりながら、重要なものを抜き出して、残りはゴミ箱に移し、削除ボタンを押した。資料室にある書籍や新聞、雑誌、論文などの紙の資料にはすべて目を通していたものの、不充足感は拭えず、PDFや画像、他の膨大な資料をパソコン上に蓄積していたのを処分した。

 仕事関連の調べ物や検討課題に取り組み、打ち合わせを重ね、営業先を回る多忙な日々が続いていたが、自宅の居間にいてゆっくりと寛ぎ、サンチョに餌を与えて頭を撫でてやるという、おだやかな時間もあった。

 仕事と休暇の時間をバランスよくとる構えで、合理的な生活を送りたいと、萌依は念じていたが、鷹司産業の役員連中は――寸暇を惜しんで仕事をすべきだ。事業が軌道に乗るまでは、休みを返上し身を粉にして働け――と指摘し、罵声を浴びせてきた。しかしながら、経営方針や事業計画書やイベント企画書をまとめて、会議などで提示する都度、強く反発され考えの甘さを問い詰められた。

 帰宅し、自室に入ると、萌依はため息をつくと同時に、トート・バッグをベッドの上に放り投げ、紅茶を淹れにダイニング・ルームに向かった。紅茶を飲みながら窓外に目をやると、夜の闇が町を暗くするのに抵抗して灯る街灯を見つめ、ぼんやりと考えた。――こんな調子で、サンタ宅配便を軌道に乗せられるのか? 自分のどこが経営者として適任だと言えるのか――と。

       ※

 夏が過ぎて、柔らかな日差しとともに、草花も身を縮めるような、冷たい霜が宿る季節が訪れた。鷹司産業グループの本社では、多忙な秋を過ごしていた。週に二度の会議には、営業部門も含めて管理職全員が集まり、ほぼ百%の出席率だった。

 冬村が訝しげな表情で、正確な説明を求めているのが理解できた。

「あのう、萌依社長……、今の……」

「ああ、それね。その件なら、今から話そうと思っていたの」冬村は、まだ何も言わないうちに話を遮られ呆然としていた。

「営業先は皆、わが社に好意的で、南郷部長の言う通り期待が持てるものでした」

「ああ、それは良かった。心配していたのですわ」冬村は胸をなで下ろしていた。

 冬村は、萌依の仕事をあらゆる面でサポートしたが、会議の席上でも曖昧さを見過ごさず、鋭く指摘した。そこが、南郷と異なる点だった。

「萌依社長 それで、どうだったのですか? 結果をお尋ねしたいのですわ」青野は眉を吊り上げて尋ねた。

「安心してください。営業先は確保できたので、予定通り、サンタ宅配便は稼働できますわ」

「どの程度の成果ですか? 客観的に判断できるよう、数字で示してください」

 空箱には多くの物を詰め込めるが、空っぽの頭には多くの知識を詰め込んでも理解が進まない。鷹司産業の役員の多くは秀才たちだが、頭の良さに反して、他人の立場を理解し、斬新な発想にも興味を示そうという気構えのない者が散見された。それは、彼らよりはるかに低能な者たちとの会話と大差なかった。

 実りのない会議が終わると、萌依は航大を伴い、二人で営業先の三ツ松デパート本店に出向いた。

 二人がデパートの玩具売り場に着いたときには、店長の気持ちは既に決まっていた。店員たちは、将棋盤の駒のように整然と並ぶと、航大と萌依の顔を見て一斉に明るく挨拶した。

 店長は胸にエンブレムがついたブレザーを着て、丸い黒縁メガネをかけていた。名前は倉持孝全なので、顔立ちと名刺を一目見て社長の親族だと分かった。まだ、若く、苦労のなさそうな目つきをしていたが、話し始めると驚くほど明敏だった。

「先日、当社の社長が契約書に捺印した件ですが、うちの店では、京都市内全域への玩具宅配の予約受付を始めました。社長の考えでは、当店の予約状況を見て、三ツ松デパート全店で同じ、取り組みを始めるつもりです」

「残念ですが……、今年のサンタ宅配便は、すべて予約済みです。来年以降は、橇の台数を増やしますから、今回はそれで御勘弁いただきたいのです」

「残念やけど、しょうがないな。来年は、うちを優先的にお願いしますわ」

「そりゃあ、もちろんです」

 鷹司産業と長年の信頼関係のある三ツ松デパートは、サンタ・クロース・カンパニー設立と同時に、支援を申し出た。だが、他の取引先は予約後も、すぐに契約を締結するのに躊躇し、回答を先延ばししていた。そこに一抹の不安があった。

       ※

 京都には景観の美しい「哲学の道」や祇園のメイン・ストリート「花見小路通」、八坂の塔につながる「八坂通」、歓楽街の「先斗町」などの情趣溢れる通りがいくつもあるが、萌依は自分が住む北山周辺や、左京区の下鴨辺りの街並みがお気に入りだった。北山は閑静な住宅地でありながら自然にも恵まれており、周辺にはお洒落なカフェやレストランが何軒もあった。

 萌依は、北山の秋に銀杏並木が色づく街路を歩いて、カフェに立ち寄り、表通りを見ていると、自分がまるで映画の中のヒロインになったような気分に包まれた。

 目の前にいる華音の手は、テーブルの上で組み合わされていた。

「萌依ちゃんに相談したい件があるのやけど……」

「兄貴の話でしょ。あいつ、真面目なくせに、可愛い子には大胆にアプローチするのやから」

「何で分かるの?」華音は図星を突かれたので、しばらく口を噤んでいた。

 華音は航大と交際している状況を告げると、誕生日に何をプレゼントすると喜ばれるかの意見を求めた。

 萌依と華音が並んで歩いていると、すれ違う男たちは心地よさそうに目を細める。北山のセンスのいい街並みに、二人の少女は美観を添え、色づいた街並みを一層、華やいだものに見せていた。理想の美に、基準があるのなら――彼女こそが、もっともそれに当てはまる――と、萌依と華音は、お互いに相手の容貌や振る舞いをそう思っていた。

 夕闇が迫り、鈴虫の奏でる音色が寂しげに響いていた。クリスマスまで、まだ時間があるものの――はたして自分に経営者としての役割が務まるのかと、萌依は不安を感じていた。

 沈みゆく太陽の赤みを帯びた光のせいで、二人のシルエットは美しさを増していた。

 魔力を秘めた満月の光を浴びながら、冬へ向けて、サンタ宅配便の準備を着々と進める仕事が実を結ぶよう、成功の暁には、魅惑的な時間が自分の周囲を満たすように――と、萌依は心の中で念じていた。

 月の光が公園に注ぐと、滑り台をトナカイの橇に、ブランコをゴンドラの舟に、小石を金貨に、道行く人々をサンタ・クロースやトントゥに変身させる魔術的な力を見せつけてくれないか――と、想像を膨らませた。

 多くのクルマが国道には行き交う中でも、タクシーはなかなか見つけられなかった。国道に出るまでの抜け道に、公園の中を横切って歩いた。萌依の酔った頭では、公園の中が神秘な世界に見えていた。

 翌日の午前六時に、萌依が目覚めたときは、まだ元気が回復していなかった。肉体疲労に加え、精神的にも昨夜のしこりが残った状態で、眠気でうとうとしていた。――朝から用事がなければ、萌依はもうあと四時間は、ベッドの温もりを感じていたい気分だった。

 萌依は朝のコーヒーやトーストの支度を手早く済ますと、新聞を持ってダイニング・ルームに戻り、記事を何度も読み返した。ライバル企業が、宅配便の会社を傘下に置き、新規事業計画を明かしていた。記事を読み進むと、同社の川下戦略の一環として、生産者から消費者への一大流通網を構築する壮大な計画が述べられていた。

 何度も記事を読み返すうちに、萌依にはサンタ宅配便事業という夢のプロジェクトが、いかにも小さなビジョンに過ぎない気がしてきた。

 航大は、CDプレーヤーのスイッチをONにした。流れ出した曲は「クリスマス・キャロル」だった。

 萌依は一人でソファーの方に行って腰を下ろすと、コーヒーを啜り、曲に耳を傾けながら、考え事をしていた。しばらくして、食卓テーブルに移動し、二杯目のコーヒーを淹れた。

 サラダとトーストを口に運び、コーヒーを啜りながら、萌依は会長一派との対決について航大に話した。

「会長は、あんな人やなかったのになあ」

「青野さんや、八所さんに、そそのかされているのやろか?」

 航大の表情が厳しくなった。

「実情は、わからん。南郷、冬村の二人に探らせているのやけど、尻尾を出さない。しばらくは、注意深く、しないとな」

       ※

 サンタ・クロース・カンパニーのオフィスに青野が訪ねて来て、南郷に話しかけた。

「どや、営業先の開拓は、順調に行っているのか? 足踏みしているようやったら、早いうちに、撤退せなあかん」

「大丈夫です。心配無用ですわ。あとで進捗状況をまとめて、常務に手渡します。詳細の経緯は、来週の営業会議に同席いただければ、お伝え出来ます」

「今の状況はどうや。南郷部長の意見を聞きたいのや。どや、やっていけそうか?」

 萌依は、冬村の隣に座る南郷の様子を見た。営業先がどんどん増えている状況に、南郷はすっかり満足しているのが見て取れた。南郷は自信ありげに青野の方を見た。

 冬村は口を挟んだ。

「浮足立たないようにせんとなあ。勘定合って銭足らずも、ありうるからな。南郷さんも、経費はあまり使い過ぎないように願いますわ」

「冬村さん、ちゃんと見てやってくださいよ。何遍も言うけど、もし、あかんかったら、早めの見極めが大事や」

「もう少し、猶予をお願いしますわ」

「なんぼでも、営業先が増えています。サンタ宅配便は、先方にリスクがないさかい、契約先が増える一方ですわ。それに伴って、玩具の予約販売件数が増えているので、どこもかしこも喜んでくれていますわ」

「まあ、営業の方は、南郷さんに任せておけば大丈夫やろ。経費の件は、萌依社長にも目を光らせてもらわなあかん」

「必要な経費は、必要十分に使い、それであかんのやったら、事業そのものを見直したらダメなのですか?」

「そう甘いものやない。収益性の改善のために、必要経費も見直して圧縮する企業もありますやろ」

「順調に伸びているのは、営業先だけやね」

「すべて、萌依社長のお陰ですわ」

 南郷は大笑いした。

「営業は大事やけどな……、会社経営は営業だけでは成り立たないのですわ」

 青野は皮肉っぽい口調で付け加えた。

 コスト管理を厳しく指摘されたあとは、必要経費まで削り、目的を遂げられなくなるのは本末転倒ではないか――と、萌依は思っていた。経営は、経験を重ねるほど、絶妙なバランス感覚で成り立っているのに気づいた。

 昼食に出る前に、萌依は南郷に花屋に立ち寄って、鉢植えのポインセチアを三つ買い求めるように頼んだ。

       ※

 完成された橇をお披露目すると、誰もが想像したよりも大きい事実に驚いた。トナカイの大きさは、肩高九十~百五十センチ、体重六十~三百キログラム、サラブレッドは肩高百六十~百七十センチ、体重四百五十~五百キログラムなので、サンタ・クロースの橇にしては、かなり大きくなった。

 なかでも冬村は、想像以上に大きな橇を見上げて感嘆の声を上げた。

 橇はサラブレッドに引かせるため、実際のトナカイのものよりも一回り大きく堂々として見えた。つまり、二頭立ての馬橇は、誰の目から見ても迫力抜群だった。

「立派なもんですな」

「馬たちの毛並みも毛艶も、ええもんでしょう? この筋肉や、しなやかな体つき。何度見ても素晴らしいわ」

「そやけど、ちと、大きすぎるのと違いますやろか?」

「これでええんよ。馬が橇を引くから、サイズも大きくなるし、その分荷物も多く運べる」

「そら、よろし。近いうちに走行テストも、せなあきませんな」

 隣の倉庫に行くと、クリスマスの衣装には、一枚一枚、透明なビニールがかぶせられていた。小道具は、これだけではなかった。橇を装飾する煌びやかな電飾や、玩具を入れる大きな袋や、サラブレッドの頭部に飾り付けるヘラジカの角まで準備がそろっていた。

 見事な衣装と橇を見て、航大はすかさず微笑んだ。

「サンタ・クロース・カンパニーを萌依に任せてよかったよ」

「ここまで来るのに、どれだけ大変やったか」

 金銭の問題になると、冬村はたちまち目つきを鋭くした。冬村は倉庫を訪ねると、検品に付き合い「不良品は全部交換するように、メーカーに強く言うように……。僅かな綻びや傷でも、見逃さんようにな。厳しい予算の範囲内で、やりくりせなあかん。あとで、修理代が嵩んだり、トラブルが生じたりしたら、余計なお金がかかりますやろ。注意せなあかん」と自らチェックしながら、担当者たちに告げた。

 サンタ・クロース用の橇は、本来なら、ダッシャー、ダンサー、プランサー、ヴィクセン、コメット、キューピッド、ドナー、ブリッツェンの八頭立てが理想だが、サラブレッドをそれだけレンタルすると採算に合わないので、萌依は大胆にも二頭に減らした。

 萌依の考えでは、猪突猛進のダッシャーや踊り跳ねるダンサーではなく、空を舞うようなコメットと、美しいキューピッドの二頭に橇を引かせる方針だ。つまり、百台の橇なので、利口で毛並みの良い馬ばかり、二百頭を三日間借りる契約を締結した。

 サラブレッドのレンタル料金は一時間で二万円かかる。百台の橇に二百頭の馬に対して、短めに一日四時間の稼働で計算しても、千六百万円の経費が必要となった。三日間稼働させると四千八百万円かかる。それに対して、サンタ宅配便は単価が四千五百円なので一万世帯に効率よく配達しても四千五百万円の収入にしかならないので赤字は確実だ。経費は、サラブレッドのレンタル料金だけではない。当然、サンタ宅配便以外にも、収入源を必要とした。

 計算上は、クリスマス前のイベントや、インターネット通販でのグッズ販売が成功しないと収益性の低い事業になるのは必至だった。

 サンタ・クロース、トントゥ、ルドルフたち全員を集めるのには広い会場を必要とした。他に適当な場所が見つからなかったので、二十階の大食堂があてがわれた。彼ら全員に役割が告げられると、その日から衣装を着てレッスンが始まった。

 サンタ宅配便のスタッフには、俳優養成所から講師を招いて演技指導にあたらせた。 サンタ・クロース役の難しいところは、どっしりと落ち着きのある雰囲気を演出しながらも、子どもたちに優しく振る舞う演技力だ。優しく振る舞うと言っても、猫なで声で媚びてはサンタ・クロースらしさを失い、見透かされる。

 さらに、トントゥたちがいくら明るく盛り立てても、暗い表情、恐ろしい表情のサンタ・クロースなら、子どもたちを失望させる。サンタ・クロースは、慈しみのある表情や、自信に満ちた低い声で話すのを求め、動作もゆったりとした雰囲気がでるように指導された。冬村は六〇歳だが白髪頭で、剃り残しの髭もぽつぽつと白くなっていた。萌依は、サンタ・クロース候補の一人に冬村を推した。

 一台の橇に三人乗るトントゥはトムテ、ニッセ、パッカネンの性格の違いが説明され、それに応じた身動きを求められた。

 トムテは物知りで、妖精トントゥのリーダーなので子どもたちの質問には明るく丁寧に答える。ニッセはいつも上機嫌で子どもたちをおだてるのを得意としている。パッカネンはおとぼけキャラで、頓珍漢なダジャレを言って、他のトントゥに窘められてばかりだ。

 サンタ宅配便を効果的に演出するのに、欠かせないキャラなのでトントゥ役に選ばれた女の子たちは、演技のレッスンを積み、想定される必要なセリフは諳んじて言えるまで覚える構えが要求された。トムテは気品のある美しさ、ニッセは優しさ、パッカネンは可愛らしさが滲み出るまで、厳しいレッスンが繰り返された。

 レッスンは厳しく、顔の表情、仕草、話し方から声の出し方まで細かく注意が及んだ。

「ダメダメ、あなたたちは、子どもたちの夢を叶える使者だから、関西弁丸出しのそんな話し方で喜ぶと思う? あなたたちは、何かを演じている誰かさんではなくて、本物のサンタ・クロースであり、トントゥなのよ。そのつもりで、やり直してね」

 講師の指導が熱を帯びてくると、スタッフたちも目の輝きが強くなり、真剣に学び取ろうとし始めた。萌依は――中途半端にやるなら、やらへん方がましなのよ――と、指摘しつつ何かと彼らをサポートした。

 馭者のルドルフは、実際の手綱捌きをマスターするためプロが指導した。橇と呼んでいるものの、実際には馬に引かせるので、馬車を操作する技術が必要とされた。馬車用に調教されている馬を集めたものの、馬車を安全に走らせるのは馭者の技量が大事でもあった。

 萌依は、乗馬経験があったものの、馬車の手綱さばきを身に着けたくなり、仕事の合間を縫って、ルドルフたちと研鑽を積んだ。

 主役はあくまでもサンタ・クロースだとはいえ、トントゥの三人も馭者のルドルフも一つのチームであり、チームワークの成果が問われていた。

 冬村はいったんサンタ・クロース役を引き受けると、息を切らせ、髪を振り乱し、汗にまみれても、作業を手伝った。萌依が陣頭指揮に立ち、率先して作業しているのを意識して、自分が怠けるわけにはいかないと、気を張り詰めているかに見えた。萌依が準備万端に整った現状を口にしたので、冬村たちは意気込みを新たにしたのが想像できた。

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